参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。8月14日(土)は10名の参加、15日(日)は10名の参加でした(主催者含む)。
最近はこんなことをして、話す時間をゆったりめにとれるようにしています。
・8名以上の場合はグループを分けて4,5名で感想を共有できるようにする
・読書時間を50分から40分へ短縮、その分感想を共有できる時間を30分から40分へ延ばす
・読書会の後15分くらいZoomを開けたままにしておく
本を読んだあとは、自分のなかにいろいろと溜めこまれている反面、なかなかすらすらと話せなかったりもするので、時間をゆったりにしたのはよかったなと思っています(自画自賛..)。
8月14日:読みたい本を気ままに読む読書会
なかとみさん『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』平田オリザ
コミュニケーション教育の一環として、小中学校で平田さんが演劇を教える授業。朝、教室で友達とどんな話をするか。無意識で話していたことを意識化し、更には言語化していく。それを通して、子どもたちは日々自分たちの話している言葉に対して意識的になっていく。
また、机に突っ伏して寝ていて「話さない」、遅刻してきてその場に「いない」ことも表現なのだと気付いていく。
平田さんは、初等教育で「国語」を解体し「表現」と「ことば」に分けることを提唱している。演劇、音楽、図工、作文、スピーチ、ダンスは全て等しく表現なのだ、何か感じたことを表現する、という点で違いはないのだと知った。そんな表現力が身につけばどれだけ豊かな人生になるだろうと思った。
原有輝さん『現代イタリアの思想をよむ』
イタリアファシズム政権下にあって、政治学を研究していた、ガエターノ・モスカについて読みました。前の章には、ラブリオーラとデ・サンクティスの影響を受けて、ヘーゲルとマルクスとマキャベリを研究したクローチェと、社会学者のパレートの記述もあります。クローチェ当時には、ナポリ・ヘーゲル学派があったようです。
yuさん『白夜』
ドストエフスキー初期の中編。内気で空想家の青年26と少女17の話。4夜中2話まで読む。内気だけど多弁だと思いました。読書会後読了しました。
他の方は江國香織のエッセイ、橋本治の短編をトルストイの短編。お話を聞いていて、嘘がまじると自分の感情や思いをストレートに表現するのは難しいというのが共通のテーマになったような気がしました。
Takashiさん『イワン・イリッチの死』トルストイ著
「人が人の希望となり得るにはそこに嘘がないことが条件だ。」
この小説に直接書いてあるわけではないが、ここから読み取ることのできる命題だ。
果たしてこの命題は正しいのか?それを検証するためには、恐ろしいことに、自分の嘘を一つ一つ剥がし、見たくもない自分の部分を少しずつ拾わねばならない。
主人公のイワン・イリッチはすべて拾い集めることが出来たのだろうか。そして私は死ぬまでにどれだけ見つけることが出来るだろうか。
Haruoさん『初夏の色』
短篇集の一篇「父」を読んだ。90歳を超えた父、60歳を手前にした淳一郎。年老いた父のことは母や妻に任せてきたが、母が亡くなり妻が入院してしまった今は、父に向かわざるを得ない。でも、どうしたら(どう接したら?どう介護したら?)いいのか分からない。大学教授だった父は常に「威圧的」だった。
息子へ掛ける言葉は「なんだ」の三文字しかなかった。そこに疑問、落胆、訝しさの表明が込められていた。例えば、学校の成績を持ち帰った時などに、悪くはないが特別良くもない成績に対して、父は「なんだ」と言うのだ。考えてみれば父だって、息子に向かってどうしたらいいのか分からなかったのかもしれない。
妻が倒れた時、会社にいた淳一郎に父は電話をかけてきた。軽い認知症のはずの父が「救急車を呼んだ」と電話してきた時に、そんなことができるのかと感心したが、「どこに運ばれたの?」と質問すると答えは「知らん」。こちらで調べるしかなかった。そこで思う。父親は「昔から認知症」だった。
父と息子なんてそんなもの、と言うのは簡単だが、そんなものなのか?とも思う。この寂しい感じは何だろう?今の時代、「父親の威厳」なんて失われていっているのだと思うが、そうすると、ここで描かれているような「寂しい感じ」はなくなっているのか?(なくなっていないんじゃないの?)
