2020.09.26

読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(-2021年12月)。

 読書会に参加した人とのちょっとした振り返りの時間として、参加できなかった人への読書会の様子や話題のシェアとして、読書会に参加いただいた方の読書の感想をこの場所に載せていきたいと考えています。「気が向いたら」という任意でいただいた感想です。引き続き更新していきます。

 最近の感想はこちらです。

〈読書会について〉
 事前読書のいらない、その場で読んで感想をシェアするスタイルの読書会を開いています。事前申込をあまり求めない、出入り自由な雰囲気です。スタンスや日程などについてはこちらをご覧ください。

2021年12月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『生きることとしてのダイアローグ: バフチン対話思想のエッセンス』桑野隆
 近年教育や精神医療の分野で再評価されている、ロシアの思想家ミハイル・バフチンの対話思想がわかりやすく解説されている本です。バフチンがいう『対話』は、二人のひとが向かい合ってことばを用いて話し合うという意味だけにとどまらず、ひとが相手に呼びかけて相手が応えるという関係一般を指している。今回読んだ『「わたしはひとりで生きている」という幻想』という節では、ひとは生きている限り、眼、唇、手、魂、精神、身体全体、行為でもって、全身全霊で対話に参加しているということである。現代社会に生きる私たちは、自分ひとりでいる状態を起点としてものごとを考えがちであるが、人間の本来の姿とは対話的関係の中にある状態なのだ。というようなことが書かれていました。充実した生き方というのは、自分が参加している『対話』にいつも鋭敏でいることなのかなと感じました。
 今年もたくさん参加させていただき、ありがとうございました。読書会での読書や対話を通して、学んだり深めたり楽しい時間でした。また来年もよろしくお願いいたします!

だいぽんさん『群像 「オン・ザ・プラネット」』島口大樹
 「オン・ザ・プラネット」が、ジム・ジャームッシュ監督の映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」から来ていたり、ロバート・デ・ニーロ主演の映画「タクシードライバー」への言及など、なかなか純文学というよりは、エンタメかな? と思ったりしました。芥川賞候補作です。

ねこさん『ラ・カテドラルでの対話』
 1940年代から1950年代にかけて8年ほど続いたペルーの独裁政権下での人々の様子が描かれた小説です。作品に直接言葉が出てくる訳ではないですが思想犯ってどういうものかなと考えていたところだったので意に沿わない思想を持つことが犯罪になるってこういう政権下では顕著なのかな?と思いながら読んでいます。アプラ党員が取り締まられています。ペルーは国民の80%以上が先住民速との混血で、そういう社会は日本にいると想像が難しいなと思いました。

 読んだ本を紹介するところで、言葉を気になった蜜柑に例えている本の紹介があり面白いなと思いました。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 今見ている太陽は、およそ8分前の姿となる。なぜなら光は、地球と太陽のあいだを光の速度をもって伝わってくるからだ。この事実を、対人関係にもっていくと、遠くに見えるあの人もほんのわずかだけど、過去のあの人を見ていることになる。そして隣にいるその人も。
 私たちは、「同時」を共有していない。みんなそれぞれに時間の小空間のようなものをもって生きている。

2021年12月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

持田育美さん『ライフシフト』
 本日は参加させて頂きありがとうございました。ゆったりと本が読め良い会でした。
 私もコロナになってからオンラインで朝活を開催しているのですが、吉田さんのお人柄なんでしょうねゆったりとした、落ちついた会で参加しやすかったです。みなさんタイプが違う本を読まれていて、毒島さんの話は年末読んでみたいなと思いました。また参加します☺️

よしだ『哲学な日々』野矢茂樹著
 年末なので読みやすいエッセイを、と思って読み始めたら、思いがけず難解な方向へ…。
 「犬」に対する認識の仕方から。ジョン・ロックは、犬という一般概念が自分のなかでできて、その概念と言葉が結びつけられて犬という言葉に意味をもたせている、というような説明をしたらしい。それに対して著者・野矢先生の師匠の大森先生は、目にしたものを犬か犬でないか見分けられることそのものが認識であると反論したらしい。この反論は、犬とはどういうものかを説明できないのに、一般概念があるとどうして言えるのか、ということ。
 ジョン・ロックの説明を聞いて納得していては、哲学者とは言えないとのこと。哲学とはその態度をとることがまず難しい。年末に変なものを読んでしまった。おもしろい。

2021年12月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『超訳モンテーニュ』
 今朝は読めませんでしたが、モンテーニュは、フランス・ルネサンスの戦乱の時代に生きたようです。モンテーニュは、かなり争いの調停をしたらしい。おそらく、モンテーニュにとって「エセー」は、戦乱の時代の癒しだったのでしょう。話題は、誠実や幸福や判断力等、多岐にわたるようです。村の領主をしていただけあって、いろいろ考えることがあったのでしょう。

小澤さん『データ視覚化の人類史』
 本書はデータ視覚化(Data Visualization)をキーワードに歴史としてまとめた本です。

 視覚化という意味では古くはラスコー洞窟までさかのぼることができますが、データ視覚化(≒図表)という意味では17世紀あたりから盛んになっていることが分かり、ここらへんからデータ可視化というものが発生して、近年は黄金期を迎えたといえます。

 データ視覚化といっても、最初は手探り感のある図表を作成したりと当時の人が苦労したことがうかがえるのが個人的に興味がわきました。コレラ菌流行に対する様々な調査をした事例でいえば、コレラ死亡者数と標高の関係を表した図を自分がみたときに最初読み解くのに時間がかかりました。しかし、そういったデータ視覚化という観点も様々な歴史があって、現代にやってきていると考えると当時の人には敬意を覚えました。

2021年12月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

早川麻子さん『産む、産まない、産めない』甘糟りり子
 会社で部長代理というポジションの40代彼氏なし未婚女性。昇進の話も出ていたし、仕事も楽しく取り組んでいたが、たまたま関係を持った人の子どもを妊娠してしまう。産むかどうかわからないが、無意識にカフェインを取らないように気を付けている自分もいる。会社に伝えると、昇進話は無かったことにされた…という話。短編8つのうちの1話目。

 仕事で一人前になるためには時間がかかる。だから、結婚や出産は後回しになりがち。出産となるとどうしても休まないといけなくなるので、責任ある仕事が任せられないのも一理ある。でも女性にはリミットがある。若ければ若いほうが体力があるし、卵子の質もいい。子どもを望む人が時期を逃さず、職場に申し訳ないと思わず産休育休がとれ、また会社で活躍できるようにするには、周囲の支えや理解も必要。soiさんが、これからの日本を支えてくれる子どもを産んでくれるんだから、周囲の人達が大きい規模で見てくれるといいとおっしゃっていたので、その通りだなと思った。

 今年最後の参加でした。皆さんの選書や意見、感想を聞いて、興味が広がるし、とても勉強になっています。ありがとうございます。来年もヨロシクお願いします。

Soi Tomsonさん『BEFORE』 by Jim B. Tucker, MD
【本の紹介】アメリカ、ヴァージニア大学での40年以上にわたって調査、研究されている”前世の記憶を持った子供たち”について書かれた本。
すでに出版されている “Life before Life”, “Return to Life”を合冊し、改めて出版(2021年)された。

【感想】本日はReturn to LifeのChapter4,5の途中までを読んだ。
おそらく、これまで著者が直接関わった調査研究の中でのハイライトと思われる事例を紹介している。
・アメリカ、ルイジアナ州に住むJamesは2歳ごろから ”自分はこのJamesとして生まれてくる前は戦闘機のパイロットとして第二次世界大戦に参加し、硫黄島作戦で日本からの攻撃を受けて戦死した” ことを当時搭乗していた飛行機や戦友などの詳細を加えながら語り始める。その後両親はインターネットやアメリカ政府の記録などを通じてJames の語る話と実在していた飛行機の機能や人物(名前や所属)がほぼ一致していることを確認する。

・著者はJames, 両親の発言にどれだけ信憑性があるかをくまなく調べている。その過程はまるで数学の解答を証明するかのようで大変細かく、非常に忍耐とエネルギーを要すると感じた。
もしもこれが子供や家族が仕込んだ壮大な嘘であるならば、多くの研究者、親戚、隣人を巻き込んでいるので相当な悪ふざけだと思う。しかし2,3歳の男の子にそのようなことが果たしてできるのだろうか、と感じた。チャプター4の最後に彼は思春期を迎えて前世の記憶のほとんどを失っていると知り安心した。この人生では多くのことを経験し幸せな人生を送ってほしいと思った。

