2021.04.23

欲には歴史があった。 ーテーマ「人の欲」の読書会

 3月から始めた「人の欲」をテーマにした読書会も、今度の土曜日で最後になります。そこで一足先になりますが、どのような話題が出て、どのようなことを考えることができたのか、振り返ってみたいと思います。


読書会で読まれた本

 読書会では、終わった後に読書感想を任意でもらっています。もらった読書感想の本タイトルは以下のようなものです。

「利他」とは何か / 人生がときめく片づけの魔法 / 年収90万円で東京ハッピーライフ / 自由からの逃走 / 絵を見る技術 / 風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 / 大人の友情 / 生きるということ / 運命が見える女たち / 孤独と不安のレッスン / Think clearly / われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか。

読書感想はこちらに載せています。

 ちなみに主催者は、精神科医・泉谷閑示氏の『「普通がいい」という病』や、高度成長期の日本社会を振り返った『東京オリンピック ー1960年代(ひとびとの精神史 第4巻)』や、西洋心理学の研究者とチベット仏教の象徴であるダライ・ラマ氏の合同研究会をおさめた『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』などを読んでいました。

欲と人、そしてその歴史

 読書会では自由にいろいろな本が読まれ話題も多様でしたが、全体として振り返ってみると、欲と人とは切っても切れない関係にあり、そこには歴史があるように感じられました。
 まず分かりやすい例としては、何千年も続く仏教でも、近代に発展した心理学でも、行き過ぎた欲や感情に対して探求の目が向けられているということです。私が読んでいた本になってしまいますが、『なぜ人は破壊的な感情を持つのか」の序文で、ダライ・ラマ氏は次のように言っています[1,P11]。

人間の憎しみの多くは、その根に破壊的感情があります。憎しみは暴力を増長し、異常なまでの渇望は人を悪癖に溺れさせるのです。心ある人間としてわたしたちにできることは、そういった制御不能な感情に起因する苦しみを少しでも緩和することです。仏教も科学も、その任を立派に果たせるとわたしは考えています。

ここで、破壊的感情とは、人生を狂わせてしまうような行き過ぎた欲と近い意味があるのではないかと解釈しています。本のなかでは、仏教修行者の協力のもと瞑想中の脳の状態を計測した科学的結果をダライ・ラマ氏に共有したり、欲や感情に関する西洋科学の見解を共有した上で議論したりしていました。千年単位の歴史をもつ東洋的学問である仏教と、近代に急速に発達した西洋的学問である科学が、同じ土俵の上で見識を深めていく様は、本を通しても迫力を感じられるものでした。決してどちらがという話ではありませんが、仏教と比べると1/10程度の歴史の短さで仏教と同じ土俵に上がった科学も、近代的な技術や装置なしに身体的且つ実践的に見識が深められてきた仏教も、すごいと思いました。また、特に長い歴史をもつ仏教で、欲や感情をテーマとして探求されてきたということを知ると、人にとってそれは普遍的な課題であるのだと感じさせられました。

 人と欲の歴史は、なにも科学・宗教・哲学などの体系的な学問からのみ感じられるわけではありません。
 『年収90万円で東京ハッピーライフ』では、自分にとって何が楽で何がどれだけ必要かを考えて、住む場所をはじめとした生活の一つ一つを決めていったことが、記されていたといいます。その結果、週二日程度のアルバイトで生活を賄えているのだそうです。社会で一般的とされる欲の程度に惑わされずに、自分の欲のかたちに向き合った著者の日々が感じられました。

 ほかにも、読書の感想と合わせて少しおもしろい例え話が出されたりしました。欲は、必ずしも個人の内から生まれるわけではなく、周囲や社会によっても個人の内に生み出されているという話に関連して、「千と千尋の神隠し」に登場した「カオナシ」が持ち出されました。記憶が少しあいまいですが、紹介してみたいと思います。
 カオナシは作中で最初、弱々しく登場します。ただ、砂金を錬金術のように生み出す能力があるらしく、主人公・千のいる温泉旅館に着くと、砂金をコロコロと落とし始めます。すると旅館の従業員たちは「これは金づるが来た!」と言わんばかりに、カオナシにどんどん食べ物をもってきて世話を焼きます。すると、最初は声も体も態度も小さかったカオナシは、どんどん大きくなっていきます。そして従業員にどんどん砂金を与え、さらに世話を焼かれ、またどんどん大きくなっていきます。しかし果てには、主人公の千には「そんなもの(砂金)いらない」と言われ沈み込み、大きくなり過ぎた体は破綻し食べ物を吐き出してしまいました。そして実は、砂金は本物ではなく、ただの泥や土のようなものだったのです。
 温泉旅館の従業員は偽物の砂金に踊らされていました。カオナシは、世話を焼かれることでおそらく承認欲求のようなものが満たされ、どんどんとそれが欲しくなり、増長していきました。そして偽物の砂金を出し続けたのです。従業員とカオナシは互いに欲をぶつけあい、双方から押し上げられて隆起していくかのように、欲が増長していきました。きらびやかな温泉旅館の雰囲気もそれを助けたのかもしれません。つまり欲とは、個人の内から生まれるだけではなく、他者や場によっても生み出される自発的ならぬ他発的なものであるとも言えそうなのです。そしてこのような実体のないものに欲をかきたてられるということは、これまでも、そして身近なところでも気づかないところで起きているようにも感じられました。

