同じ考えだよねと言われるとそこから這い出たくもなるけれど、考え方は色々だよねで終わらせてしまうと関係が希薄すぎる気もします。同じでは窮屈だけど、違うでも少し寂しい。このわがままはどうにかできないものでしょうか。
このわがままが生じるのは、「考え方は色々だよね」の背景に、考え方が違う人とはつながりを保つことが難しいのではないか、という暗黙の考えがあるからなのではないかと思いました。「色々だよね」、、自分とあなたとは違う、、つながりを保ちにくい、という思考の流れが無意識的に起きているのではないかと思うのです。違う、ということが表立ったときに、それはすなわち関係性が薄れていくことだと自動変換されて、寂しいような気持ちになるのではないかと思いました。
考え方や、物事の好き嫌いや何を大切だと思うかといった価値観が人それぞれに違うのは、あたりまえのことのように思います。見た目と同じように性格も人それぞれに違いますし、経験してきたことも違うからです。そして違うことは決して嫌なことではなく、それが個性として認められると、小躍りしたくもなります。
しかし一方で、たとえば誰かと話していて違いが明らかになると、少し戸惑うような寂しいような気持ちなることもあります。違うということは、それはそのまま相手と自分は違うという意味ではありますが、関係性について考えたときにどのような負の影響があるのかと考えてしまうのです。違うことをこのまま認めてしまっていいのか、という不安が生まれます。
ここで考えなければいけないと思うことは、人はなにによってつながっているのかということです。同じであればあるほどつながりは強くなるような気もしますが、それでは退屈だったり窮屈だったりすることもあります。過去を振り返ってみても、違うことがおもしろくて群れていることもあれば、似たところを垣間見て少し離れてみたくなることもありました。人は何によって近づき、ときに離れていくのでしょうか。
違うことを不安に思うことなく、存分におもしろがるためにも、人はなにによってつながっているのか、関係を続けることができるのかを、これから考えていきたいと思います。
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(吉田)
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