中世のヨーロッパにおいて大学が誕生した背景には、都市を拠点とした広域的な人や物の往来が活発化したことがあると言います[1]。
10世紀頃から農業生産力が上昇し、地域間商業が活発になりました。発達した都市をハブとして、商人や修道士などが地域間を行き来していたのです。地域を往来する彼らは、必然的な様々な情報や知識を得ていきます。はじめは、彼らの周囲に人々が集う、たまり場のようなものから始まりました。イメージとしては、紙芝居を聞く子どもたちのような雰囲気でしょうか。
そこに次第に、知識人の話を聞く場を管理する者たちが現れ始めます。はじめは聴講者であったであろう彼らは、組合のようなものを形成し、場をアレンジし、聴講料を徴収し始めたのです。このような組合が今の大学の起源であると考えられているようです。
このような成り立ちを見ると、大学は、知の往来の結節点をつくることで価値を生み出したと見ることができます。多様に移動する知識人が豊富に備えた情報や知識を、還流する場を作ったのです。
しかし、仮に知識人が結節点に留まるようになったら、どうなるのでしょうか。
この時代の知識人は、移動をすることによって人々にとっての価値ある情報や知識を手に入れていたと考えられます。移動しなくなれば、知の貯金を切り崩すばかりで、新たな蓄積は困難になります。
人や物の往来によって価値がもたらされている結節点は、そこに居る人たちを留まらせてはいけないのだと考えられます。これは、大学だけではなく、他の様々な組織などにも言えることなのかもしれません。結節点は人を留めてはいけないし、流れが多様である結節点に価値が生まれると言えるのかもしれません。
〈参考〉
1.吉見俊哉著『大学とは何か』(岩波新書,2011)
2.画像元のフリー写真提供者:https://www.photo-ac.com/profile/634884
(吉田)