車輪を持った動物は、なぜ存在しないのでしょうか。
自転車に乗れば分かるように、車輪のある乗り物は少ない力で大きく前に進むことができます。なんとも効率的です。車輪とは、他の動物には難しい、人間だからこそ生み出せる高度な発明品なのでしょうか。
この謎を明かす糸口は、車輪の弱点に目を向けてみると見えてきます[1]。
結論から言いますと、車輪は、段差や柔らかい地面では前に進むのがものすごく大変という弱点を持っています。
たとえば、人間界の話になってしまいますが、車椅子の資料によると、車輪の直径の1/4くらいまでの高さなら体を前後させながら何とか乗り越えられるようです。しかし、もっと段差が高くなって、直径の1/2=半径=地面から車軸までの距離、を越える段差は原理的には乗り越えられません。
これは、自転車や自動車を運転した経験から、なんとなく納得できるものではないでしょうか。ほかにも、砂地などの舗装されていない地面に車輪を踏み入れると、大きく推進力を失った経験もあるはずです。
つまり、車輪は少ない力で大きく前に進むことはできますが、それは平らで整った地面に限られるということです。
人間は動物の中でも比較的大きい方ですが、犬やネズミなどの動物や、ましてや昆虫などは備えられる車輪の大きさにも自ずと限界があります。そして、彼ら彼女らが生きる環境は、デコボコだらけ、不整地だらけです。
自然界だけではなく、人間界に進出した動物・昆虫にとっても同様です。おそらく、一見整えられた歩道も相当にデコボコに見えており、昆虫にとってはいくつもの岩山を越えていくように歩いるのではないでしょうか。だから、自然環境ではもちろんのこと、人間によって整えられた都市的な環境でも、車輪を備えるにはまだ非効率な環境なのかもしれません。
昨日、街なかを歩いていたときに、ベビーカーを押す人が一見なんでもないような段差に引っかかっていました。ガツッと止まって、よいしょと持ち上げて何とか通過していたのです。その段差は、ベビーカーの車輪の直径の1/10にも満たない、わずか1,2センチくらいに見えました。
おそらく私たちの環境は、「マジョリティ」と定義された人にのみ適応されたところがいくつもあります。視線の高さを変えたり使う道具を変えてみることで、良くできるポイントがまだまだ見えてくるのだろうなと思いました。
〈参考〉
1.本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書,1992)
(吉田)