2021.05.15

考える小人。 ー本の紹介『思考の整理学』

 考えているとき、意識はどこかにいっています。腕をくんで斜め上を見ながら、経過する時間にくらべて書き出す文字の数は少なく、書き出してはまたうなる。しかし、あるタイミングでスルスルとひとつのストーリーであったり、かたちのようなものがまとまっていくことがあります。ただ、それは最終段階でのこと。軽快に頭から出力されていくのはある一時で、ほとんどの時間は、うなっているように思います。そのとき、わたしは何をしているのでしょうか。
 前回、『Third Thinking 』という本の紹介と合わせて「無意識思考」というものを紹介しました。無意識思考とは、情報や問いを抱えたまま別のタスクにあえてとりかかることで、頭の中で思考が進んでいき、抱えた問いに対する答えが導き出されていくというものでした。複雑な問題であるほど、無意識思考は有効に働くのだといいます。自分は別のタスクをやっているのに別のところで勝手に思考が進んでいるなんて、なんとお得なのでしょうか。
 自分の考えるという行為や、無意識思考という近年の研究に触れていると、考えているとき、実は「他のなにか」が代わりに考えていて自分はただ待っているだけなようにも思えてきます。自分では考えているのか考えていないのか本当のところは分からないほど、あいまいな状態の中にあるからです。でもどこかで着実に思考は働いていて、答えが導き出されているのです。いったい考えるとは、どういうことなのでしょうか。こんな疑問を漠然と抱えながら外山滋比古とやましげひこ氏の『思考の整理学』を読んでいたところ、考えることについて、ほんの少しだけ分かった気がしたので、紹介してみたいと思います。

 『思考の整理学』は、思考するときに気をつけることや思考が進むための実践術、あるいは思考そのものについての短いエッセイがまとめられた本でした。なかでも印象に残っているのが、考えることを「発酵」にたとえて表していたことです。
 考えるとき、まずは素材集めから入るのだといいます。著書の中では文学研究を例に記されていましたが、まずは文学作品そのものを読むことが勧められていました。ここで大事なことは、評論や批評は読まないこと。なぜなら、そこには第三者の考えが色濃く反映されており、先入観を植え付けられてしまうからだそうです。これは自分なりの考えをつくっていく上で、障害になってしまうということなのでしょう。まずは、“素”材をせっせと集めることが大事なようです。
 しかし、素材を集めるだけでは、いい考えはつくられていきません。そこに「酵素」が加わることで、考えがつくられていくのだといいます。酵素にあたるものは、他人との雑談の中にあったり、読書やテレビや新聞にあったり、ざまざまなのだそうです。ただ作品をこつこつと読んでいるだけではいけなくて、どこか異質なところから酵素を拾ってくる必要があるようです。
 そして、ここからが考えることを「発酵」にたとえて表すことの妙なのですが、素材と酵素が揃うだけではいけなくて、そこから「寝させる」ことが必要なのだそうです。著書ではビールが例に出されていましたが、麦と酵母を合わせただけでただちにビールができるわけでなく、寝させること・時間をおくことで発酵が進んでいきます。そして、この間は、変にかき混ぜたり、せわしなく「まだできないかな」などと気にしすぎてもいけないようです。菌が働いてくれることを、じゃまをしないように、じっと待つのです。
 この著書では寝させることで思考がどう進むのかということが科学的に説明されているわけではありません。あくまでも外山氏が実践経験から得た、どうすればうまく考えが進むのかがまとめられたものです。言うなれば職人技であり、熟練の杜氏だけが知るおいしい日本酒のでき方のようなものです。職人技と聞けば客観性に欠けるなどと思われるかもしれませんが、しかし杜氏は酒というものをよく知っており、どうすればおいしい酒ができるのかを知っています。
 寝させることは忘れることであり、実際にほんとうに寝てしまうことでもあるとも書かれていました。そして睡眠に入る前には、あまり頭の中を騒ぎたてるようなことをしてはいけないといいます。たとえば、寝る直前まで抱える問いに関する本を読んでいたり、こんつめて考えていたりすると、寝させることにはなりにくくなります。あくまでも、自分ではない何かを寝させてあげるかのように、そっと静かになっていくことが大事なようなのです。
 メモをとること、そしてそのメモを整理することも発酵に役立つといいます。浮かんだことをすかさずメモにとり、気になった記事などはスクラップブックにまとめていきます。そして、しばらくして見返して、脈アリなものは別のノートに移植して、「なんだこれは」というものはそのままにするか捨ててしまいます。こうしてどんどんと思考の質が濃くなっていきます。いらないものは捨ててしまうことは大事なようで、捨てないとどんどん詰まっていってしまい、うまく考えが進んでいかないようです。いい考えが浮かんでくるように、メモを束ね直したり、整理したりしてあげるのです。
 考えは臆病であるともいいます。何か浮かんでも、それを誰かに話して真正面から否定されようなものなら、その考えは引っ込んでしまい二度と出てこなくなるかもしれません。また否定されないまでも、浮かんだことはすぐに掴まえておかないと、どこかにいってしまい、思い出そうとしても思い出すことができません。だからメモをとる必要があり、いつ誰に話すかというタイミングなども気づかってあげなくてはいけません。

