2020.04.14

欲望の総量は変わらない?

 14世紀、ヨーロッパでペストが大流行し、その後イタリアでルネサンスが興り、中世に終わりを告げ、大航海時代や産業革命へと続いていきました。その変革の時代への突入の要因を、ペストに求める考えもあるようです。その理由はこのようなものです[1]。

①労働力の急激な減少による賃金の高騰。それに伴い労働力(農民)が流動的になり荘園制の崩壊が加速。
②教会が権威を失い、国家というものが人々の意識中に登場。
③既存の制度の中では登用されることのないような人材が登用され、社会や思想の枠組み組み替える原動力となった。

 しかし、そもそも中世という時代に限界が来ていたのではないかとも思いました。なぜなら中世とは、成長意欲や野心を持つことは悪いことであると考えられていたからです。その抑圧的な環境にペストが襲いかかり、その悪夢が去った後、人々は開放的になり開拓や革新を求めたのではないかとも考えられます。
 ちなみに中世において成長は悪であると考えられていたのは、周辺地域は攻め尽くしたし、世の中の真理は聖書に書いてあって全てを知っているし、もう成長の余地ないよねと考えられていたからだとどこかで読んだことがあります。成長の余地がないということは、誰かが成長したいと思うとパイの奪い合いになるから、成長は悪という社会規範ができあがっていたようなのです。
 そこから新大陸が発見され、科学的知見の発達により聖書の誤りや長らく信じられていた古代ギリシャ・アリストテレスなどの考えに間違いが見つかります。世の中はまだまだ成長の余地が大いにあるじゃないか、ということで今日の成長を良しとする時代へ突入していったようなのです

 話を戻しまして、ペスト後の変化の要因を分かりたくて『中世の秋(上)』(ホイジンガ著)を読んでみたが、その結論は分かりませんでした。
 しかし思ったことがあります。それは、禁欲的・牧歌的と言われる中世の人も現代の私たちも、欲望の総量という点では同じなのではないかということです。

 中世の人は、禁欲的と言いながらも、生き死にのかかった決闘をしてみたり、男女の交際に全身全霊を注ぎ込んだり、葬儀後の喪に服する期間が長かったり、生活や人生の一つひとつに全力投球であるように感じました。
 この時代、現世には希望を見出さず死後の世界に希望を見出しており、そこに宗教が大きな力を発揮していました。
 しかし、生活や人生の一つひとつに全力で取り組み、なんとか充実を感じようとしていたように感じたのです。ホイジンガは、この時代は華やかな表現が良しとされなかったので、書物や芸術等が極端に禁欲的・抑圧的なものに偏っており、時代背景もそのように認識されてしまったのではないかとも書いていました。

 人間の欲望の総量は変わらない、社会規範などでそう抑えられるものではない、そう言えるのかもしれないと思いました。今はまさに、いろいろなことを自粛し、欲望を抑えつけています。早めに開放する手段を見つけることが、自分のためであり社会のためであるのかもしれません。さて、私たちはこれからどのような手段が見つけていくのでしょうか。


〈参考文献〉
1.『人類が直面する新たな感染症の脅威』(長崎大学 山本太郎教授著)

(吉田)

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