2021.11.27

負い目のさき。 ーその立場だからできることは

人は、自分が不利な立場にあるときだけではなく、有利すぎる立場にあるときにも、負の感情を抱きます。しかしその負の感情は、問題を意識するきっかけともなっているはずです。今週もおつかれさまでした。立場を活かすのもひとつの道だろうか。  

(文量:新書の約12ページ分、約6000字)

 自分が普通に得ていたことを、ほかの人がものすごく苦労して得ていたり、得ることをあきらめざるをえなかったりする事実を知ると、その話を自分はしてはいけないような気になってきます。たとえば、普通に大学を卒業した自分がいたとしたら、その一方では夜間学部にアルバイトをしながら通い卒業した人がいたり、そもそも兄弟が多くて進学自体をあきらめざるをえなかったり。苦労を競いたいわけではないけれど、自分だけラクをしているような気がして、ちょっとした負い目のようなものを感じることは時折あるのではないでしょうか。これは不公平を嫌悪する人間の心の作用なのではないかと思っています。他の誰かが不当に利益を得ていれば怒ったり自分よりも優位な立場にいれば嫉妬したりしますが、反対に自分が得しすぎていることにも人間は不安を抱いたりするようなのです[1,P139]。
 過ぎた話であれば、その話題をそこそこにやりすごすこともできます。自分とは違う経験をした人も、ほとんどの場合は、それを振りかざしたいわけでもないでしょう。
 しかし現在進行している事の場合ではどうでしょうか。たとえば、性別によって社会的な優位性に差が生じているという問題です。物事を決める立場に男性の方が多いことで男性に有利な制度ができていることでしょう。そのような事実を知るほどに有利な立場にある人たちは、閉口するか、居心地がわるくなって距離をとるか、いすれにしても関わり方に戸惑いを感じるはずです。これでは、対立が生まれやすくなって解決の道へ進むことが難しくなってしまうかもしれません。

 自分なりに苦労をしながら普通に生きてきたはずなのに、ある事実を知ったり、コミュニティを移ったりすることで、恵まれていてばつが悪いと感じるようになることは、ジェンダーの問題のほかにもいろいろな場面であるように思います。今回は、そのばつの悪さの相対性などにも触れながら、自分がそのような立場になったとき、どのような姿勢であればいいのか考えてみたいと思います。

負い目の相対性

 まえに、アーティスト活動をしている人から、飲みの席でこんな話を聞いたことがありました。「自分は学歴があるというごうを負っている」と。
 その人は、CDデビューもしているアーティストでしたが、高学歴とされる大学を出ていました。そのときはアルバイトをしながら活動をしていたと思います。業を負っているというのは、学歴があることで、もしアーティストとして芽が出なかったとしても、就職がしやすい・仕事が見つけやすいということです。話の文脈からして、その人の周りの人たちは大学などは出ていないのではないかと思います。だから、自分だけが有利な立場にある、得をしている(気持ちになってしまう)、という意味での業なのです。
 有利な立場にあったり恵まれたりしていることを突きつけられることで罪の意識にちかいものを感じるのは、不思議なことです。自分が良い立場にあるのであれば喜べばいいはずなのですが、そうはいかないのです。もちろん、高学歴を得るということは受験勉強という努力を経ています。しかし、「いいよな頭が良くて」とか「うちにそんな余裕はなかった」などと言われれば自分の有利さを単純に喜ぶことなどできません。
 協調しながら生きるための社会性をもった人間は、不公平を嫌悪する心の特性を備えていると考えられています。その嫌悪感は周りに対してだけではなく、自分にも向けられます。つながりのあるコミュニティのなかで、自分だけ有利な立場になるようなラベルを備えていれば、「業を負っている」と言ってしまうような負い目を感じることがあるのです。