【ほかの方の本から】「社会心理学講義」の紹介の中で私の記憶が正しければ、社会規範、道徳的な考えは(価値体系が内在化されたもの?)実は信用ならない(違っていたらすみません)ということを知り、それはアメリカにおけるトランプ政権時代をおもい起させた。
人間は過去に学ばず同じような過ちを無意識に起こしてしまうのだろうか。もしくはそもそも社会規範と深層心理にある価値は全く違うものなのか。
「15歳の短歌・川柳・俳句」このように凝縮された強い言葉を思春期真っ只中の人々はどのように受け止めるのでしょうか。ご紹介いただいたユーモアを交えた作品は壮年期の自分にも大変刺さりました。

Haruoさん『東京タクシードライバー』山田清機
 タクシードライバーを10何人取材してまとめたノンフィクションです。今日読んだ第5話は、女性ドライバー2人の話でした。小さい子どもがいるのに、夫から「会社勤めに向いていないと分かったから、ごめん」と言われて、夫に主夫をやってもらって働きに出ることにした、という女性ドライバーの話はいいなと思いました。
 もう一人の女性ドライバーは、初っ端に「あなたはこの仕事に向いていないから辞めた方がいい」と3人の人から言われたそうです。タクシードライバーというのは、お客さんからの文句(時に暴言)に耐えなくてはならない仕事のようです。安易に「仕事がなくなったら、最悪タクシードライバーにでもなればいい」なんて言えないなあ、と思いました。「この世にたやすい仕事はない」というわけです。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 僕のなかで、今年のベスト本です。認識や常識がことごとく覆されます。
 意志とは責任を個人に持たせるために社会的に創られた虚構的な概念であるとか、本人の思想に反した行為を人間は簡単に行なってしまうとか。
 思想や考えが行動に反映されない(されにくい?)のであれば、なんのために学んだり自分なりに考えたりするのか。パニックになります。
 しかしこの本のなかで再三言われていることは、人間の期待にもとづいて人間理解が進められる側面があること、期待に合うようなかたちに歪曲されてしか社会には受け入れられないことでした。
 そう思い込んで生きることは必ずしも悪いことだとは僕は思いません。でも、思い込みが窮屈さとか不自由さとかを生じさせているのであれば、その認識は変えていきたいとも思ったりもします。僕のなかではベスト本、でも決してオススメはしない危険な本。

2021年12月23日:読みたい本を気ままに読む読書会

ねこさん『ペストの記憶 100分de名著』
 作者デフォーの生い立ちだとか、今、コロナの時代に読むべき読みどころなどが書いてある2020年9月放送の解説本です。1722年にイギリスで出版された書物が「ペストの記憶」です。当時の人々の不安や行政の施策や金儲けを企む人々などフィクションとノンフィクションを織り交ぜて書いてあり小説というよりもルポに近いと思います。

 命の危機に見舞われると例えば対立していた宗派もだんだんそうではなくなり、また平時に戻ると対立も元に戻ると書かれていて宗派だけでなくいろんなことに当てはまるかもしれないなと思いました。

だいぽんさん『ダムヤーク』
 『時間は存在しない』。ペンの説明で、引力が存在しなくて、時間が存在しているのでは? と少し勘繰ってしまいました。機会があれば読んでみたいです。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 まえに本屋で見かけて気になっていた本がなんとkindle unlimitedに…!ということで早速ダウンロードして読み始めました。
 物理学にもとづいて、時間とは何かを考察していく本なのだと思います。なんと、物体は周囲の時間を減速させる、という驚愕の考えから始まりました。アインシュタインの物理学ではそう考えられているのだそう。だから低地では時間が遅く、山地では時間が速いのだそうです。
 私たち個人個人は、地球、月、太陽や、その他の惑星との距離がそれぞれに異なります。ということは、それらの物体との距離の総和に応じて、時間が速い人や速いタイミングがあったり、その逆もあるということです。つまり、それぞれの時間軸で生きているのです!
 なるほど、そうなんだ、とはならない…。読み終わったときに認識にどういう変化が起きるのか、楽しみにしながら読み進めていきたいと思います。

2021年12月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

だいぽんさん『下級国民A』赤松利市
 作者の生涯の一部を知ることができて、良かったと思いました。

つやまさん『こころと脳の対話』河合隼雄、茂木健一郎
 脳科学と心理学の専門家同士の対談で、科学万能主義の危うさなどの話が興味深いです。箱庭療法は砂の手触りを感じながら自由に人形を配置していくことでその人の意識化されていない心理が現れるところが醍醐味だが、科学万能主義が強いアメリカに輸入されると定量的な評価をしやすくするために砂が排されたり人形の数に制限が設けられたりなどの標準化が行われ、その本質が失われてしてしまったそうである。脳科学のクオリアも主観的な感覚なので科学的な手法での定量的な評価が難しいという点で、心と似ているそうである。
 今日はおもしろい本屋の紹介も(少ししか聞けませんでしたが)面白かったです。

Yukikoさん『学び続ける知性』
 本の表題を見て、読みたい!と思って手に取った本です。
 読んでから気付きました。ビジネス書でした。

 スティーブンジョブズはアイフォンを作った時に「私は私が欲しいものを作る!客は関係ない。」と言ったそうです。
 あの独自のデザイン、フォルム、そして何の説明もないホームボタンはジョブズの美意識そのものです。
 新しい時代を作るということ、イノベーションとはそういう普通の感覚とは違う、その人の信条、信念から生まれるものかもしれません。

原有輝さん『小さな声、光る棚』
 本屋Titleのこぼれ話。本屋の日常、創設秘話、本に対する愛情が溢れています。

よしだ『モード後の世界』栗野宏文著
 賃貸物件を探していると、「築浅」「三口コンロ」「追い焚き」「対面キッチン」などの言葉がおどる。写真でみると、新しくてハズレはなさそうにみえる。しかし実際に見にいくと、たしかにそういうものはついているのだが、どこか薄っぺらい。ウソはついていないのだが、どこか期待していたようなものではない。人を惹きつけるには冒頭のような言葉と仕様で十分なのだろう。でも満たされることはなく逆に欠乏が生まれる、ような気もする。
 この本は、ファッションのこれまでの潮流をふまえた上で、これからの姿を思考しているような本だ。バーニーズニューヨークの経営破綻やファストファッションブームの終焉についても触れられていた。どこか、僕がいつも最近の賃貸や分譲のマンションに感じていたことが書かれていたような気がした。

2021年12月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

だいぽんさん『詩集 君の見ているものが僕に少しも見えなくても』
 難しくなく、平易で、読みやすい詩集でした。また、続刊を読みたいです。

yuさん『象の旅』
 旅をする時に象 人間、馬、ラバ、牛などさまざまな生き物がいて歩幅が違うから待つ場面がありました。これって人間だけいてもそうだよなあと思いながら読みました。参加者の方からポルトガルと象が結びつかないと言われて答えられなかったんですが、無理な場所に連れてこられてたからなと後で考えました。

 詩集を読んでいる方がいて、みんなが興味を持っていました。わたしも読んでみようかと思いました。

Yuさん『WIRED (Vol.40) Food :Re -generative』
 「真の意味でサステイナブルな食を考えると、自然を再生するために育てられた食べ物を食べるべき」という、割と尖った理念を提唱したWIREDの特集号でした。一方で、同号で紹介されていたレストランのコース料理の価格は2万5000円。サステイナブルって難しいなと感じました。

Soi Tomsonさん『最強脳』著:アンデッシュ ハンセン(訳:久山 洋子)
 この本のテーマ:最強脳になるには (”脳の能力を最大限に利用してポジティブに生活するには”と理解した)
 本書はスウェーデンの子供向けに出版された本で、大変読み進めやすい。

【感想】
 今回は本書の第3章「サバンナ脳」を読んだ。
 人間の脳はいまだサバンナでの狩猟生活に最適化されているそうだ。
 その後の農耕、産業、デジタル社会まで及ぶ年月は(人間が必要とする進化期間として)あまりに短く、これらの社会の変化に脳が追い付いていないらしい。
 つまり、現在の我々の脳のパフォーマンスを最大限に高めるにはサバンナ狩猟生活(ずっと体を動かす=運動)だと著者は述べている。全ての章で ”運動をすることで脳がご褒美をくれる”ということに帰結している。運動といっても散歩、サイクリングなど息が上がる動きであればなんでもよいらしい。

