2024.07.06

話が難しくならないように。 〜なぜその方がいい?.ver2

できれば話は難しくならない方がいいと思っています。「難しい」ということの意味合いは、ありたい姿に反する課題であるという整理をして、ありたい姿について考えてみました。まとまりのない途中経過ですが大事な問題だと思うので引きつづき考えていきます。

 読書会や話す時間で、話が難しくなることはできれば避けたいことだと思っています。ただ、それがなぜなのか、そもそも難しいとはどういうことを言っているのか、それ自体が難しいことです。話が難しくならないようにと言っても、難しい話をしない方がいいと考えているわけではありません。たとえば、こころの問題は簡単ではない難しい話だと思いますが、そういう難しい話はやめましょうよと考えているわけではありません。
 話が難しくなることを問題だと思っているのは、漠然とでももっている「ありたい姿」に反するからだと思います。
 ありたい姿に近いことは以前こちらで書きました。でも、考えていくうちに少し不足しているとも感じたので、今回はその付け足しをしたいと思います。ここでいう「難しい」とはどういうことを言っているのか、ありたい姿を考えていくなかで見えてくるのではないかと思っています。
 以前は、「なぜ話が難しくならない方がいいのか?」という問いに対して以下の2つを挙げました。ちなみに、これは読書会全体で明確に共有しているものではなく、私個人が考えているものをただ書いていっているにすぎないことをお断りしておきます。

1.せっかくだから、みんなで参加する
 もはや、この理由が5割を超えて8割くらいを占めるかもしれません。
 なにかしらのきっかけとルートをたどってこの読書会に参加してくれたのですから、一緒に会話なり対話なりをできた方がいいですよね。その場にいる=参加ということではなく、聞いているだけでもいいからその人自身が参加できているという感覚をもてることが大事なのではないかと思います。

2.知をより使いやすく、そして豊かに
 難しいということは、そう感じている人にはその話は通じていないということを意味します。
 難しくないということは、その人たちにその話が通じていることを意味します。会話も弾みますし、協力なり協調なりがしやすくなります。
 自分のもっている知識や考えが、より多くの人にとって難しくないと感じられるものであるということは、それらがより生活なり仕事なりに生きてくるということではないでしょうか。言うなれば豊かさと通じるものがあるように思います。

ここに挙げた2つを訂正しようとは思っていません。でも、以下のもう1つを追加したくなりました。

「3.その場その時に生まれるものを楽しみたい」

 1はある意味では集団生活における道徳観みたいなものかもしれません。人が集まっているところでは、うまく入れない人はなるべく出てこないようにした方がいいのではないかということです。特にこの読書会は、組織ではなくコミュニティですから、「このレベルについてこられない人はそれまで」みたいなプロのセレクションみたいな厳しさはありません。
 2は個人に焦点を当てた話です。本を読んだり話を聴いたりしながら、知識や考えを成熟・洗練させていくみたいな意味合いです。ただし、これを目標にしているということではありません。しかしながら、本などで得た知識をそのまま話しても、それを読んでいない人には話が通じないこともあるかもしれません。ですから、自分の言葉で誰かと話してみて、偏りがあると感じれば修正を加えていくことは、知と付き合っていく上でひとつ大事なことのような気がしています。
 1も2も大切なことだと思っていますが、どこか一般論的でした。集団生活の一般的なありたい姿、知と付き合っていく上での一般的なありたい姿に思えてしまいます。この会ならではのことではないかもしれません。
 では、私が思うこの会ならではのありたい姿とは何なのか。なぜ、わざわざ集まって本なり誰かの興味関心なりに触れながら、考えたり話したりする時間を開いているのか。それは、その場その時に生まれるものを楽しみたいということだと思います。自分一人の時間では考えられないことや、生まれない興味関心を求めてのことだと思います。
 本には誰かの考えが書かれていますが、その本を選ぶのが自分である限りは自分の興味関心や知識に寄っています。そして何かを考えていて行き詰まったとき、何度考え直しても大抵は同じところをぐるぐる回るだけです。だから、目的も目標もない、そのときの自分や目の前のことから離れる時間が欲しかった。そんなことがきっかけでこの会を始めたように思います。だから、「読みたい本を気ままに読む読書会」のような、言い方はあれですが、雑多な時間をつくっていきたかったのです。「楽しみたい」として「楽」の方向にいっているのは、楽ではない緊張感のある時間はすでに日常にあるだろうからです。ただ純粋に楽しむにしても視野を広げるにしても、緊張感のある時間よりは緩さがある方がふさわしいと思っています。
 その場その時で生まれるものを楽しみにしているのであれば、一方的に誰かが話すモノローグ的な時間ではそれは得られません。参加している人の思考や価値観や興味関心や感じ方が混在していくことを、その場その時で何かが生まれるというのではないかと思います。

 次回は、ありたい姿を踏まえた上で、話が難しくなるとはどういうことを意味していて何が問題なのか、考えを進めていきたいと思います。それにしても、「ありたい姿」とはすこし言葉が硬いですね。話を整理するために持ち出した言葉なので、もう少しいい言葉を探したいと思います。

(よしだ)

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