 負い目とは相対的なものであることがわかります。
 大学を出て就職をせずにアーティスト活動をしている人は、就職をして企業に勤めている人に比べたら、挑戦している・苦労をしている、ということで負い目を感じるような立場にはならないかもしれません。しかし、アーティストというコミュニティのなかでは、高学歴が負い目を感じさせることになります。同じ人であるのに、自分がどこに居るかによって、負い目の感じ方は変わってくるのです。たとえ今感じずに済んでいたとしても、コミュニティを移れば、恵まれていることに苦悩する可能性はあるのです。
 コミュニティを移らなくとも、あるとき突然に負い目を抱くことがあるかもしれません。それは、実は自分が有利な立場にあると、知ったときです。
 最近では多様性を尊重しようという運動が活発になり、マジョリティとされる人以外の生活上の不便や、制度やインフラの具合の悪さなどを知る機会が多くなってきました。なかでも男性に優位な社会構造になっているという問題は、人口の半数に近い人が実は有利な立場であったと認識することになるので、大きな関心事であるはずです。しかし私を含めてですが、多くの男性は、その有利さを理解しているとは決して言えないのではないでしょうか。
 かつては選挙権が男性にしかなったり、女性が学問を修めることに難色を示されたり、就ける仕事にも男女差がありました。男女の雇用の機会や待遇を均等にすることを求める「男女雇用機会均等法」が施行されたのは1986年のことです。仕事における男女平等などあたり前に守られるべきことだと思われるかもしれませんが、それをわざわざ法律にして施行したのが、わずか35年前でした。
 今では、目に見えやすい男女差は少なくなってきたのかもしれません。しかし、そう感じていることこそが有利な立場にいる証である、とも言えるのかもしれません。異性愛をもつ男性をマジョリティとして、そうではない人たちとの差を社会構造などをまじえて論考している『マジョリティ男性にとってまっとうさとはなにか』の中で、著者の杉田俊介氏は次のように指摘しています[2,P16]。

 マジョリティであるとは「ノーマルな」「一般的な」「自然な」存在である、という意味ではありません。自分たちのあり方がこの社会の中で「ノーマルな」「一般的な」「自然な」ものと思い込んでしまっている人々、あるいはそうした無自覚な思い込みを許された人々のことです。
 たとえば女性は、自分が女性であることを日々さまざまな場面で実感させられながら生活しています。これに対して多数派の男性たちは、自分が男性であるとそれほど強く意識せずとも暮らしていけます。(太字は本の中では傍点)

決して努力や苦労をしていないわけではないけれど、自分の属性や立場に理不尽さや葛藤を抱えていない人はマジョリティである、という指摘です。性別の問題だけではなく、気づけていない自分のマジョリティ性は、きっといろいろとあるのだと思います。そして多様性を尊重する社会とは、そうしたマジョリティ性をひとつひとつ自覚していくことを意味するのかもしれません。

負の感情の作用

 すこし暗い話を続けてしまっていますが、もうすこしだけ続けさせてください。徐々に、ではどうすればいいのだろうかという前向きな思考に切り替えていきたいと思います。

 自分の有利な立場を自覚することで抱く負い目は、負の感情であると言えます。負の感情は、長く抱き続けることが難しいものであると思います。自分が有利な立場にある状況では、その問題に対して安易に口を開くことがはばかられて、居づらさを感じることでしょう。すると、次第にその場から離れたくなっていくのではないでしょうか。つまり、不公平さを感じずに済むようなところで過ごすようになり、いわゆる社会的な分断が起きていくのではないかということです。したがって、負の感情を負の状態のまま持ち続けるのは、当人にとっても社会にとっても得策ではないと考えます。

 自分が有利な立場にいることで感じる負い目は、負の感情ではありますが、決してマイナスに働くことばかりではないと思います。ストレスに感じることはあっても、そのストレスが不公平を感知する信号のような役割を果たし、問題を意識することができます。不公平さが過度にある集団や社会は、似た属性ごとの集団形成を促し、分断を招き、争いを生んでいくと考えられます。今のような広くつながりすぎてしまった社会はその問題を困難にしていますが、人間がこれまで社会を形成し生きてこられたのは、不公平を検知し嫌悪する心があったからではないかと考えられます。不公平に敏感で嫌うからこそ、それが是正され社会が保たれてきたと考えられるのです。
 負い目の感情が生まれることは、決して悪いことではないのだと思います。学ぶことやなにか自分なりの活動を始めるきっかけになるはずなのです。

それぞれの立場から

 不公平が問題だからといって、みんながみんな同じになろうとすることは、違うのだと思います。もしかしたら江戸時代のように身分を統制したり藩から出ることを禁じて育つ場所も同じにしたりしてしまえば、経験や属性を同じにコントロールすることはできるのかもしれません。しかしそれでは、それぞれがもつ能力や性格、偶然に得られた機会などを活かすことができず窮屈なはずです。有利な立場から不利な立場へ向かうことを強いられるのも、また分断を生むことにつながるでしょう。みんなで不利な立場になっていくことは望まれることではないはずです。才覚や機会を活かす自由さをもった上で、それぞれの立場があるからこその向き合い方が必要になってくるのだと思います。