 グループディスカッションの方々が読まれた内容(ホモ ルーデンス、行動最適化最善)も我々の持つサバンナ脳と関係があるのかもしれないと感じ、大変興味深い。

よしだ『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著/高橋英夫訳
 人間の本質を「賢いヒト(=ホモ・サピエンス)」にではなく、「遊ぶヒト(=ホモ・ルーデンス)」に求めていこうとする本です。

 今回、言われてみればたしかに、と思ったのは、人は遊びで得た評価が、そのまま生活の場での評価になっていくということでした。遊びとは、食べる・寝る・危険を回避する、などといった生きるための活動とは空間的にも時間的にも一線を画して行われるものです。言ってしまえば、生活とは隔絶されたこと、ともみることができます。しかし不思議なことに、遊びで勝つ人には、みな、なぜか一目おきます。遊びが遊びで終わるわけではなく、生活のなかに混在してくるのです。遊びは人類社会になにをもたらしてきたのでしょうか。という本です、たぶん。

2021年12月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『知ってるつもり 無知の科学』
【概要】
 人間は知ってる「つもり」になりがちである。本書は人間のほれぼれするような知性とがっかりするような無知をあわせもっているのか、そんな人間がなぜ多くのことを成し遂げられたのかについて書いている。

 本書の中で「説明深度の錯覚」という考えが出てくる。以下のような実験をする。
 1.あなたはファスナーをどれだけ理解しているか七段階で評価してください
 2.ファスナーはどのような仕組みで動くのか、できるだけ詳細に説明してください
 3.もう一度、あなたはファスナーの仕組みをどれだけ理解しているか、七段階評価で答えてください。

 こういう実験をすると3.の段階では多少控えめな評価になる。どうして人間は知っていると勘違いしてしまうのだろうかと思ってしまうが、実はそんなに悪いことでもないようだ。人間は記憶力強化や高速計算ではなく、「行動」することに最適化して進化してきたためだ。

 それに対する例としてフネスの超記憶力の話がある。
 フネスは超記憶力を持っている。過去のことをすべて覚えていていつ何をしていたかもすぐに思い出せる。なんて便利なんだと思いがちだが、フネスは抽象的な能力においては少し怪しいところがある。数分前に見た犬が同一なのかどうか怪しく感じてしまう。

 一見すると人間の知ってる「つもり」というものは非合理に感じるが、実は合理性があるものであることが分かる。

【感想】
 知識の錯覚は私たちに新たな領域に足を踏み入れる自信になる。冒険家などがその例で一見知識の錯覚により無謀に思えるが、そういったことが人類を発展させていくこともある。
 一見すると無駄や不足に感じるが、長期的には実は大切といったことが世の中にはあると改めて感じた。

yuさん『象の旅』
 16世紀ポルトガルからオーストリアに象が贈られることになり、象の輸送手段は徒歩という史実を元に書かれたお話です。象使いは象についてインドからきてまた旅で大変だなと思いました。王様は思いつきでものを言うけど周りの人はどれほど振り回されるかには思い至らないだろうなあ。まだ初めなのでどんな旅になるのだろうと思いました。

 他の方はホモルーデンスを読まれていて遊びのことの話になり仕事も遊び??という話になり考えさせられました。生きるのに必ずしも必須でない活動を遊びというならその範囲は広いなと思いました。

よしだ『ホモ・ルーデンス』
 人間は自然と遊んでしまう。それを遊びと意識せず遊んでしまう。今は、遊びか仕事か、とか、遊びは真面目ではないもの、とか、そういう区分があるから”遊び”を意識してしまうが、元来はそうではなかったようだ。
 元来備わっているものだから人間にとって不可欠なものに違いない、というのはショートカットしすぎだろうが、遊びがないと調子が崩れるような気がする。すくなくとも、今の文化的・文明的な社会は、遊びの心がなければ実在していないという気はする(ホイジンガもたぶんそう言っている)。どうにも遊んでしまって、それがエラい壮大なものにまで発展して、実社会におとしこんでしまう、それが人間ということなのだろうか。

2021年12月8日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『わたしを離さないで』著:カズオ イシグロ
本書の舞台:イギリスのとある町
 前半はナレーターおよび主人公である介護人キャシーHが、生まれ育った施設 ”ヘールシャム”での回想から始まる。ヘールシャムは寄宿舎のような場所に思えるが、文章の中に様々な奇妙な出来事、キーワードがちりばめられており物語は徐々に真実を明かしてゆく。

【感想】
 本日は第5、6章を読む。ここでは思春期初期のキャシーと友人ルースとの出来事や心の細かい動きを丁寧に拾い上げ言葉にしている。この時期特有の、本人にもなぜそうしてしまうのかわからない些細なうそや、子供たちの独特な行動の描写に引き込まれ共感し、自分も物語の中に入っているような錯覚を感じる。

 この本はSF小説のカテゴリーとして取り上げられることもあるが、自分はもっと広い人文学的な要素のほうが強い作品ではないかと思っている。

原有輝さん『ゲンロン戦記』
 東浩紀さんは、せっかく成功していたのに、もったいない気もしますが、反骨精神がふんだんにある方なので、文化人としてメインストリームで活躍することには、抵抗があったようです。せっかく成功しても、自分軸に合わない成功だと、居心地悪くなるようで、東さんは既存の枠にはまるには優秀過ぎ、せっかくの成功を投げ捨ててしまったようです。
 論点はずれますが、少し個人的なことをいうと、あまりに身に余る光栄を受けると、逃げ出す人はいるようです。僕もそのタイプです。

匿名希望さん(途中から参加)
 用事から戻った時間が遅く遠慮しようと思いましたが、図々しく参加させてもらいました。不条理を文化によりどうとらえるか、とか、フィルターをかけずに著書に向き合うとか。絶対の答えのないことをみんなでシェアし合う時間は自分の考えが深まる貴重な時間です。
 いつもありがとうございます。

2021年12月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

シンカイダイキさん『下級国民A』
 赤松小説の原点が知れる随筆。まだまだ、読めていないので続きを読みたいです。

原有輝さん『本屋、はじめました』
 個人で本屋を立ち上げるには、物件の下見やらなにやら、かなりいろいろ準備する必要があるようです。カフェの併設をどうするか、取次をどうするか、本屋にどんな本を並べてどんな個性を出すか、POSレジを使うかどうか、釣銭や店舗の備品の準備など、山ほどやることはあるようです。

2021年12月5日:テーマ「出合いたいもの」の読書会

mtさん『教養としての数学』キム・ミニョン著、米津篤八訳
 対話形式により、1章では数学の概念、2章では歴史上重要な3つの数学的発見を紹介しています。そして3章では、確率論が取り上げられています。

 確率論は、もともと賭博ゲームの研究として始まったとされています。本書では、賭博ゲームを予期せず中断しなければならなくなったとき、かけ金をどう分けるのかという観点から話が進められます。まず、成績の割合によって分けるという考え方が示されます。一見、妥当だと思われるのですが、異が唱えられます。確率論は、「過去ではなく未来を考えるための概念」との見解によるものです。つまり、現状を結果として算出するのではなく、現状に可能性を加えて算出するという考え方です。

 さらに、トロッコ問題(決定ゲーム)にも言及され、「確率論は善でも悪でもない」だけでなく、「善か悪かも確率論に支配されている」とのこと。ここでの「支配」とは、意図しない結果を指すようです。

 「はじめに」にワイルズ博士の名前もありました。著者と同僚なのだそうです。以前、フェルマーの最終定理の証明について書かれた本を読んだことがあります。証明が完成した瞬間、博士は嗚咽します。感動的な場面です。しかし証明は、博士ひとりの手柄というよりも、時代を経た数学者たちの連携作業との印象を持ちました。数学者たちのドラマチックな生涯に加え、数学の向こうにどんな面白いことが隠れているのだろうかと思いました。残念ながら私は数学の言葉は理解できないのですが、「はじめに自然数nを置く」と聞くと、物語の始まりのように思われ、なぜかワクワクしてしまうのです。

