2019.09.26

多様性の裏側に。

 ヒトラー・ナチ時代のことを学んだとき、多様性という言葉の意味を改めて考えさせられました。
 ナチ時代とは、ドイツ・ナチ党の党首アドルフ・ヒトラーが政権の座にあった、1933年から45年までの12年間を言います。ナチ党とは、国民社会主義ドイツ労働者党のことであり、反ユダヤ主義を一つの特徴にしていました。
 反ユダヤ主義は、ナチ党が政党として掲げたというよりも、ヒトラー自身の固執的考えによるものだったようです。ヒトラーは、その著書『我が闘争』の中で、第一次大戦のドイツの敗因を、国内ユダヤ人の裏切りと、ユダヤ人の本性を見抜けなかった旧ドイツ帝国の無能さに求めていました。
 また、第二次大戦においてもドイツは、欧州の周辺国を敵に回し、決して優勢とは言えない中、無謀にも対米宣戦を布告しました。そのときヒトラーは、米国はユダヤ人に牛耳られ、米大統領が国際紛争を助長するのはユダヤ人のせいだと断じていました。
 ここで注意すべきは、ヒトラーは、ユダヤ教に対してではなく、ユダヤ人自体を悪としていたことです。宗教などではなく、人種そのものが、ドイツ人(アーリア人)にとっての脅威であると考えていたのです。

 その後、ホロコーストと呼ばれる、ナチによるユダヤ人の組織的な大量虐殺が開始されていきます。その犠牲者は、少なくとも600万人を越えるとされています。
 さらに驚くべきことに、ホロコーストが始まる以前に、1933年に「遺伝病子孫予防法」、1939年に「安楽死殺害政策」が制定、実行されていました。「遺伝病子孫予防法」は、精神、身体に関わる8つの疾患と重度アルコール依存症を、法定遺伝病に指定し、その患者には強制断種を行えるものとし、子孫を残せないようにしました。この強制断種の判断は裁判所に委ねられ、本人や保護者の合意は必要としなかったそうです。「安楽死殺害政策」は、遺伝病患者や心身障害者など、戦争の遂行に支障をきたすとみなした人々を、組織的に抹殺することを目的としたものでした。

 このような非人間的なことが行われた背景には、ダーウィンの進化論などによって、人間は進化というプロセスを経て今日の姿があるということが認識されたことにも、一つの要因がありました。人間は未だ進化の途上であり、そこに国家が介入し、優生な人間だけを残すことで、より強固な国家を形成できると考えられたのです。種の優劣は、自然淘汰によって自然に判断が委ねられるものとされていますが、それを人間が判断できるものと考えていたということです。

 ホロコーストをはじめとした国家的判断は、国家が主導していましたが、民衆もその一部は認識していました。ユダヤ人の大量虐殺という事実は知らされていなかったそうですが、ユダヤ人の他国などへの追放は、日常の中で目の当たりにしており認識していました。
 しかし、大きな反対の意を示さなかったのは、ユダヤ人の追放によって得をする人がいたことにも一因があるとされています。ユダヤ人が追放されることによって、職に空きができたり、家が空いて安く入手できたり、自己の利益につながる人も少なくなありませんでした。つまり当時の人々は、人種差別に対して、激しい嫌悪感を持つような価値観や、その危険性に対する認識を持ち合わせていなかったのだと考えられます。

 ナチ時代の考え方や政策、人々の行動を見ていると、現代の多様性をうたう社会とは真逆であることが分かります。
 多様性という考えがごく当たり前に流布している現代では、多様性を求めることは人間の本性であるように感じてしまいますが、私たち人間には違った側面もあるようです。現代の多様性を重視する社会の裏側には、このような過去の凄惨な歴史が存在すると言えそうです。

 ちなみに、ヒトラーは、ユダヤ人を本当に恐れていたのでしょうか。それとも、国家統治のために、ユダヤ人という共通敵を作ったのでしょうか。
 これについては、その言動の徹底ぶりと、ヒトラーが自害する前に残した遺書を見ると、心底ユダヤ人をドイツ人の脅威として、恐れていたように感じられます。遺書には次のように残されていました。
「ユダヤという|腫瘍《しゅよう》は私が切り取った 他の腫瘍のように。未来は我らに永遠の感謝を忘れないであろう」
 多様性を認めることは世界の平和につながる、ということが言えるのかもしれません。

(吉田)

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