今日、「不便益」をキーワードとして先生にお話を伺いました。伺った先生は、京都大学デザイン学ユニット特定教授の川上浩司先生です。
・http://www.design.kyoto-u.ac.jp/faculty/h-kawakami
お話を聞いて思ったことは、時代の変化とともに「不便益」という言葉が浮かび上がってきたのだなということでした。
不便益とは大まかに言いますと、不便であるがために得られる益のことを言います。
例えば、たどりつくのが大変な秘境があったとします。車を手配したり途中からは歩かなければいけなかったり、その過程で衣服が汚れたり、とても不便です。でも、行き着くまでにいろいろな人や事との出会いがあり、学びや思い出話は増え、秘境にたどりついた時の感動も一段と増すはずです。
このように、物理的・心理的なコストは大きいのだけれど、それゆえに得られる益を不便益と言います。例で示したのは感情的・主観的な益ですが、もっと機能的・客観的な不便益も多く挙げられます。
興味深かったのは、「不便益」というのは先生の師匠がある日突然使い出した言葉で、先生もその師匠も元々はAIの研究をしていたということです。
AIとは、どちらかというと便利を追求するものであり、不便益ではなく、ストレートに便利益を提供してくれるものであるはずです。でも、AIが人間の能力の拡張にとどまらず、人間の代替にまで及ぶことが想像された時に、AIを追求するだけでは何だか面白くないなと思ったりしたのではないか、というような話をしてくださいました。
工学の先端に身を置き、便利が追求された先の社会を想像した時に、もっと別の価値のあり方を模索するべきではないかと考えた先に出てきた言葉が「不便益」だったのかもしれないということです。
手間を省いた便利を追求するという価値の置き方は、高度成長期のスローガンであったのかもしれないという話もしてくださいました。
今でもリアルタイムで社会はどんどん便利になっています。私もどんどん便利なサービスを使っています。
しかし、生活や仕事の全てを便利という価値基準だけで置き換えてしまうのは少し違うのではないかと、踏みとどまらせてくれるのが「不便益」という視点なのではないかと思いました。
不便益という視点から、どのようなものが見えるのか、何が考えられるのか、もう少し整理してテーマを練り直し、ブックレットを作っていきたいと思います。今考えた方がいい社会のこと、そして自分のことにつながるテーマと内容にできそうです。
ちなみに今日の私の不便益は、インタビューの文字起こしを、最近出てきている自動文字起こしサービスなどは使わず、自分の手でやりました。おかげで、先生との対話を思い出しながらいろいろと考えを巡らせることができました。といいつつ、新しいサービスに二の足を踏んでしまうという私の性質が先行しているような気もしますが…。
(吉田)