Soi Tomsonさん『BEFORE』 by Jim B. Tucker, MD
 本書はヴァージニア大学知覚研究学科 (division of perceptual studies)での約40年以上にもわたる輪廻研究について書かれた本である。著者であるTucker氏は本書をスピリチュアルのカテゴリーではなく科学書として論じようと試みている。
 研究はまず輪廻に関するケースとして、アジア諸国の過去の記憶を持ったまま生まれた子供たちにフォーカスしているが、現在はアメリカのケースを中心に研究している。

【本書で述べられている内容について個人的に驚いた点】
1)生まれ変わりは割に近場で起きていることが多い(同じ国内、村、家族など)
2)傾向として前世の記憶を持っている人は強い気持ちを持ったまま前世の人生を終えた人が多い(殺人、後悔、悲しみ、事故など)
3)認識と脳はどうやら別のところで機能しているらしい。(子宮に居る赤ちゃんが母親の洋服の色やデザインを詳細に覚えている例や臨死体験など)

【感想】
 全体のまだ半分しか読んでいないが、内容はただただ面白く本を閉じることができない。
 100%輪廻は起きるとは本書でも明確に言及してはいないし、私自身もどうなんだろうと思ってはいるが、この本を読み想像することで死ぬことに対しての恐怖心が薄らいだような気がする。また本当に輪廻があるのであれば亡くなった家族や友人が次の人生を楽しんでいるかもしれないと想像すると気持ちが明るくなる。

 遠藤周作の ”深い河” で知ったヴァージニア大学の輪廻研究が、数十年を経た今も続けられていることにアメリカの懐の深さを感じる。

 余談ではあるが、本書は邦題:”転生した子供たち”、”リターン トゥ ライフ”の二冊に分けて翻訳されている。

 是非読まれた方のご感想を伺ってみたい。

よしだ『モード後の世界』栗野宏文著
 コム・デ・ギャルソンを設立したデザイナー・川久保玲氏は、デザイン画は描かず、技術的な知識にも依存しない(?)ようです。しかしコンセプトはしっかりともち、川久保氏と仕事をする人はその対話を「禅問答」と言うのだそうです。先を歩くということ。

2021年12月4日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『本屋、はじめました』
 子供の頃から本に囲まれた、両親も本好きな家庭に育った書店店主の書かれた本。本がたくさん売れる、最後の時代に学生時代を過ごしたようです。個人で書店を立ち上げるのは、最近では珍しいようです。

よしだ『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著/髙橋英夫訳
 ヒトの本質を賢さ(サピエンス)ではなく遊び(ルーデンス)に求めようとしている本です。
 …たしかに、金属を精製したり、五重の塔をつくったり、ドローンを飛ばしたり、宇宙に行ったり、賢さの延長線上にそれはなかったように思えます。遊びだからー、とリミッターを外さないと…!

2021年12月2日:読みたい本を気ままに読む読書会

シンカイダイキさん『ダムヤーク』
 太宰治の「駆込み訴え」を、宗教の観点から読み解いていらっしゃるのが、すごいと思いました。僕も、太宰のその短編は読んだことがあるのですが、そこまで精読出来ていないので、また再チャレンジしたいと思いました。

yuさん『シブヤで目覚めて』
 主人公はチェコの大学1年生。日本が好きで日本文学について学んでいる。気がつくと渋谷のハチ公前にいた・・別の次元にいるのかどうかわからない。初めの方を読みました。なぜ日本なのかを今後知りたいです。

 太宰の短編「駆け込み訴え」の紹介がありました。読んだことがなかったので読んでみたいと思いました。

2021年11月30日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『心が整う「論語」86の言葉』
 論語の言葉を編集して解説を加えたもので、道徳や生き方を考え直してみようよ、というような内容です。戦前回帰は行き過ぎですが、少し歴史を見直してもいいかもしれません。

Soi Tomsonさん『人類の未来 AI, 経済, 民主主義』(吉成真由美 編)
 本編では五人の知識人へのインタビューがまとめられており、今回はRay Kurzweilの項を読んだ。Ray Kurzweilは発明家、未来学者。インタビュー時はグーグルにてAI部門の技術責任者。
 本書で彼は従来の人間の直感的な考え方は線形的であった(1,2,3,4…)。これからは指数関数的なものの見方 (1,2,4,8…)を直感的にできるようにすることが大事だという。
 この指数関数的な発展速度によりテクノロジーの進歩はさらに加速し2045年には「シンギュラリティ」と呼ばれる新時代に達するという。

【感想】終始SF小説を読んでいるような感覚になった。すでにテクノロジーなどから置いてけぼりをくらっているのに今後はさらに加速する(グーグルのAI技術者が言うので本当なのだろう)ということに少し恐怖を感じた。果たして彼のいう技術革新が人間を幸せにするかどうかは人によると思うが、個人的な思い、また世界における医療、エネルギーなどの問題解決への熱意は敬服する。

よしだ『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著/髙橋英夫訳
 前に読みかけて途中でやめていた本をまた開いてみることにしました。文化人類学系の本なのだと思います。
 ホモ・ルーデンスとは「遊ぶヒト」という意味です。ホモ・サピエンスはよく聞くと思いますが、こちらは「賢いヒト」の意味です。自分で賢いと言っちゃった人間…。
 まだ最初の方しか読んでいませんが、著者のホイジンガはきっと、人間の遊び、特にルールや設定が決められた文化的な遊びが、文明を築く礎になっていると考えているのではないかと推測しています。遊びではサッカーでもおままごとでも、その設定やつくられた世界観にしたがっていきます。仕事や行事でも、おなじ感じなのではないかと、ホイジンガはそんなことを言っちゃうのではないかと思ってドキドキしています。

2021年11月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

シンカイダイキさん『ほんのよもやま話』
 恩田陸さんと辻村深月さんの対談で、作家デビューしても兼業作家として書く人が多いのを知りました。恩田陸さんの兼業期間は8年、辻村深月さんは4年と長いのには驚きました。また、読み進めて色々と知りたいです。

Takashiさん『和解』志賀直哉著
 よくボケ防止のために趣味を持つと言ってる人を見ると、私はいつも「そんなぬるい事を言ってないで、町内会とかボランティアとか親戚関係のややこしい人間関係の中に飛び込んで、損と言われる役回りを引き受けてくれねえかな」と心の中で思ってしまう。絶対口にしないけど。

 最もボケ防止に効くのは、複雑な人間関係の中に身を置き、矢面に立って妥協点を探すことだと思う。それが一番頭を使うし、世の中に望まれていることの一つだ。

 さて、私がそういうにっちもさっちも行かない状況に身を置かれた時、なんとなく読みたくなるのが志賀先生の本だ。頑固な人が出てくるが、その頑固さはまったく単純ではない。そんな機微を志賀先生特有の強い言葉でがっつんがっつん掘り下げていく。

 「そこまで言う?、素直じゃないなあ、この人かわいそう、何でこうなっちゃうの?」など、いろいろ突っ込みながら読んでるうちに、逆に何だか自分の悩みを聞いてもらってる様な気がしてくる。いいなあ、志賀直哉。

つやまさん『野の医者は笑う: 心の治療とは何か?』東畑開人
 前に読んだところの続きを読みました。
 医療人類学という学問分野があり、先進国の現代科学に基づいた医療から伝統社会のオカルト要素が強い医療まであらゆる医療を対象として、科学的根拠があるかどうかに関わらず、文化的な観点から病を癒すことの根底にあるものを明らかにしていくそうだ。著者は精神療法にも同じことが言えるのではないかというアイデアを思いつき、沖縄の怪しい治療者たちに接触をこころみる。最初に選んだのはオーラソーマという謎の道具を使う、新米の魔女系治療者だったが、空間の雰囲気や彼女の言動の「いかにも」な感じに居心地の悪さを感じてしまう。このような治療者たちの話を聞くと、自身もかつて複雑な生育歴や精神的なトラブルを抱えていたというケースが多く、ユングのいう「傷ついた治療者」という概念に当てはまるそうだ。
 というところまで読みました。怪しい治療者への心理士目線からの率直なツッコミと考察が面白いです。人の身体や心は何をもって癒されているのか、改めて考えてみるとけっこう深いなと思いました。

mtさん『美学への招待』佐々木健一著
 作品に力があるならば、よけいな知識は不要だと思っていました。しかし、紹介頻度の高い作品や小説や映画で取り上げられた作品などは、親しみがあるせいか、よい作品だと思ってしまいがちです。少しづつですが、作品が作られた時代や象徴的小道具(アトリビュート)、なにを描こうとしたのかといった作品の背景なども意識することで、作品の見え方が違ってきたように思います。

