社会人になったときに思ったことの一つは、仕事ができるためには、頭がいい以外の多様な能力が必要ということでした。人の懐に入る、批判を恐れずにぶっ込む、淡々と自分の考えにもとづいて進み続ける、など。学校では偏差値のような分かりやすい指標の中で生きてきましたが、あの指標はなんのためにあったのかと疑問に思ってしまいました。
来週の火曜日に「“自分は”何を学ぶべきか」というテーマで、行動遺伝学などを専門とする先生にお話を伺ってきます。
学業成績や、スポーツや音楽の才能、または勤勉性・外向性・協調性などの性格に至るまで、平均して50%程度は遺伝に由来するということが研究によって明らかになってきました。特にスポーツや音楽は9割がた遺伝に由来するとのこと。確かに、私がどう頑張ってもウサインボルトにはなれそうにありません。
能力が遺伝に依存するということは、「どう」だけではなく「何を」学ぶべきかに焦点を当てることも重要であるということになります。自分は何が伸びるのか、また性格も遺伝であるということは何に興味を持てるのかも、遺伝にもとづくものと考えられます。私たちの社会では、学ぶことをあらかじめ定まっており、それをより効率的に学ぶための手法に注目が集まりがちではないでしょうか。今度お話を伺う先生は、遺伝を考慮すると「どう」以前に「何を」が大事であると言います。
そして、能力が遺伝に依存するということを受け入れる時に必要とされるのは、遺伝的形質・能力はものすごく多様である一方で、社会的な指標は画一的であるということです。
たとえば、外向性も協調性も高い人は外に出ていろんな情報を持ってきてくれるかもしれませんし、もう一方で外向性は低い(内向性が高い)けど協調性が高い人は集まった情報を整理してくれるかもしれません。外向性も協調性も低い人は、世間の非常識を打破するような研究成果を打ち出すかもしれません。
このように遺伝に由来する能力は掛け合わせで多様になり、また環境によっても発揮のされ方が異なります。それに対して社会的に目立ちやすい指標は、比較的画一的であると思われます。そのような社会環境を前提に、自分の能力の価値は自分で見つけていく・定めていく必要があるとも言います。
次のブックレットでは、遺伝に対する理解を深めながら、それぞれが異なる遺伝的形質を持つ個人が何を学ぶべきなのかを考えていきたいと思っています。具体的な方法というよりは、「自分は何を学ぶべきなのだろう」と思いや考えを巡らせるようなものにしたいと考えています。
今週もおつかれさまでした。何事も捉え方次第でプラスに働かせることができる、なんて偉そうに言ってみます。
(吉田)