 これらはほんの一部を抜粋して紹介したものですが、いい考えを生み出すために行われていることをみると、やっぱり自分で考えているというよりは、「他のなにか」が思考活動をすることを助けている感覚に近いのではないかと思ってしまいます。考えようとしている自分は、参考になる素材集めに奔走し、刺激になるような酵素を探してきて差し出し、あとは待つのです。よく働いてくれるように、なるべく静かにして、整理整頓や掃除をして、作業場をきれいにしてあげることもします。少しデリケートなところもあるので、むやみに外の世界にほうり出したりしてはいけません。自分にできることは、その何かがよく働いてくれるような環境をせっせと整えることのような気がするのです。
 思えば、人間の内的活動は、自分でコントロールしているのではなく、よく働いてほしいなと思いながら任せています。胃や腸のなかで行われている消化活動も、体内に入ってしまったバイ菌を退治する活動も、わたしたちは意識的にコントロールすることはできません。筋肉をつけたいと思っても同様です。より筋肉がつくようなメニューを、適度なセット数やインターバルや頻度で行い筋肉に刺激を与えホルモンの分泌を促し、そしてタンパク質を摂取して筋肉が育つのを待つのです。
 そして、消化活動にもバイ菌退治にも筋肉増強にも、自分が働きかけるだけではなく、休むことも重要です。あちらにはあちらの活動のペースがあるのですから、むやみにせっついてはいけないのかもしれません。あるいは、こちらが活発な時あちらはあまり活発になれない、スイッチ機能のようなものがあるのかもしれません。決してこちらが必死になるだけではいけないように思えます。
 ただ、長い付き合いをしていくと、相手のこともだんだん分かってくるのでしょう。外山氏も、どれくらい寝させれば浮かんでくるか分からないので、最初のうちは論文を書くスケジールなどの算段もつけられないといいます。無理矢理に書くこともできますが、それではいい論文は出来上がりません。スケジュールが分からないのは仕事をしていく上で困りものですが、経験を積むことで、これくらい寝させれば浮かんでくるだろうなということが、分かってくるのだといいます。比較的簡易な課題であれば一晩でいいかもしれませんが、偉業といわれるようなものになれば数年・数十年の発酵期間が必要なのだそうです。相手が働きやすい環境や発酵が進みやすい刺激もさまざまで、経験によって精度が上がっていくのだと思います。

 「考える」とは、自分の意思をもって行うことと捉えるのが一般的なのかもしれません。しかし考えることに長けた人の著書からは、自分で一生懸命考えているというよりは、考える何かがうまく働くようにせっせと環境を整えているようにも感じられました。人によっても、抱える課題によっても、どんな環境を整えればいいのか、自分はどんな助けをすればいいのかは変わってくるように思います。経験を積みながら、いい考えが浮かぶための自分の奔走の仕方を模索していきたいと思いました。


〈今回の本〉
 キーワードが充てがわれた33の節で、思考について語られています。ページ数は220ほどなので1節7ページほどです。エッセイのような書きぶりで読みやすいです。ここに書かれたことを一気に実践にうつすことは大変そうなので、1節ずつ読んで気に入ったものを試してみるのでもいいのかもしれません。考えることは一生に近いくらい付き合っていくものだと思うので、思い出したときに読んで、少しずつ磨いていけたらいいのではないかなんて思いました。
外山滋比古著『思考の整理学』(ちくま文庫)

(吉田)

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