 私たちは、やや面倒な問題でも公式を使うことで、ちょっとだけ便利に速く問題を解くことができます。その公式には、使える問題と使えない問題があり、万能とはいえませんが、場合によっては力を発揮するものだと思います。本書も、ちょっとだけ便利に藝術作品に近づくために、そして引き出しを増やすために、読んでみようと思いました。

 本書は美学入門として、近現代の美学の基礎知識という位置づけで書かれています。近代という言葉には曖昧なところがあるので調べてみたところ、封建主義の後の資本主義社会・市民社会の時代を指すそうです。年代でいうと16世紀~19世紀ごろ。本書によると、この時代は、天動説から地動説へ移行した時代であり、神の不在による不安定な闘争の時代とのこと。そうした中で、平和な社会を築くために時代が必要としたものは、創造的な力を持った天才であり、新しい価値を測るための感性という考え方です。1750年、バウムガルデンは、『Aesthetica』(感性=美学)を著し、その中で「藝術の本領が美にあり、美は感性的に認識される」と述べています。この「藝術」「美」「感性」は、近代美学での重要な3つの要素なのですが、現代では「美しくない藝術」が登場し、感性ではなく知性によってしか理解できない状況が進展しているといいます。「本書では、」「そのような状況に注目」と著者が述べたところまで読みました。

よしだ『ソフィの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 今日で読み終わりました。本全体としては、哲学の大まかな歴史を3000年前の神話的な世界観の時代から近代まで学べるものでした。また、ファンタジー小説なので、途中からすこし不思議な展開に…。

 各時代の哲学の各論もおもしろいのですが、本としては、人間の考えてきた歴史、世界の認識の仕方の変遷を表現していたのではないかと思います。最後は、ネタバレになってしまいますが、並行世界の存在をにおわせる内容になっていました。

 物事や人間に対する認識はコロコロ変わってきた、そしてまだまだわからないことはたくさんある。世界は不思議にあふれている。主人公は14歳の少女でしたが、著者がこれから大人になっていく・あるいはすでに大人になっている読者に伝えたかったのは、そんなことのように感じました。不思議への興味を失くさないこと、そして疑問から目を背けないこと。
 今あるものをただ受け入れるだけではなく批判的に考えていくことが自立するということである、物語の展開からはそんなメッセージも感じました。著者は元高校教師らしいですが、そんなことを考えながら先生をしていたのかな、なんてことも思いました。

2021年11月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『思想史としての「精神主義」』
 嫁姑問題は、いつの時代も絶えないと思いました。本書は、福沢諭吉や清沢満之や暁烏敏等の明治知識人による、ヨーロッパの文献学に基づく、語り直しです。福沢諭吉の愚民観や、親鸞、蓮如、歎異抄解釈や、家族問題に触れています。

Yukikoさん『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 イギリスで中学校生活を送るイギリス人と日本人のハーフの男の子の毎日をその母親である著者が描いています。

 日本にいると意識出来ない、「日本人」、住んでいる国「イギリス」そして人種差別を日々、感じている著者の息子さん、子供はやっぱり考えが柔軟でその世界に割と早く適応するのだなあとか、やっぱり小さい頃から色々な人達と出会い、考える事がその後の人生を豊かにしなやかに生きていけるのかなあと思いました。

 大人の私も見習いたいです。

 昨日の感想の補足です。
 感想の時間でこの本の章「プールサイドのあちら側とこちら側」を読みましたか?と聞かれ、まだそこまで読んでいないんです。と話ましたが、読んでいました!
 あの章はよかったです。
 日本人にはあまり身近に無い他人種同士の養子縁組、しかも経済的にも人格的にも優れた親に引き取られたラッキーな子供の話。
 そんな状況で丁寧に愛情深く教養や教育、お金をかけて育てるとこんな素晴らしい才能がある子供に育つんだという事が書いてあります。
 みんながみんなそんな風に育つとは限らないけれど、日本でも子供が欲しくても授からない人達に養子縁組という選択肢を選んでくれる人が増えたらいいなと思いました。
 話は変わりますが、
 YouTubeで保護猫を保護するサイトがあります。その保護猫をお風呂に入れて、トリミングして、餌や暖かい寝床を用意して、愛情深く接していると猫の表情がみるみる穏やかで優しい顔になります。
 人間も同じではないのかなあとサイトを見る度に考えさせられます。

シンカイダイキさん『ビットコインとブロックチェーンの歴史・しくみ・未来』
 ブロックチェーンは、従来の中央集権型ではなく、分散型のシステムを取り入れている。デジタルファイルは簡単に複製できるが、ブロックチェーンは複製ができない。

つやまさん『日本が壊れる前に——「貧困」の現場から見えるネオリベの構造』中村敦彦、藤井達夫
 ノンフィクションライターと政治学者が、現代の日本社会に蔓延する閉塞感や不信感の一因である「ネオリベ」について、政治的な面からとらえて対談している本です。若干話を盛っているようなきらいはありますが、日本社会にネオリベが浸透してきた経緯や、様々な政策とネオリベの関係などが整理できると思いました。

・「新自由主義」「ネオリベラリズム」は、選択の自由と競争が最重要とされる思想である。ネオリベの下では、労働・教育・医療・社会インフラなどあらゆる人間の活動が市場化され、その結果ブラック労働や格差拡大による階層の分断などが起き、社会が不安定になる。本来選択や競争が向かないものまで無理に市場化される危険もある。
・経済の問題ととらえられることが多いが、政治の問題である。昭和の時代は市場の自由と政府がかける規制との間で均衡がとれていたが、経済成長の低下やアメリカからの規制緩和の圧力などを受け、ネオリベの目指す小さな政府を実現するような政策を推進していった。ネオリベという観点から政治に関心を持つ必要がある。
・多くの一般的な国民はそこまで自由や競争を望んでいないが、マスコミが自己責任論や起業家精神などの価値観を植え付けることで、ネオリベ的な人間を作り出していった。

・平成の不況では若者や女性がしわ寄せを被っていたが、今後は中年男性にとって苦しい時代になる。「公助」が崩れたときに頼りになるのは地域社会などの「共助」だが、男性型タテ社会に慣れた中年男性は、そうした協調的な人間関係に適応できない場合も多い。幅広く教養を学ぶことで、自分は偉くないということを思い知る必要がある。

2021年11月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『インディゴ』
 「インディゴ」は架空の病気インディゴ症候に罹患した子供をめぐる話です。作者も作中に登場して何が現実で何が架空のことか読んでいるうちにごちゃごちゃになってきました。もしかして私たちが現実と思っている世界もそう見せられてるだけなのかななんて考えたりしました。

 今日は言葉に宿る力みたいなものの話で繋がっていた気がしました。ボルヘスわたしも読んでみたくなりました。

JPさん『詩という仕事について』
 今日読んだところは、英語の詩の訳が出てきたりして訳語を確かめながら読んでいたら、すぐに時間が経ってしまいました。短い時間のなかでも詩のなかに潜り込めたような、あまりたくさんは読めませんでしたが、時間の奥のほうに行ってきたような感覚になりました。
 私は、夜の読書がいいなと思います。
 今日の読書会には静けさを感じていました。
 これから寒くなるので、あたたかいものでも飲みながら参加させていただきたいです。そういうときににぴったりな本を探しに本屋さんにいくのもまた楽しみになりました。

シンカイダイキさん『ヴァルカンの鉄槌』
 超高性能のコンピュータの初代「ヴァルカン」が開発されたのが、1970年とされており、「第一次核戦争の初期」とあります。1992年に第一次核戦争が終わり、世界連邦のもとで新秩序が構築される。翌93年に最新の「ヴァルカン3号」が造られ、すべての政策決定がこのコンピュータに委ねられる。それに反対する「癒しの道」教団も登場し、フィリップ・K・ディックの描くディストピア小説として、1960年に刊行されています。

