2020.12.08

視点の紹介 | 「いいライフスタイルについて考える」読書会②

(文量:新書の約10ページ分、約5000字)

 一昨日は、「いいライフスタイルについて考える」読書会の一回目でした。この読書会は、ここ半年くらいで急速に変わったライフスタイルを、一度ゆっくりと引いた目線から考えてみたいということを趣旨にしています。ウイルスの脅威によって制約が生じ、それに対応するように生活を変化させてきました。しかし、その変化は一過性のものではなく、脅威が去った後でも元に戻らずにそのまま残るものもありそうです。こういう変化のとき、改めて自分自身のことや周りのことを見つめ直す機会でもあるのではないかとも思っています。
 とはいえ、何かしらの違和感や課題感を感じてはいても、それが何なのかは案外自分でも分からないものです。そこで、読書会に参加してくれた方の読書を参考に、ライフスタイルについて考える視点の紹介を試みたいと思います。
 視点に関連する本をなるべく紹介したいと思いますが、詳しく紹介できるのは自分で読んだ本に限られてしまいます。参加者に任意でいただいた読書感想をこちらに掲載していますので、そちらもご参考にしてください。また、この読書会の概要については、初回のイベントを紹介したこちらをご覧ください。


食事生活

 食生活ならぬ食事生活という視点があるのではないかと感じました。食生活は何を食べるかに主眼が置かれていると思いますが、食事生活とは誰と食べるかという点に着目したものです(食事生活とは思いつきの造語です)。食事とは、単なる栄養摂取の時間ではなく、コミュニケーションの時間でもあると思います。午前中の仕事を終えて同僚と食べるランチ、家に帰ってから家族と食べる夕ご飯、会社帰りに寄るいつもの居酒屋、休日に友達と食べるランチや飲み会など。コミュニケーションが伴うご飯があり、ご飯が伴うことで目的もなく話せる時間となるはずです。そのような食事生活にも今、変化が生じてきてはいないでしょうか。読書会参加者が持ってきてくれた『縁食論 ―孤食と共食のあいだ』(藤原辰史著)から、そんなことを思いました。
 海外のどこかの国では、お昼の時間に教会に町の人々が集まり、ご飯を食べるのが慣習になっていると聞いたことがあります。特に食に困っているからとかではなく、そこに暮らす人たちがただご飯を食べるために集まってくるのだと言います。日本では縁食と聞くと、特殊な家庭事情を抱えた子ども向けに非営利団体が食事を提供することを思い起こすかもしれません。しかしリアルな接点が薄れつつある今は、世間一般のこととして、食事というものに向き合ってみるのもいいのかもしれません。何か足りないなと感じていることが、食事によって満たされていく可能性もあるのではないでしょうか。