 すこし突飛な例かもしれませんが、イギリスの君主であるエリザベス女王(二世、1926年〜)は、約600の慈善団体の会長や総裁などとして関係を持ち、活動を支援しているのだといいます。また、このような慈善的な活動をしているのは、女王陛下だけではありません。イギリスには約20人の王族がいますが、その20人でおよそ3000の団体の会長や総裁を務めています。たとえば、子どもの権利の保護を目的としたNGO団体セーブ・ザ・チルドレンは、現在約30の国々で連携し活動しています。その総裁をエリザベス二世の第一王女であるアン王女が、1970年以来務めています。
 イギリスは、日本と同じ立憲君主制を採用している国です。君主であるエリザベス女王は日本の天皇にあたり、国家を動かすような政治的な代表ではありません。しかし権威は有しており、他国にも知られる存在です。また総理大臣とは違い務める期間が長いため、他国の要人と長く関係をもつことができます。そして政治を動かす立場にないということは、他国に対しても総理大臣に比べて公正中立な立場をとることもできるのでしょう。そのような立場をつかって、ときに人権問題を解決することにも一役買うこともあるようです[3,kindle1512]。
 コモンウェルスという、かつてはイギリスの植民地で現在は独立している国々で構成される政治的共同体があります。1979年のコモンウェルス諸国首脳会議では、南ローデシア(1965年にコモンウェルスから脱退)の黒人差別政策を終わらせることが、最大の争点でした。しかし、当時のイギリスの首相であるマーガレット・サッチャーは、この問題に対して関心を示していなかったといいます。そこでエリザベス女王は、旧知の仲である黒人首脳たちが会話する場にサッチャーを連れ出し、間をとりもったのです。翌日の会議からは、サッチャーはまるで別人になったかのように積極的に発言し、翌月にはロンドンで南ローデシア各派の指導者を集めて交渉を開始させたといいます。
 王族は、生まれたときから特別な存在であることに疑いはありません。求められる規範意識や受ける教育、または進路の制約など多くの大変なことはあるのでしょうが、どのコミュニティに属していようとも、いわゆる普通とは立場を異にする存在であることは自認せざるをえないはずです。エリザベス女王をはじめイギリスの王族は、自分とは違う立場の人が抱える問題の解決にその立場をフル活用しているように思えました。距離をとるようなことはなく、自分を小さくみせるようなこともなく、立場そのままに関わっていこうとしているように思えるのです。

 経験していなければその問題に関わってはいけないように思ったりもしますが、決してそんなことはないのでしょう。アメリカの黒人解放運動の指導者として知られるキング牧師の演説には、黒人だけではなく白人も参加していたといいます。差別を受けていない側の人も、その不公平さや不条理に憤りを感じて運動に参加していたようなのです。差別をしてしまっているマジョリティ側の人が運動に参加していることは、より多くのマジョリティとの接点を生み出していたのではないかと想像しています。

 自分だけ恵まれていると感じたとき、負い目の感情を抱いてしまいます。その感情のさきにあるのは、ひとつは閉口し、居づらくなって距離をとっていくことなのかもしれません。負の感情を抱き続けることは辛いからです。しかしもうひとつとして、自分の有利な立場からなにかできることがないかと探してみることもできるはずです。その問題に関する情報に注意を向けたり、自分なりに学んでみたり。そうしていくうちに、自分なりの持ちカードや余力をもってできることが見えてくるのではないでしょうか。それは社会運動のような大きな事でなくても、身近な人への接し方を変えてみるような事でもいいように感じます。
 『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』の著者・杉田俊介氏は、著書のなかで次のように言っています[2,P14]。

日常生活を営む上で、多種多様なマイノリティの人々と特に関係を持たずにすんでしまうこと、それ自体がマジョリティの特権の「結果」であるのです。(太字は本の中では傍点)

ここまで言われたらやっぱり距離をとっていくという選択はし難いように思えます。実際、きちんと関係をもって自分なりの関わりを見つけていくのがいいのでしょう。しかし、掻き立てられるだけの動機づけでは、すぐに息切れしてしまうようにも思います。個人的には、まずはテレビやメディアなどの情報に注意を向けたり、周りの人をみたりしていくことから始めていきたいと思いました。


〈参考図書〉
1.亀田達也著『モラルの起源 ー実験社会科学からの問い』(岩波新書)
2.杉田俊介著『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か ー#MeTooに加われない男たち 』(集英社新書)
3.君塚直隆著『立憲君主制の現在 ー日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)

(吉田)

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