つやまさん『野の医者は笑う: 心の治療とは何か?』東畑開人
 腕の悪い医者を意味する『ヤブ医者』は、もともと『野巫医者』と書かれ、朝廷に仕える正規の医者ではなく、在野で治療行為を行うシャーマンのような医者のことを指していた。沖縄ではいまだに民間信仰が強く残っており、精神疾患などになった人は『マブイ(魂)を落とした』と言われ、マブイを見つけて戻すことで回復するとされる。著者は現代の心理学を専門としてカウンセリングを行う心理士だが、著者のもとでどうしても効果が現れなかった難しいクライアントが、怪しいヒーラーの診療で見違えるほど回復したことに衝撃を受け、自ら民間療法の世界を体験しながら、現代の心理療法と伝統的な民間療法の関係について調査を始める。というところまで読んでまだ序盤ですが、帯の「軽薄でないと息苦しい時代だから、軽薄なものが癒しになる」という言葉にどう繋がっていくのか気になります。

2021年11月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』信田 さよ子
(拾い読み範囲での要約)
 一般にカウンセリングに必要なものは共感であると言われるが、著者は考えることがより大切だという信念でDVや虐待の歴史的・構造的背景を考えてきた。
 そして得た結論はタイトルにある「家族と国家は共謀する」という暴力被害のパラダイムシフトである。
 軍隊という組織の中で起きた暴力と、家庭という閉鎖空間の中で起きた暴力とは相似形であり、前者は戦争の正当性という国家イデオロギーを守るため、後者は男性中心社会のイデオロギーを守るために、その被害が隠ぺいされてきたと著者は考える。
 米国では1980年代に、ベトナム戦争帰還兵の戦争被害者救済のために、トラウマやPTSDという病理的概念が作られた。
 その後DVや性虐待の家庭内暴力についても、被害者の認定や救済(治療)が進むようになった。

(感想)
 日本政府は古きよき家族の伝統を重んじる「家族の日」制定など反ジェンダーフリー的政策を掲げており、夫婦別姓さえ認めない。
 政府(自民党の一部?)は、日本の家制度の崩壊を心底恐れているようにみえる。
 口先ではダイバーシティを唱えながら、DVや性虐待の対策に消極的である政府は個人の多様性を認めず、家族単位で国民を管理しようとしているとしか私には思えない。

(その他)
 読書会の雑談の中で私が紹介した本は平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』です。平野さんの分人主義で私も救われました。ぜひ、手に取ってみてください。

Soi Tomsonさん『グローバリズム以降』エマニュエル トッド (聞き手:朝日新聞)
 朝日新聞の記者が1998年から2016年にかけて文化人類学者、人口学者であるエマニュエルトッドへのインタビューをまとめたもの。
 2021年の現在において彼の予想通りのもの、そうでないもの様々であるが、グローバリズムのその先に彼が何を見ようとしていたのかを人口統計や民族文化の視点から知るのがとても興味深かった。

よしだ『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』杉田俊介著
 ほかの方が読書会で読んでいて気になっていた本です。男性としては、軽々しく感想を話していいものかはばかられるテーマの本でしたが、読書会で読んでみました。

 とても難しい問題だと思いました。この本では、差別や抑圧を感じていない人はマジョリティであり特権階級であるとしています。つまり、特別な境遇になくても、いわゆる一般男性であるというだけで特権的な地位にあるとされています。そういう人は、自分が特別だと思っていないから実は生じている差別的な社会構造に目がいきにくい。

 本を一冊読んだところで、社会的に問題だと知ったところで、特権的な立場にある人が、自分ごととして本気でその問題に向き合うようになるとは、あまり思えません。もうすこし抽象化して、偏りがある社会のなにが問題なのか、深いところでの問題認識が必要なように感じました。

2021年11月21日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『人工知能のための哲学塾 未来社会編』
【概要】
 人工知能を哲学した本。未来社会編とあるように本書では、技術的な面(内側)ではなく、社会(外側)から人工知能を考察している。
 そして技術サイドを著者である三宅さんが、哲学サイドを大山さんが担当して、それぞれ違う入口から山を登っていくという構成になっている。
 本書は図が豊富に用いられているため、書かれている内容の俯瞰がしやすい。
 ざっくりといえば、AIは単体でできあがるものではなく、他者とのつながり(社会)を持たせることで高度なAIになるということが書かれていた。

【感想】※読書中の状態
 人工知能に五感センサー+身体をつければ単体としてはそれなりに人間のように見えるとは思うが、それは人間で例えれば、ヒトという動物にすぎない。
 これに社会や文化というものを加えていくことで人間になっていくので、AIも社会や文化をいかにインストールさせるかは将来の課題だろうと思う。

 本書は社会という観点からAIを形作るというアプローチで記載されているが、AIが社会に対してどのようにフィードバックをすべきかみたいなところまで踏み込めたら、AIによる社会参加まで考えることができて面白いだろうなと感じた。
 人工知能はシリコン製の脳でできた人間を開発していくことに近いので、おのずと人間そのものを考察する必要があるので、哲学とも相性がよいのだなと感じた。

mtさん『本心』平野啓一郎著
 2040年代初頭(※)の日本では、安楽死が「自由死」という呼び名で合法化されています。主人公・朔也の母は自由死を希望しますが、朔也の同意を得られないまま事故死します。なぜ、母は自由死を希望したのか、その本心が知りたいと思った朔也は、ヴァーチャルフィギュアによって母を甦らせます。ヴァーチャルフィギュアとは、生前の情報から人工知能によってその人を再構成する装置であり、生前の姿で、聞いた話は情報として蓄積し、統合論的に返答するというものです。ただし、心はないとのこと。

 朔也はリアルアバターとして働いています。リアルアバターは、VRによって依頼主が現地へ行かずに現地での体験ができるよう代わりに現地へ出向く仕事です。感謝されることもありますが、暑い日の外出など、人が嫌がるような依頼も少なくないようです。リアルアバター従事中は、自分の意思で動くことができません。社会的には底辺の仕事として認識されています。

 自由死は個人の尊厳の問題といった文脈で語られてしまうと、社会の問題という側面が見えにくくなるように思います。しかし本書では、経済格差の問題と絡めて、社会の片隅に追いやられた人たちが自由死を選ばざるを得ないことに言及しています。ならば、金持ちは楽しんでいるのかといえば、そう単純な話でもないようです。

 属性にかかわらず人間とは記号的な存在ではなく複雑な存在であること、自分との関わりや情報によって知っている他者がその人のすべてではないこと、わかったつもりになることの傲慢や暴力性にも言及されているように思いました。ということで、分人主義だなと。

 最近、ブランディングが進んでいるなと感じる著者です。

※感想を述べる際に「30年後の未来」と言っていたかと思いますが、「2040年代の入口」と記述されていました。大変失礼いたしました。

yuさん『焼跡のイエス』
 短編でした。敗戦直後、上野のガード下の闇市で、主人公の私が浮浪児がキリストに変身する一瞬を目にする話です。なぜキリストなのか、唐突で分かりかねましたが、作者はフランス語を学びカトリック思想、社会主義思想を深めていたようです。特に浮浪児の描写が何行にも渡り綿密なのが印象的でした。

 参加の方はいろんなジャンルに分かれていて江戸川乱歩の話になったりしました。

だいぽんさん『ビットコインとブロックチェーンの歴史・しくみ・未来』
 デビューしたときからファンになった三島賞・芥川賞作家である上田岳弘さんの『ニムロッド』にビットコインの話が出てきて、興味を持ちいろいろな関連本を買い、その中の一つです。わかりやすく、ビットコインやブロックチェーンについての入門書として良かったです。
 一度、通読しているのですが、また再読したいと思い選びました。ビットコインの考案者である、サトシ・ナカモトについて大変気になります。また、次回も読みたいと思います。

2021年11月20日:テーマ「出合いたいもの」の読書会

yuさん『燃えよ剣』
 鳥羽伏見の戦いあたりで、急に作者がその跡地を訪ねるところを読みました。信じているもの、信念のようなものを持っていたとして、それが永遠でないことを薄々感じることはどんな心地かなと思いながら読んでいました。出会いたいものは真実かもしれなかったもの?

 他の方は、深夜特急でインドからロンドンまでバスで行ってみようと思い立って旅行した話や原田マハさんの食べてみたいものなど。旅行や食べ物ってワクワクするなと思いました。

だいぽんさん『ほんのよもやま話 〜作家対談集〜』
 作家同士の対談、オススメ本など興味が尽きない内容がぎっしりと詰まった本でした。

Takashiさん『ブッダのことば』中村元(訳)
 自分とか自己についてブッダはどう言っているのか?

