おはようございます。
今週は、「不便益」という概念を提唱する先生にお話を伺ってきました。
不便益とは、不便だからこそ得られる効用のことです。例えば、デイサービスセンターであえて急な階段を残しているところがあるそうです。階段を意識的に上り下りすることで、身体能力の低下を防いだり、自分でできたという喜びを感じられたりすることができます。これらは不便だからこその効用であると言え、不便益であると言えるのです。
先生の話を振り返っていると、そもそも社会は便利をいつから追求しだしたのだろう、という疑問が一つ湧いてきました。ずっと昔、例えば江戸時代より前などは、便利というものをそこまで追求していなかったのではないかなどと勝手に想像してしまったのです。
先生は、工学を専門としています。工学製品を開発する時のスローガンは「いつでも誰でも同じように使える」というものだそうです。このようにして作られた製品は、使い手は迷うことなく使えて便利ですが、まさに「工学的」というイメージそのものです。工学的製品は産業革命以後に生み出されるようになったものであると考えられるため、日本では明治時代以降に「いつでも誰でも同じように使える」便利なものが量産されるようになっていったのではないでしょうか。
もちろん、江戸時代以前にも便利を追求した道具は作り出されていたと思います。包丁は刃の欠け具合から職人が研ぎ方を変えてみたり、着物は着る人の体型に合わせて仕立てられたりしていたはずです。でも便利をどんどん追求するというイメージとは違ったのではないかと想像してしまいます。
あまり根拠のある話ではありませんが、人間や社会にとって、生活に便利を追求するという価値観はそこまで当たり前であるとは言えなかったのではないかと思いました。
先生は工学の専門であり、かつてはAIを研究していたといいます。工学もAIも、どちらかというと便利を追求する分野です。それが今では、便利とは反対の不便による益(を生み出すモノやコトのデザイン)を研究対象にしています。
きっかけは、同じくAIを専門としていた先生の師匠がある日突然「これからは不便益」と言い出したことにあると言います。さらに便利になる社会をAIの研究を通して見た時に、便利という価値基準だけではいけないのではないかと思うに至ったということなのでしょうか。
ブックレットの作成を通して、不便であることの意味や価値について考えていきたいと思います。
今週もおつかれさまでした。それにしても便利から不便とは、まさに180度の方向転換。
■今週・来週の読書会の予定です。
今週はお休みしますが来週は開けます。
・https://peatix.com/group/7196488/events
(吉田)