生活とコミュニティ

 最近はコミュニティやサードプレイスという言葉や概念をよく耳にするようになった気がします。人が生きていく上では、受け皿や緩衝材のようなものが必要なのではないかと感じています。人生がずっとうまくいけばいいのですが、環境が変われば長所短所が入れ替わったり、健康を害することなどもあったりするのでしょう。そのような波があるので人は受け皿のようなものを求め、それがあると安心して頑張れたり、健康でいられたりするのではないでしょうか。昔は受け皿が地域社会であり、少し前までは終身雇用を前提とした会社にあったように思います。それらがかつてほど強固でなくなってきている今、改めて次の時代のコミュニティが求められているのかもしれません。
 参加者の方が『評価と贈与の経済学』という本を持ってきてくれました。この本は内田たつる氏と岡田斗司夫としお氏の対談をまとめたものです。二人ともお互いにおもしろがって対談しているのですが、二人の話から想起される社会観は少し違うのではないかと感じます。私も触発されて少し読んでみました。
 内田氏は、努力の結果はいつ表れるか分からないという前提のもと、運や縁を大事にしているようです。なんらかのスキルや知識を重んじるというよりは、〇〇道というような道を教えたり、生きる力を養うことが重要であると考えます。実際に合気道の道場を営んだり、文筆活動ではファンも多いようですが、内田氏の周りにはそのような価値観に基づいたコミュニティが形成されているのでしょう。
 他方で岡田氏は、「“お金を払って働く”社員に所属してもらうオンラインサロン」を運営しています。お金を払って働く社員とは普通と逆の現象ですが、要は岡田氏のおもしろい活動に直接触れられるという体験や、岡田氏と一緒に活動することで学びや経験が得られるということをリターンとして働くということだと理解しました。最近では、プロジェクト活動が盛んなコミュニティにお金を払って所属し活動に参加するタイプのものがありますが、それを最初にやったのが岡田氏であるとされています。あのホリエモンも、岡田氏に聞いてその発想が浮かばなかったことを悔しがりながら、自分でもオンラインサロンを始めたそうです。
 岡田氏のコミュニティは成長の機会もあり刺激的ではありそうですが、少し疲れそうでもあります。それに対して内田氏のコミュニティは所属感や安心感は得られそうですが、少し人間関係が面倒そうでもあります。この本で読書をしていた参加者の方は、「さまざまな思想の共同体が並行して存在し、自分の価値観に合わせて属する集団を選択できる自由がある社会はいいなと思います。」という読書感想をくれました。この感想を読んで、あるいは両方に所属するのもいいなと思ったりもしました。多様な経験や情報が得られる岡田氏のようなコミュニティと、何か一つのことを見つめたり深めたりするような内田氏のようなコミュニティ。二つの間を行き来するというのは、新体験かもしれません。
 コミュニティというのは、地域コミュニティという言葉に代表されるように、生活と切り離せないものであり、生活そのものであるといっても過言ではないのではないかと思います。最近では様々なオンラインコミュニティやサードプレイスが登場しており、個人で選んでいくつでも参加できますが、一度大きな視点で眺めてみて、自分の生活におけるミックスの仕方を考えてみてもいいのかもしれません。

自分の時間・他人の時間

 時間というものは色付けされることなく無機質に流れているようでいて、意識的に意味付けをしようとすると、途端に色合いを帯びてきます。読書会の中では、時間というキーワードが何度か出てきており、問いかけとして要約すると「自分の時間を生きられているだろうか。他人の時間を生きすぎていないだろうか。」ということでした。これは社会人にとってはなかなか難しい問いかけだと思います。会社があり家庭があり、自分の時間を生きるという考えを抱く余裕すらない人もいるかもしれません。また、社会人としては他人の時間を生きるのもある程度は必然であるように感じたりもします。
 そもそも、「自分の時間」とは何なのでしょうか。本の内容を聞いていると、自分のビジョンに合っていること・自分の視点を交えて過ごすことというように書き記されていたようでした。言い換えると、自分の価値基準に沿って活動できている時間のことでしょうか。これは、シンプルな言いまとめでありながら、実際に行うことは簡単なことではないとも感じます。
 ときには刺激的すぎるとも感じられるテーマですが、穏やかな語り口調で「自分の時間」で生きるということをイメージさせてくれる本があります。スープストックトーキョーなどを展開する株式会社スマイルズ代表の遠山正道氏の『やりたいことをやるというビジネスモデル』です。仕事に寄ったタイトルではありますが、おそらく遠山氏のなかでは仕事とプライベートの区別はなく、一体の中でいつも思案しているのだと感じられます。たしかに、本の中で紹介されるコンセプト文や試作品の出来上がり方などを見ていると、一般的な仕事という感覚を持っていては発想として上がってこないような気もします。本のタイトルにあるビジネスモデルのような内容はあまりなく、「PASS THE BATON」という一つの事業・お店が出来上がっていくまでのストーリーとなっています。ライフスタイルとしての仕事というような感じで、仕事よりも生活の仕方に影響を与えてくれる本かもしれません。
 ほかにも、本ではありませんが、「北欧、暮らしの道具店」のオリジナル短編ドラマ「青葉家のテーブル」は、自分の時間で生きるということをイメージさせてくれるもののように感じました。自分の時間で生きることが本当にいいことなのか・自分の時間で生きるとはどういうことなのかは、考えても分かりにくそうなので、こういった本や動画に接してみるのもいいのかもしれません。こういうのに触れると、自分の時間で生きたいなと、やっぱり思います。