 解説書ではブッダは自分自身というものは有ると言ったり無いと言ったりしているらしい。原典に近いものではそれをどう説明しているのだろうか。私はそれを知りたい。

 しかし今日の読書時間ではそこまで辿り着けなかった。いやひょっとして何度熟読しても見つからないのかもしれない。

 速読の世の中だが私はそこに乗れないし、かといって遅読にも程があるという気もする。まあ自分が面白いならそれでいいか。でも自分って何だ?

つやまさん『心はどこへ消えた?』東畑 開人
 ここ20年のグローバル資本主義の台頭や、新型コロナのパンデミックという大きすぎる物語の前に、個人的でプライベートな小さすぎる物語はかき消されてしまい、それを拠り所とする心もどこかに失われてしまった。しかし心は何度でも再発見されなければならず、そのためには小さなエピソードが語られ続けなければならないーー
 エッセイでは日常の何気ない出来事に対する洞察の切り込み方が、さすが心理士という感じで面白いです。今回読んだのは、著者と心理士を目指す仲間が、揃って学生時代に野球部の補欠だったという発見から、補欠はいつも世界を外から見ている存在だったので、同じように恐れながらも世界と交わりたいと願う補欠的な魂を癒す心理士という仕事を選んだのであり、補欠と心理士には魂のつながりがあるという仮説を立てる話で、本当かどうかわかりませんが妙に納得してしまいました。補欠的な魂、良いじゃないかと思いました。

2021年11月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『哲学入門』ラッセル著
 哲学の価値という最終章まで来ました。読了したら読了記念パーティーを開かなきゃ。一人で。

 畑を耕すみたいに少しずつ読んでまとめて感想を書いて、なんとなく理解したなと思って最初の方を読み直すと、あら不思議、全然わかってなかったことがわかるっていう、そんな感じです。

 人を自分の都合で見るな、自分の都合で人を見ていることに気付け、そういう風に読んでいます。今のところは。

2021年11月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』東畑 開人
 臨床心理学が専門の著者が実体験を描いたエッセイで、最初の部分を読みました。著者は博士号をとって大学院を卒業し就職先を探しますが、著者の希望として、クライアントの話し相手になったり身の回りの世話をする『ケア』ではなく、心理学の高い専門性を生かして心の深い領域での交流を通じてサポートをする『セラピー』を中心にした仕事がしたいというこだわりがあり、そこに家族を養えるだけの安定した収入という条件をつけると就職先がほとんどないという現実がありました。苦労の末にようやく条件に合う精神科を沖縄で見つけて勤めはじめますが、そこは治療による回復が難しそうな重度の患者が多く、まともな会話も成り立たないため、ただそこに『居る』ことだけが求められます。役に立たない自分に対する周囲の目や、学んできた専門性が活かせないもどかしさに、「これに意味があるのか?価値を生んでいるのか?」と自問自答をせずにいられなくなるさまが、生々しくも面白おかしく描かれています。経済性や効率が重視され、何もしないことは悪とみなされがちな世の中ですが、患者や職員たちとの関わりを通して著者の価値観がどう変わっていくのか(いかないのか)、読んでいる自分はどうなのか、先の展開が楽しみです。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 哲学にまつわる歴史が、手紙を通して順々に14歳の少女に教えられていきます。今日は、ローマ帝国の衰退から中世に突入し、1000年にも及ぶ長い中世を経て、ルネサンスに突入する前夜のところでした。
 人々は、お金を手にしたりしながら、すこしずつ自由を手にしていきます。違うクニの人と話す機会も出てきたようです。活版印刷機も登場し、教会に閉じたかたちで収容されていた聖書も身近なものになっていくはず。きっとここから、封建的な社会や、聖書に書かれた世界の成り立ちなどに、疑問を抱いていくのではないでしょうか。

 読書会では、それまでは人々は考えることをしなかったのか、という質問をもらいました。そこについては描かれていませんでしたが、一つの考えが記された本が手元になければ、それを基礎として対峙することもできず、抽象度や複雑性が高い問題を考えることは難しかったのではないかと思ったりします。もちろん、農業などの日々の仕事がよりうまくいくようにとか、目の前にある問題については考えていたはずです。でも引いた目線で世の中をみて疑問に感じたり、論を組み上げたりということは難しかったのではないか、などと思っていますが、どうなのでしょう。

2021年11月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『100分de名著 ガンディー「獄中からの手紙」』
 ガンディーの断食で、宗教対立が止むのは、何とも不思議な話です。ガンディーは身体を張ったから、インド人に支持されたのでしょうか。そこまで身体を張るのは、常人の真似ができることではないですが。そこまでできるのは、ガンディーはやはりすごい人だったということでしょうか。

yuさん『青い麦』
 夏休みに毎年過ごす海辺の町での10代の恋愛の話。植物や海の情景描写がとても綺麗だと思いました。半分くらいよんだところで、解説を読みました。青い麦が発表されるまで1920年代のフランスでは同じ階級同士の若い恋愛を描いた小説はなかったそうです。ありふれた題材のようで、そうではないところが意外でした。

 他のかたの話の中で、科学者は宗教を信じてた。サイエンスじゃわかんないこともあるというのが印象的でした。目に見えないものの存在って宗教を信じていたら感じるものなのかなあ?と思いました。

2021年11月7日:テーマ「出合いたいもの」の読書会

yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
 テーマが「出会いたいもの」
 何かなと考え、「ちょっとした希望」だと思いました。

 獄中の囚人に演劇を教える話のようですが、読んだところは、2人のビジネスパートナーがいて客からの苦情処理や理事会への参加など雑用をひき受けてくれているように見せかけていたトニーに実は裏切られていて、職を失うところでした。読んだとこに希望はなく思い通りにはいかないものだと思いました。実と形式があり、雑用は形式だという意見になるほどと思いました。

 他の方の4大文明が出てくる舞台がイラクのフタコブラクダの話が、ワクワクするそうでよんでみたくなりました。

Takashiさん『罪と罰』『死に至る病』(2冊)
 ドストエフスキーは、どうしようもない人間がどういう風にどうしようもないかということや、100%どうしようもない人間はいないことを書いている。人間はとても複雑だ。

 キェルケゴールの「死に至る病」は、その人間を信仰という立場から解説している。どちらも非常に繊細な人間観察の書だ。

 「罪と罰」の登場人物が「死に至る病」でどの様に説明されているのかを探す作業は、宝探しに似ている。いつか一連の読書感想文として書き出してみたい。

 私が小説や哲学書を読みたいと思ってしまうのは、自分の中にどうしようもない部分があるからなんだろうな、多分。

mtさん『ヒトコブラクダ層ぜっと』万城目学著
 「出合いたいもの」とはなんだろうと考え、「ワクワクするもの」ではどうだろうと思い、『ヒトコブラクダ層ぜっと』を取り上げることにしました。上下巻あるうちの上巻を読み終えたところです。

 著者の作品には、誰もが知っていそうな固有名詞がたくさん出てきます。いわゆる「つかみはOK」です。それらの歴史的な背景などがよく調べられているなと感じる蘊蓄を披露しつつ、これがブリコラージュかと思うような見事な構成によって描かれる物語は、日常と非日常を織りなすファンタジーとして、随所に見え隠れする小ネタと確かな結末により、万城目ワールドと呼ばれています。そんな世界を描く著者を、内心、天才ではないかと思っています。

 舞台は日本からイラクへと移ります。メソポタミア文明は、今は砂漠となってしまったイラク辺りとのこと。そのイラクでのとある場面で、奇跡のような美しい風景が描写されながらも、「寿司桶」という喩えが出てきます。なんてことをと思い画像検索してみたところ、たしかに寿司桶のようだなと思いました。

 四大文明のメタファかなと思われる表現や、ギリシャやアンデスなどの文明も入れ込もうとしているのではと深読みしたくなる場面もあり、ワクワクは下巻につづきます。

よしだ『モード後の世界』栗野宏文著
 ファッションブランド・ユナイテッドアローズの創立メンバーである栗野宏文氏の本です。ファッションの世界の人は、時代の読み方と、そこにどういう表現物を合わせていくかという思考がおもしろいと思っています。

