2024.06.22

話が難しくならないように。 〜なぜその方がいい?

読書会などで話をしていると、どんどん話が難しくなっていくことがあります。でも本当は、難しくなってついていけなくなるようなことはない方がいいと思っています。難しくならないようにどうすればいいのか、考えていきたいと思います。

 読書会でも話す会でも、話が難しくならない方がいいと思っています。しかし何だか難しくなってしまう。
 これは大事な課題なので、1. なぜ難しくならない方がいいのか?、2. なぜ難しくなるのか?、3. 難しくならないための解決策は?という3つに分けて考えてみたいと思います。もちろん、難しくならないように。
 今回は1の「なぜ難しくならない方がいいのか?」について考えてみます。

 これは価値観の問題でもあるのかもしれません。「別に難しくなってもいいではないか」という人もいるでしょうし、それはそれでいいのかもしれません。でも、リベルの読書会では、実は難しくならない方が好ましいと思っています。もう価値観の問題だと言ってしまっているので、私個人の意見に近くなってしまいますが2つ挙げてしまいますね。

1.せっかくだから、みんなで参加する

 もはや、この理由が5割を超えて8割くらいを占めるかもしれません。
 なにかしらのきっかけとルートをたどってこの読書会に参加してくれたのですから、一緒に会話なり対話なりをできた方がいいですよね。その場にいる=参加ということではなく、聞いているだけでもいいからその人自身が参加できているという感覚をもてることが大事なのではないかと思います。

2.知をより使いやすく、そして豊かに

 難しいということは、そう感じている人にはその話は通じていないということを意味します。
 難しくないということは、その人たちにその話が通じていることを意味します。会話も弾みますし、協力なり協調なりがしやすくなります。
 自分のもっている知識や考えが、より多くの人にとって難しくないと感じられるものであるということは、それらがより生活なり仕事なりに生きてくるということではないでしょうか。言うなれば豊かさと通じるものがあるように思います。

 3つ目に「世界を広げたい」というのも挙げようと思いましたが、なんとなく重複している気がしたので、ここでやめておきます。
 書いていて、難しくしないこと自体がそもそも難しいのだろうと思えてきました。難しくならないようにするというのは、少なからず相手に合わせていくということであり、相手の中の理解を片一方に置きながら話を展開するということだと思うからです。
 そうなると、先走ってしまいますが、難しくならないようにするというのは話し手と聞き手の協力が必要なのかもしれません。話し手だけがそれを意識して労力をかけるのではなく、聞き手もその難しい話の解きほぐしを一緒に担う必要があるということです。そもそも、難しいと感じているのは聞き手の方ですから、何が難しいのかを壇上に上げていくことがまず必要になります。そうなると、聞き手と話し手が交代して、聞き手が何が難しいのかを話していく必要があります。そのとき、元々の話し手が聞き手になります。
 さて、先走りすぎてややこしくなってきたので、今回はここらへんで切り上げます。「なぜ難しくならない方がいいのか?」という疑問については、「1.せっかくだから、みんなで参加する」「2.知をより使いやすく、そして豊かに」という2つを応えとしておきます。

(よしだ)

カバー画像出典元

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