歴史に学び、耳を澄ます

 こうしてみると、欲はなんだか少し煩わしくも思えてきます。破壊的な感情に平穏な生活を破壊されてしまったり、実体のない砂金もどきに翻弄させられてしまったり。
 しかしながら欲は、人が生きることを支えているはずです。仮にマズローの5段階の欲求説が人の欲をきれいに分類しているとするならば、生理的欲求がなければ、栄養をとることも心身を回復させることもできません。安全の欲求がなければ、危険を回避することもできず、ひとたび戦争のようなことが始まれば際限なく続けてしまうことになるかもしれません。所属と愛の欲求がなければ、人と人とが助け合いながら困難を乗り越えることができなくなるかもしれません。承認の欲求がなければ、尊厳をもつに至ることができず、自分の考えをもって状況を変えていくことができなくなるのかもしれません。自己実現の欲求がなければ、周囲からもたらされる欠乏感から逃れることができず、また一人一人が違うことを尊重する多様性を受け入れることもできないのかもしれません。こうしてみると、欲とは人が毎日を生きることを支え、社会をつくり、持続性や心地よさを生み出すものに思えてきます。

 だから、そこに歴史があるのかもしれません。人の生を支える側面と、それを狂わせてしまう側面、その両面をもつ、なんとも繊細な欲に向き合ってきた人の歴史があるのです。
 仏教をはじめとした古来より続いてきた哲学や学問からは、欲に対する洞察だけではなく、それに対峙するためのこころの修養の仕方も学べるかもしれません。近代的な心理学などからは、科学的な根拠とともに、より鋭く欲をとらえられるかもしれません。人の意識にはのぼってこないような無意識の部分にまで及ぶ深い心性が絵や詩、物語などで表現された芸術からは、自分のなかの何かが掻き立てられ、それを省みることで自分が本当に欲していることや反対に欲していないことに気づくことができるかもしれません。
 人の欲とは、みな同じものを同じ量だけ持っているわけではなく、人それぞれにかたちが違うように思われます。年収90万円でハッピーに暮らす人もいれば、世にある贅の全てを体験したいと考える人もいます。また、年齢やライフイベントを重ねるごとに、欲に対する価値観も変わっていくはずです。長い歴史のなかで積み上げられてきた学問や芸術や随筆・エッセイのなかには、それぞれの欲の関心にフィットするものがあるはずです。そしてそれに触れることで、自分の欲のかたちが浮き彫りになっていくのかもしれません。

 個々の欲のかたちを、自己実現の「自己」や自分らしさの「自分」と類似のものと仮にするならば、欲のかたちを正しく捉えることは簡単ではないと思われます。さまざまなこころの症状に向き合ってきた精神科医の泉谷閑示氏は、著書『「普通がいい」という病』のなかで次のようなことを言っています[2,P74]。

人間を一つの国家にたとえてみると、現代人の多くは、「頭」が独裁者のようにふるまう専制国家のようになっています。

たとえば、「学校に行きたいのに、行けない」とは、本当にこころから学校に行きたいと思っているわけではないといいます。学校に行きたいのではなく、学校に行く“べき”だと頭で考えているというのです。このような「〜すべき・〜であるべき」というのが現代には多いため、現代人は頭が独裁者だというのです。頭が強すぎると、こころや身体の声に耳を傾けて正しく認識することは難しくなるのでしょう。自分の欲だと思っていることは、周りから植え付けられたものであったり、増長させられたりしたもので、本当のかたちから逸脱したものになっているのかもしれません。読書会という意識寄り・頭寄りの会を開いておいて言うのもなんですが、最後は自分のこころに耳を澄ませることが、こころのかたちを知る上では重要になりそうです。ただし、読書は、意識にあるものが整理されたり、時には無意識にあるものを引き出してくれたりするという点で有意義だと思っていますけども。

 人の欲とは、時には暴走するけれども、かといって煩わしいからとフタをしてはいけない、扱いが難しい繊細なものに思えました。おそらく、今の生活が自分の欲のかたちにあっていたとしても、時が経てばさまざまな影響をうけて、かたちから逸脱したり、かたち自体が変わっていったりするはずです。定期的に、さまざまな欲の歴史に触れながら、その時の自分が関心の湧く欲に向き合う時間をとってみたいと思いました。


〈参考図書〉
1.ダライ・ラマ著/ダニエル・ゴールマン著/加藤洋子訳『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』(アーティストハウス)
2.泉谷閑示著『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)


〈読書会について〉
 読書会の情報については、FacebookページやPeatixをご覧ください。申込みをせずに直接訪れていただいても結構です。ただ、たまに休むこともありますので、日程だけはご確認いただければと思います。
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(吉田)

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