私の話で、夕方に父から電話がかかってきた。父はもうすぐ80歳になるはずだ。大雨でうちの裏山が崩れないか、前の川が氾濫しないか心配で電話してきた。まだそんな(余計な)心配をするのか、と正直思った。それにかこつけて話したかったのか?とも。
8月15日:テーマのある読書会「話すこと」
原有輝さん『現代イタリアの思想をよむ』
バフチンと、菊と刀が気になりました。
小澤さん『MC論』古館伊知郎
【本の概要】
一言でいうと古館伊知郎さんから見たMCの歴史本です。
古館さんの職務経歴を調べると1977年、全国朝日放送(テレビ朝日)にアナウンサーとして入社。
アナウンサーとして約40年くらいのベテランで、昭和、平成、令和と時代の流れごとの有名MCの方ごとに古館さん目線で語っていく本です。
本によると、MCも時代の流れで3つの大きな変化がありました。
(1)ピンの司会(欽ちゃん、タモリ)→ツインの司会(とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン)→1億2000万総MC時代(YouTubeなど)
(2)「台本通りに進行する技術」→「生まれた流れに合わせて仕切る技術」
(3)プロデューサーや司会が全責任→分業化(構成作家、放送作家、ディレクター・・)、責任の分散化
【本の感想】
・上の変化は割とビジネスマンも似たような流れになっているなと感じました。
・昭和はキャラ重視、平成、令和はテクニック重視にどんどんなっているなと感じました。
・自分が得た学びとして、黒柳徹子さんの章にあった、いろんな情報を事前に調べておいて外堀を埋めておくことで、その人がこれならどうだという話を引き出すことでその人しか知らないエピソードを抜き出すメソッドです。
ビジネスで使えるかはどうあれ、高度なテクニックだなと思いました。
Takashi『菊と刀』ルース・ベネディクト 平凡社ライブラリ
本書は第二次世界大戦中にアメリカの文化人類学者がまとめた日本人論を元に戦後出版されたものだ。当時は占領統治を目的として読まれていたが、現在では日本人理解の書という読まれ方をしている。
本書は冒頭から強烈である。
礼儀正しさと傲慢さ、融通の利かなさと柔軟性、従順さと反骨、忠誠心と裏切りやすさ。この振れ幅の大きさにまず著者は戸惑う。そして日本人特有の階級序列への信頼、天皇制に展開する本書の概要を示す。
否定しつつも共感できる部分が自分の中に僅かでもあれば、それが私の思考や行動の原理かもしれない。
つやまさん『きけ わだつみのこえー日本戦没学生の手記』
終戦記念日なので、戦没学生の日記や手紙を集めた本書を読みました。
学問や芸術や家族のために人間らしく生きたいと願いながら、兵士として戦闘に参加したり犠牲にならざるをえなかった学生たちの心情が克明に書かれていて、読んでいてとても痛切に感じました。
日記や手紙を書いたり、哲学書や文学を読むという行為によって、不条理で無慈悲な運命の中でも、最後まで人間個人としての生と死の意味を見出だそうと葛藤しているところに、人間の性のようなものを感じます。(話すこと、聴くことにも似たものを感じます。)
当時の学生たちは、二十代というのが信じられないほど深みのある人生観や哲学を持って生きていて、その言葉は現代を生きる自分たちにも深く刺さる力を持っており、『みんな愛国心を抱いて誇り高く死んでいった』とひと括りにはできないような凄味や崇高さを感じました。
yuさん『超 雑談力』
シリーズ累計70万部。シリーズがあるらしいです。雑談は第3の会話であり、微妙な関係の人と適当な話をしながらなんとなく仲良くなるというとても繊細な会話だそうです。
適した話し方の説明が書かれていました。
話すことのために書店でMCの本を購入されてきた方がいらっしゃって行動力を見習いたいと思いました。あと、会話手法の本の中にでてきた『バフチン』なる人物の本の紹介もあり1つの本を読むとまた広がるなぁと思いました。
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(吉田)