2024.04.20

客観性が必要な世界とそうでもない世界。

誰かとコミュニケーションをとるとき、その誰かが遠いほどに客観性というのは必要になるような気がします。今はけっこう遠い誰かとコミュニケーションをとることが多いのかもしれません。その一方でごく近しいところでは主観性で成り立っているように思います。

 少し前の読書会で『客観性の落とし穴』という本を読んでいる方がいました。私の言い方になりますが、客観性は個性の見落としやときには差別につながることがある、しかし効率的であるという話が紹介されて興味深かったです。
 客観性というのは、みなからみて共通に判断できるような評価軸や基準をまとっていることの度合いなのだと思います。代表的な例で言えば、お金はかなり客観性の高い価値をもっているのだと思います。自販機の飲み物は誰が買っても120円です。だから120円の価値はみなにとって同じであり客観的にこの程度であるという共通認識を持てるのだと思います。そして同時に効率的です。120円と言われれば120円を出せば済みます。例えば質屋などでありそうな「この着物には思い入れがあって」などという主観性を帯びた交渉の余地はお金にはありません。100円は100円です。誰が持っていようと、どんなに頑張って稼いだものであろうと、そのお金の価値はみな同じです。なのでお金はとても客観性が高いと言えるのだと思います。
 それが一方では、個性の見落としにつながるということなのだと思います。お金に個性を見出すのは難しいのですが、例えばりんご1個の価値が相場で100円だとします。スーパーに100円のりんごが並んでいる。産地の表記はあるけれど、いつも・どれも同じりんごに見える。だから80円だったら安いと感じるし、150円だったら高いと感じる。しかし、そのりんごは様々な農家がJAに卸したものをごそっとまとめて販売網に乗せて消費者に届けているものです。だから同じように並んでいても、隣同士のりんごは実は違う農家が作ったものかもしれません。だけれども、どこの農家がどうやって作ったものなのかは分かりません。しかし効率的です。生産者はJAに持っていけば買い取ってもらえます。市場いちばに置いてきてあとはいくらで売れたかをFAXで受け取るだけです。もちろん、JAはただまとめて画一的に買うだけではなく、糖度測定をした上で買い取り価格を決めるという手の込んだ方法も用意しています。だけれどもそれも糖度という画一的な基準です。りんごは糖度が高ければおいしいというのはいかにも客観的で、りんごらしいおいしさというのはおそらく追求すればあるのだと思います。ですので、りんごそれぞれの、あるいは他のフルーツや食品全般とは違うりんごのおいしさ・個性というのは、客観性の高い世界で扱われることで見落とされていると言えるのだと思います。
 もう一つ、客観性が差別を生むというのはどういうことか。私は『客観性の落とし穴』を読めていませんが、引き続き妄想で書いてみます。例えば、学歴というのは客観性が高い尺度として用いられているように思います。だから4つくらいの大学をまとめてネーミング付けをして評価したりします。そして、その一方では差別とまではいかなくとも低くみられる学歴というのもあるのだと思います。画一的な基準とそこに付随する序列が、差別や偏見を生むということなのだと思います。

 しかし学歴は効率的に使われもします。就職活動が分かりやすい例で炎上したりもしますが、採用する側からすれば県内からあるいは全国からくる応募者を何で判別すればいいのか頭を抱えてしまうというのも事実だと思います。だから学歴というのは客観的な指標としてありがたいものなのでしょう。
 同時に採用される側も学歴を武器とします。少しでも高い学歴をもっていることは少なくとも減点にはならない。だから受験を頑張ります。
 こういうことを思い起こしていくと、客観性があるというのは効率的であると同時に、大きな世界で生きていくために必要なものであるということが見えてきます。個人的なつながりで就職先を見つけるのであれば人柄や能力を知ってもらっているわけですから、学歴など出さなくてもいいのかもしれません。しかし、自分のことを知らない・相手のことも知らない大きな世界で生きていくためには、客観性をもってリーチしていく必要があるのだと思います。そういう意味では学歴とは大きな世界で生きていくためのパスポートのような側面があったのかもしれません。受験とは大きな世界へ出ていくために必要な通過儀礼のようなものだったのかもしれません。

 その一方で〈私〉が生きている世界は大きな世界だけではないと思います。りんごをいつも同じ農家さんから直接買っているかもしれませんし、昔なじみの友達を収入や学歴で判断したりはしません。そこにあるのは、自分のことを知ってもらっている・相手のことを知っている、〈私〉にとっての周辺の世界です。周辺の世界では客観性はいりません。
 しかし効率的ではありません。自分のお気に入りの農家を探すのは時間がかかるでしょう。産地と価格とサイズで絞り込めばお気に入りのりんごや農家が見つかるわけではありません。友達になるとか信頼関係になるというのも意識はしないかもしれませんが、大変なことです。何度も会っていろんな場面を共有することで築かれるもののような気がします。財務状況がいいから取引をする・勤務先が大手だから低金利でお金を借りられるというような信用をもとにした付き合いとは異なるでしょう。しかし信用をもとにした関係は効率的です。

 〈私〉は大きな世界と周辺の世界を生きている。客観性について考えたときに、あらためてそんなことを思いました。周辺の世界は、きっと主観で出来ているのだと思います。あいつとは気が合うとか、この店は食べログの評価は低いけどうまいとか。〈私〉の主観と相手の主観のなかで出来ている世界というのがあるのだよなと思いました。

(よしだ)

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