2020.12.19

今週のこぼれ話。無意識とアート。

無意識を知ると創造的になれる気がしました。こころとは大きなもので、大きなものだからこそ可能性を感じられます。自己は無意識に存在する。

 人の行為や意思決定には「無意識」が大きく関わっていると言われており、私たちのこころは意識よりも無意識が大きな割合を占めていると考えられています。臨床心理学者の河合隼雄氏は、「心を図示することなどまったくできない相談であるが、便宜的に」と前置きしながら、以下のようにこころの構造を表しています[1]。

 図で示されていることの一つは、こころの構造において意識が占める割合は小さく、無意識の割合が大きいということです。意識はこころの氷山の一角にすぎないと表現されることもあります。無意識のうちの個人的無意識とは、個人が生まれてから実際に経験したことで、かつては意識されていながら次第に忘れられたか、何らかの理由によって意識から排除されたかなどの内容によって成り立っています。普遍的無意識とは、個人が実際に獲得したものではなく、生まれながらに持っているものであると言います。たとえば、母親や父親に対して抱く基本的なイメージなどが該当すると言います。普遍的無意識は、ある家族や文化圏に共通する家族的・文化的に獲得されているものから、人類一般に共通するものまで広くあるとされています。こころの構造の下の部分が閉じていないのは、人は周囲と普遍的無意識を共有しているためであると解釈されます。
 そして、自我とは、意識の中で認知する自分自身のことなのでしょう。自分はこういう人物である、こういう時にはこういう行動をとる、こういう考え方をもつといった認識を指しているのだと思われます。興味深いのは、河合隼雄氏が専門とするユング心理学では、自我と自己が分けて考えられているということです。自我とは意識部分に存在しますが、自己は意識・個人的無意識・普遍的無意識を包含するかたちで存在するとされています。あえて存在位置を示すのならば自己とはこころの重心である無意識内に存在し、自我とは自己のはたらきを意識化したものであるとしています。つまり、くり返しになってしまいますが、私たちのこころは多くの無意識と共にはたらいているのです。このような意識に現れないこころの部分を、深層心理とも言います。

 臨床心理学では、無意識部分にあるイメージや記憶を具現化する方法として、箱庭と呼ばれるものや絵画や音楽を用いるものがあるそうです。箱庭とは箱の中に砂や玩具を置き、その箱の中で自由に何かを表現する心理療法に用いられるものです[2]。つまり、言語では表に出てきにくいものが、これらの方法によって表に出てくるのです。もちろん、これらの方法は専門的な知識を持ち、訓練を受けた人でなければ行うのは危険なものであると考えられます。奥に押し留めた記憶を無闇に表に出すことになりかねないからです。また、箱庭は軽い気持ちでやってみようと思っても、決してこころの内を表すようなものにはならないと言います[3]。

 さて、このような深層心理と、深層心理を表出させる方法を知ると、なぜたまに芸術に触れたくなるのか分かる気がしないでしょうか。なにか行き詰まりを感じた時に、なぜか美術館や博物館に行きたくなります。あるいは、アイディアやアイディアを表す言葉につまった時に、他の人が示してくれた絵や図などによって具体化していく・一気に形になっていくこともあります。
 こころの構造を知っていくと、アイディアとは意識的な部分にだけあるわけではなく、無意識的な部分に眠っていることが多くあるのではないかと考えられていきます。芸術家やアーティストとは、普遍的な無意識の部分も含めて意識に表出させることができる才がある人だとも言えるのかもしれません。
 意識的な部分は言語が表現を得意とするところ、あるいは自発的に言語化できる部分がすなわち意識化されている部分であると考えられますが、無意識的な部分を言語で表現することは困難であると思われます。そこで、アートなどの別の技法が必要とされるのではないでしょうか。少し長めの引用になりますが、河合氏は、無意識の探求について以下のように言及しています[1,kindle561]。

イメージとシンボルは、いままで述べてきたように、われわれの体験の言語化しがたい部分を生き生きと描き出してくれる。それゆえ、イメージやシンボルは人間の無意識の探求には不可欠の素材なのである。われわれはそれらを通じて無意識を知るべく、その特性をできるかぎり言語化し、意識化することに努めるのであるが、それによってもなお常に把握し残された部分のあることを忘れないと同時に、言語化を焦りすぎて、それらのもつ生命力を奪ってしまうことがないように注意しなくてはならない。

 最近は、アートとビジネスを結び付けて語られることが多くなってきていると感じます。その文脈は様々なようですが、私たちのアイディアは意識部分だけでなくなく無意識部分との連携によって創出されるとしたら、その無意識部分の大きさから、そこに眠るアイディアの豊富さに期待を抱かずにいられません。また最近では、マインドフルネスも無意識に自覚的になる、つまり自己を自我とする方法として注目されています。いろいろと湧いてくるような生活や人生は楽しそうでもありましたので、今回は無意識や意識、深層心理について紹介させていただきました。


〈参考文献〉
1.河合隼雄著『無意識の構造 改訂』(中公新書)
2.一般社団法人日本臨床心理士会「箱庭療法」
3.河合隼雄・小川洋子著『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮文庫)

(吉田)

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