おはようございます。
リベルでは、ある意味では真理といいますか、人間とか社会とは根本的にどのようなものなのだろうかということを考えてみています。真理という言葉を出すこと自体おこがましいのですが、少し根本に近いところに立ってみることで、日頃のさまざまな出来事や抱える問題に対する見え方が変わるのではないかと考えているということです。
しかし、仮に「人間や社会がこういうものだ」と分かったとしても、変わり続ける社会において、本当にその理解は通用し続けるのだろうかと思うこともあります。通用しないのであればそれは根本的な知ではないと言われれば、それまでなのですが…。
たとえば、いろいろな分野の先生にお話を伺いながら感じることは、人は人と関わり合いながら生きているということです。人に迷惑をかけてしまってお返しをしなければと思ったり、人を助けたいと思って行動する気力が湧き起こったり、人に負けまいと野心が芽生えたり、そんな人同士の感情の交換が活動へとつながっていくのではないかということです。人の行動や動機、欲望といったものは、一人の中で完結しているわけではなく、常に他者を必要としているのではないかということです。
それがオンライン化の流れと共に、一人で完結するような方向に進んでいっているのではないかと感じることがあります。お互いに何かを交換して、それを行動や欲望の源泉にしている感覚を持ちにくいということです。
ではそのような関係性や閉じたような状態が絶対に解決すべき問題なのかと聞かれると、案外そこまででもないかもとも思ったりします。人は人と顔を付き合わせて激しく感情を交換して生きていた時代もあったけれども、それは過去の話で今はそうでもない、それでも社会は成立しているということも起こるのではないかということです。
さて、話が込み入ってしまいましたが、ではリベルでやっているような学ぶことや考えることは、何のためにやっているのかなという疑問に行き着きます。すると、それはやっぱり自分のためにはなるもので、自分のためにやることなのではないかと思います。
世の中がどうなっていくのかとか、世の中にとって何がいいのかとかは分からないけれども、自分が感じる違和感は確かなことだから、自分とその周りだけは、その感覚に従ってどうにか良い方向に変えていってみよう、というようなことです。感じている違和感を整理したり鮮明にしたりして、少しでも良い方向に変えてみようと思うことに、学んだり考えたりすることは役に立つように思います。いきなり変な方向に話がいってしまいましたが、何のために学ぶのか・考えるのか、という話題になぜか行き着きました。
今週もおつかれさまでした。
『不便視点』というブックレットをリベルに置いておきました。不便だからこそ得られる益があるということと、そんな視点をもって生活や社会について考えてみているブックレットです。もしよければ手にとってみてください。来週は、このブックレットを使う読書会も開きます。
■『不便視点 〜益が見つかるもう一つの方向〜』の置き場所
https://liber.community/inconvenient/
■『不便視点』を使う読書会のお知らせ
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(吉田)