2024.01.27

答えのない質問と行く30分の思索。

あきらかに答えのないような質問について考える30分の時間。気持ちよくすっきり終わることばかりであるはずもなく、ときにはなんでやってるんだっけ?と思うことも。せっかくそう思ったのでなにが起きているのか少し考えてみました。

 こんにちは、よしだです。土日どちらかの午前9時半から、「質問「   」について考える時間。」というのを開いています。これは、『質問』(田中未知著,文藝春秋)という本のなかに収められている365の質問の中から一つ選び、参加者のみなさんでその質問について考えていく時間です。質問は答えが出ないであろうもので、事前にではなく当日その場で共有されるので、全員がフラットに思考を始めることになります。
 先日はこんな質問について考えました。

「地球が生まれたとき一番最初に生まれた音は何だったと思いますか 」

この質問に対して「ドカーン」でも「ピヨピヨ」でも「モーン」でも何でも答えを言うことはできます。でも質問が不思議すぎて答えよりも質問に目がいってしまう。それが『質問』の魅力というか魔力です。
 さて、何度もこの会を開いているのですが、なんでやっているのだろうと思うこともたまにはあります。別にやめようとかそんなことを考えるのではなく、たぶん発散しすぎて無な感じで終わったときにそう思いやすいのではないかと思います。人は答えのようなものを得て収束していったときに気持ちよさを感じ、ワケがわからなくなったときストレスを感じるように思います。せっかく、「なんでやっているのだろう」というもやもやが出現したので考えてみようと思います。ただ、答えが出る気がしないので、考えられるだけ考えて一旦は終わりにしてしまいます。

「地球が生まれたとき一番最初に生まれた音は何だったと思いますか 」

この質問が共有されたとき、一番最初にイメージとしての音がいくつか出されました。それは電子音のような音から地鳴りのような音まで幅広かったと思います。でもすぐに答えではなく質問へと目が向けられていきました。
 質問は大きく二つの部分に分けられます。一つ目は「地球が生まれたとき」であり二つ目は「一番最初に生まれた音」です。もっと焦点を絞ると「地球」と「音」の話がされたように思います。
 地球が生まれたときというのはいつの段階のことを言うのか。宇宙の誕生みたいな、岩みたいなものが集まり出した時のことを言うのか(もっとも、地球の始まりが厳密にはどうだったのかということはたぶん参加者のどなたも知りません)。あるいは、そのような物理的な原始状態を言うのではなく、神によって創造された時という宗教的な意味合いで捉えたらどうかという意見も出されました。私はその中間くらいで、今の地球のイメージである生命のいる「青い地球」をイメージしていました。
 一番最初に生まれた音に関しては、そもそも空気がないと音が聞こえないから、さきほどの話に戻ると地球に空気がある段階のことを言うのか、などと。そういった音の物理の話になると、音とは可聴域のものを言うのかとか、人間と他の生物とでは可聴域が違うとかいろいろと気になり始めます。という疑問が生まれたかと思えば、まったく別の方向から、地球を人格化して産声はどんなだったのか、地球は一番最初に何を思って何を喋ったのかみたいな物語調の展開も提案されました。
 さて、こんな風に多方面に話が振られたら司会進行役の人は普通なら困ります。でも安心してください。この会では、進行役の人は質問を共有したらいち参加者になるので、あまり気にしません。先日はこんな感じで話が発散したところで終わりました。30分という時間なので、一つの方向に深まるときもあれば、発散して終わることも多々あります。

 この会の意味を考えるにあたって出てきた話を少し抽象的にまとめてみます。
 地球の話も音の話も、科学か物語か、みたいな二つの方向の話の展開があったとみることができます。宇宙誕生的な地球の起源や可聴域の話は科学的な方向だったのだと思います。それに対して、宗教的な地球の誕生や地球の産声という話は物語的な方向だったのだと思います。
 では、どちらを選択するのか。そんなことは誰も決められません。私が進行者として決めるというのも一つの手かもしれませんが、その決め手がありません。
 そんなことを考えていると、一つのことに気づきます。
 それは、この会で出てくる質問には質問者がいないということです。
 質問者は『質問』の著者である田中未知氏ということになりますが、この場にはいませんし、いたとしてもおそらく意図などは教えてくれないでしょう。質問者がいない質問だから、意図もわからないし、どう答えたらいいのかもわからない。
 このような状況では自由気ままな回答や展開が許されます。というか許すも許さないもなく、誰もなんともいいようがない。これは究極の自由だ、というか自由すぎる。
 この状況は子供の頃の遊びや会話に似ているように思いました。子供は自由に歩を進めていきます。例えば、鬼ごっこをしていてジャングルジムの中に逃げ込んだ一人が、「ジャングルジムの中はバリアがかかっているから鬼は入ってこられないよ」と言い出すかもしれません。それがそれっぽかったらみんなで共有されるルールになります。大人が正しさを求めて「なんで?」と聞いても客観性や厳密性がない主観的ストーリーが展開されていきます。そんな世界観です。そして「質問「   」について考える時間。」はなんだかそんな世界に似ているように思いました。

 まとめようと思ってまとめると、違う世界を体験するというのがこの会を開くひとつの意味だったりするのかもしれません。それでも大人の集まりですから、さまざまな知識や経験が持ち寄られて話されるはずです。なのですが、科学好きな人が時には物語調の話に乗っかることもあるし、その逆のこともあるはずです。自分のペースでいくことはできないのだけれど、だからといってなんということもない。30分で終わりですから。その30分という時間だけ、どうなるかわからない自由さに身をあずけるというのがあまり日常にはない体験だったりするのかもしれません。

(よしだ)


 この会の紹介をこちらに載せています。

「質問「   」について考える時間。」について。

 

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