何かに判断を下すとは、感情よりも理性が支配的であるというイメージがないでしょうか。頭の中で選択肢それぞれのメリットやデメリットを思い浮かべ、目的に対して合理的である方を冷静に選ぶというイメージです。
しかし、私たち人間はちょっとした状況変化に感情が揺さぶられ、判断が揺れ動いてしまうようなのです。
たとえば、トロッコジレンマをご存知でしょうか。次のようなジレンマです。
今、制御不能になったトロッコが線路を走ってきています。その線路の先には5人の作業員が倒れています。
あなたの目の前には線路の分岐器があり、レバーを引いて切り替えればトロッコはもう一つの線路に走っていくので5人を助けることができます。
しかし、もう一つの線路にも、1人作業員が倒れているので、その人を死なせてしまうことになります。
あなたは分岐器のレバーを引きますか?それとも何もしませんか?
どのような判断を頭の中で下したでしょうか?
これまので多くの研究では、多くの人がレバーを引いて5人を助け1人は犠牲にするという判断をすることが知られています[1,kindle1515]。あくまでも頭の中のシミュレーションの話ですが、より多くの命を助けるという点に関して合理的な判断を下すのです。
しかし、次のような場合ではどうでしょうか。歩道橋ジレンマと言われる状況の想定では、また少し判断が変わってくるのです。
同じく、制御不能になったトロッコが線路を走ってきています。その線路の先には5人の作業員が倒れています。
あなたは今歩道橋の上に立っており、すぐそばに体の大きなAさんがいます。Aさんを歩道橋から突き落とせばトロッコが止まり、5人を助けることができます。
あなたはAさんを突き落としますか?それとも何もしませんか?
トロッコジレンマに比べると少しハードな状況想定です。これまでの研究では、トロッコジレンマに比べて、Aさんを突き落として犠牲にすることは許されないとする人が多いことが知られています[1,kindle1524]1人の犠牲の上に5人を助けるか否か、という問題の本質は変わっていないように思えますが、私たちの判断は揺れ動くようなのです。
このような判断の揺れには私たちの感情が影響している考えられます。より直接的に手を下す歩道橋ジレンマでは、人間としてやってはいけないことだという心が働いてしまうのではないでしょうか。ちょっとした変化が、感情に影響を与え、判断を変えてしまうのです。
私たちは、決して同じ状況がない毎日を、揺れ動きながら判断し生活していると考えられます。一見同じように見える状況でも違う判断をしてしまう自分や他者を、単純に評価することは難しいのかもしれません。先々の影響を想定し判断パターンを準備しておくことは有効であるとは考えますが、もう一方で揺れ動く心を許容しておくことも重要であると考えます。揺れ動くことを前提に、決して責めるのではなく、一つの経験として整理して次に活かしていく気持ちを持つことが大切だと言えそうなのです。
明日の後編では、状況の違いではなく「気分の違い」が判断に影響を与える事例について紹介し、判断についてもう少し考えてみます。
〈参考〉
1.阿部修士著『意思決定の心理学 ー脳とこころの傾向と対策』(講談社,2017)
2.画像元のフリー写真提供者:https://pixabay.com/ja/users/Antranias-50356
(吉田)