時空を越えた生活観察

 視点を定めすぎずに、違う時代や違う国の生活に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。参加者の中に、朝鮮近代文学選集の『思想の月夜』という本を読み、素敵な感想をくれた方がいました。
 時代背景を調べた上で文学を読むと、人はこんな状況ではこんなことを思うんだとかこんな行動を起こすんだとか、自分を省みるような体験をすることができます。人は時代が変わっても、中身はそこまで変わらないと考えられるからです。
 文学ではありませんが、ホイジンガの『中世の秋』では、産業革命を迎える前の時代・中世ヨーロッパの社会の様子が描かれています。一般的には質素で、貪欲さのようなものは見られにくいとされる中世ですが、その反面、儀式・儀礼は敬虔けいけんさをもって執り行い、死を伴う決闘のようなものが行われる残虐さもあり、行為の一つ一つに大袈裟さのようなものが感じられます。それは、生活の質素さに対する反動であったのかもしれません。ホイジンガは、「はなはだ説明にはこまるのだが、こう確信してもかまわないと思うのだ」と前置きしながら、このようなことを言っています。「人間にわりあてられている生の幸福、のびやかな喜び、甘い憩いの総量は、時代によってそう差があるわけではない」。中世の敬虔さや大袈裟さがいいかどうかは一旦置いておいて、時代が変われば人が幸福を求めるスタイルも変わるということなのでしょう。
 世の中が変わった先に、どのようなライフスタイルが生まれるのか、少し楽しみではないでしょうか。時代や地域ごとのライフスタイルに目を向けながら、これからについて想像を巡らせてみるのもいいのかもしれません。

 私は『暇と退屈の倫理学』をちょうど読み終わったところでした。概要としては、今のところこのように読み解いています。
 狩猟採取時代の遊動生活から、農業革命以後の定住生活に変化したことで、ヒトは退屈を余儀なくされた。なぜなら、現代の家の引越し前後のあたふたする様子を想像すると分かるように、遊動生活をするということは勝手の分からないことに慣れ、習慣化させることの連続だからだ。現代の消費生活や、何かしらの目標や目的の中に自分を置きたがるのも、退屈により生じている欲求であるとも言える(この部分は私の拡大解釈の可能性があります)。
 なんとも認めたくない内容ではありましたが、否定しきれない自分がいるということは、どこか心当たりがあるのではないかと思っています。ですので、まだ納得はできていませんが、これから一つ一つじっくり解釈していきたいと思います。そして、納得できないくらいの刺激的な内容であったからこそ、ブックレットの題材にしたいなとも思っています。そこに、実は何かしらの課題を解決に導いてくれる、新しい視点があるかもしれないからです。本自体は、考古学的な内容やマルクスの資本論、パスカル等の哲学者の思想まで、一般的には難しいであろう内容がとても平易な文章で書かれているとてもいい本だと思いました。ただ、内容が刺激的なので、読むかどうかはお任せします…。

 これからこの読書会は、どのように広がっていくのでしょうか。随時このような形で読書会で出た視点や考えをまとめていきたいと思いますが、どうかそれに囚われることなく、ご自分の読みたい本を自由にお持ちいただければと思います。それでは、お待ちしています。


〈読書会について〉
 読書会の情報については、FacebookページやPeatixをご覧ください。申込みをせずに直接訪れていただいても結構です。ただ、たまに休むこともありますので、日程だけはご確認いただければと思います。

・Facebookページ:https://www.facebook.com/liber.community0/events/
・Peatix:https://peatix.com/group/7196488/view

 また、リベルの読書会のスタンスはこちらに表しています。
読書会のスタンス

(吉田)

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