「学問のすすめ」は、学ぶ意味を丁寧に教えてくれます[1]。
学問のすすめは、1872年(明治5年)に初編が出版された、福沢諭吉が書いた学びに対する啓蒙書です。これは歴史書としてもおもしろいです。明治維新を経て、新しい時代・明治を迎えた日本の様子が見て取れるからです。
諭吉は、士農工商から四民平等へと移行し、誰でもチャンスを得られる時代になったにも関わらず、相変わらず「お上」の様子を伺う市民の様子に不安や焦りのようなものを抱いていました。そこからなぜ、学びを啓蒙する「学問のすすめ」へとつながっていくのか、それは諭吉のこんな考えにありました。すごく簡単に、しかも私なりの解釈で書きます。
市民が学ばなければ、政府の不正や怠惰を見抜いたり正したりすることができず、政府が腐敗していく。市民が学ばなければ、市民の非道徳な振る舞いなどを抑えるために、政府が権力を強める必要性が出てくる。
反対に市民が学べば、政府に再び縛られることなく、平等で個々が独立した社会を築くことができる。さらに、学ぶことで、商いを成功させることも、外国に対抗することもできる。
このような考えをふまえると、「天は人の上に人を造らず」とは、「アメリカン・ドリーム」と同じような意味なのではないかと思えてきます。どちらも、機会の平等を良しとし、個人の独立と発展を追い求める精神を感じます。ただ、伝え方には少し違いがあるように思えます。
諭吉は、危機感を中心に伝えているように思います。他方で、アメリカン・ドリームは、危機感よりも期待感を感じさせます。血を沸かせる「アメリカン・ドリーム」と、意義から考え崇高な気持ちにさせてくれる「学問のすすめ」の裏にある信条。
前者だけでも危うい感じもするし、後者だけでも少し勢いが足りず動かない感じもする。実際に学問を進めるためには、ハイテンションさと崇高さの両方が必要なのではないかななんて思いました。
〈参考〉
1.福澤諭吉著/齋藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』(筑摩書房,2011)
(吉田)