 2019年はグレー色のものが流行ると考え、実際によく売れたそうです。背景としたのは、たとえばトランプ大統領などの極端な言動に世は混乱させられており、まともな大人であれば、冷静に知的になろうという気持ちが湧くのではないかということだったそうです。グレーは黒でも白でもない中庸な色。まわりからすこし距離をとって、染まらずに考えてみようという気持ちを表す色のような気がしてきます。

 まだ前半しか読んでいませんが、これからの世界のことも書かれていそうです。それにどんな実利や実益があるのかはみえにくいのですが、意味づけというのは、なんだかとても大切なことのように思えてきました。

2021年11月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

なかとみさん『対話する社会へ』暉峻淑子
 住民が自発的に立ち上げた「対話的研究会」の例。従来通りの受け身でやりとりの乏しい講演会を機に発足した会。各自が関心のあるテーマについて報告をし、参加者が討論をする。7年続いていて、皆勤の人もいる。

「人間である以上は誰もが考えを持たないなんていうことはあり得ません。ただそれを言葉にする仕方にためらいがあるだけです。誰もが、本当は自分の考えを語ることができる社会人の一人として、主人公の一人でありたいのです。ですが、これまでそういう場がなかっただけなのです。」

 自分もそういう場に参加してみたいと思ったし、伝統的・構造的に対話の乏しい社会で、人は対話に飢えているのかもしれないと思った。考えてみると、この読書会も本をテーマにした対話の場所なのかもしれない。

yuさん『けものたちは故郷をめざす』
 1945年の敗戦後に満州から日本を目指す少年のお話。
 突然明日、南行きの列車が出ると乗りこんだものの。母の死があり脱線があり。その世界に引き込まれました。墓に塩を盛る場面が文化を感じました。運がいいとかいうけどあの時代は運が良くないと生きていられない気がしました。

 アマゾンの民族の話で今しかないというのが印象的でした。

小澤さん『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』
 アマゾンにいるピダハンという部族の言語学的な調査(+宣教師の役割)に関するフィールドワークを纏めた本。アマゾンという地域なので、マラリアが家族が死にかけたり、タランチュラなどが普通に家にいるようなタフな環境のため、単なる研究結果のみではなく、そういった生々しい苦労もうかがえる本。

 この部族は言語的な面でいうと、我々からはかなり特殊に感じる。たとえば以下のような感じだ。
 ・SOVが原則の文法。ただし、Vが多様で複雑。
 ・おはよう、こんにちはといった言葉はない
 ・比較級や色に対応する言葉がない。赤だったら「あれは血みたいだ」といった表現になる

 この中で「イビピーオ」という単語の話が面白かった。
 最初、飛行機が現れたり消えたりしたときにイビピーオという言葉を使っていたので「たったいま」という言葉だと思ったが「マッチがイビピーオする」という表現をしていたため、どうやら違う。

 いろいろ考えてみるとどうやら直接的な体験をしたときにイビピーオを使う、と仮説をとったらうまくいったらしい。この部族は直接的な体験(今)を重視していて、未来のことばかり考えて不安になっている我々に思わせるものがあると感じた。

2021年11月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

Yukikoさん『依存症ってなんですか?』
 文化の日に依存症の本を読むってどうかなと思いながら読みました。
漫画とエッセイで構成されている本です。

 依存症と言ってもアルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲーム、家族、恋愛、宗教、スマホ依存など世の中は依存症になりそうなもので溢れています。
 その中で上手く、それらと付き合うヒントがあればいいなと思いながら読みました。

 この本は依存症に悩んている本人ではなく、アルコール依存症だった父との思い出を綴った子供の目線で書いたものになっています。
 依存症になった本人もさることながら、そのまわりで悩む家族、そしてそれを囲む社会の在り様や人間関係が見えてきて、依存症は本人のものだけでなく、社会や家族関係のものなのかもしれないと思いました。

 雑談の中でプラトンの理想の世界という話がありましたが、理想の社会というものプラトンがいた世界(数千年前)からイメージ出来ているのに、未だに実現出来ないというのはこれからもずっと続いていく命題なのかもしれないと思いました。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 この本は1995年に邦訳版が出され、その当時、結構な大ブームになったそうです。僕の持っているのは「2019年5月25日 第102刷」です。

 なんでブームになったのか、当時はバブルも崩壊した頃で、、、なんていう話になったりしました。

 本の内容自体は、哲学の歴史を振り返っていくもの。哲学者たちがなにに焦点をあてて、どんな考えを示してきたのかが順々に記されていきます。

 それ自体に、今を生きるわたしたちをパワーアップさせてくれるような新しい知はおそらくありません。もっと新しいものを学校で習っているからです。

 でも、オリンピックを見て人間の身体や心の可能性を見るように、過去の哲学者たちには、頭や考える力の可能性を見るような気がします。本などの知の蓄積や、教育システムや、科学的な実験機器などが無いなかで、現代の知の基礎となるような考えを示しているからです。徹底的に理性的に考えることでどこまでいけるのか、そんなことを感じられる気がします。

 混沌としているところから物事を整理していくとはどういうことなのか、過去の哲学から学べることは、そんなことでしょうか。仮に意味づけするならば、ですけど。単純に読んでいておもしろいです。

yuさん『だれも死なない日』
 読んだところは、死ねない国があって隣の国の国境を越えたら死ねることがわかって・・というところ。死ぬから生物なのかな。死は怖いけどいつまでも生きるのも怖いな。ちょうど、質問の時間での質問が何歳まで生きればいいかみたいなことで。好きなことをすればいいのか。たとえばビーチで1日中本を読むような生活。でも毎日だとどうかなど。何がしたいことでどうなればいいのかなど考えました。

 また、スヌーピーのストーリーが哲学的だと聞き読んでみたくなりました。

2021年11月2日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『だれも死なない日』
 ジョゼ・サラマーゴ:「翌日、誰も死ななかった」人が死なない世界で人々がとる行動が書いてある小説です。殺人や寿命なんかはどうなるかと質問を受けました。まず初めに葬儀社が騒然と。ポルトガル語圏のノーベル賞作家です。

 他の方の100分de名著 ブルデュー 「ディスタンクシオン」でネットの時代はブルデューはどう見るだろうというのがわたしも聞いてみたいなと思いました。

だいぽんさん『ニッポンの思想』
 「ニューアカ」の代表的な存在である、浅田彰さんと中沢新一さんについて書かれていたが、紹介されている内容が難しく、あまり理解できなかった。もうちょと、頑張って勉強したい。

2021年10月31日:読みたい本を気ままに読む読書会。

mtさん『あなたもこうしてダマされる』ロバート・レヴィーン著、忠平美幸訳
 著者の関心事として「人はいかに操られ、自分がやると思ってもいなかったことをやってしまい、あとになって悔やむのか」が挙げられていました。仮に操られたとしても悔やむことがなければ「ダマされた」とは思わないのかもしれません。そこには、なにかしらの心理的負担が潜んでいそうです。本書は社会心理学の立場から、合法・非合法を問わず「ダマす」ことを分析したものですが、世の中には思った以上に「ダマす」テクニックが蔓延していそうです。

 一方に「ダマす」側があるとするならば、他方に「ダマされる」側があります。「ダマされる」側は、なぜ「ダマされる」のでしょうか。本書では、得ることの喜びよりも失うことの心理的負担のほうが大きいことが述べられていました。「ダマす」側にとっては、最初の扉を開けてしまえば、というわけです。そして、有名なミルグラム実験やスタンフォード監獄実験が取り上げられていました。自分の行為によって他者が死ぬ可能性があったとしても、権威による命令があればそのまま実行してしまう被験者が、全体のうち65%存在したミルグラム実験。看守役の被験者が逆らえない立場の囚人役の被験者に対し、攻撃的になり理不尽な命令を強要することが明らかとなったため、警察沙汰になったスタンフォード監獄実験。どちらも怖い話です。どちらも途中で役目を降りること、つまり失うことの心理的負担を受け入れれば大事には至らないであろうことが指摘されています。

 他国の話だからと一概に言い切れない内容でした。「ダマす」テクニックはコミュニケーションを逆手に取っているので、なかなか避けがたいもの。「ダマされないゾ!」とがんばるよりも、受け流せるようにしたほうがいいのかなと思いました。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 今日はソクラテスとプラトンが登場しました。名前しか知らない二人です。

 ソクラテスは、奴隷から知識人から、ときには政治権力にも、対話をふっかける人。ソクラテスと相対した人は、自分が物事をわかっていないことを実感せざるをえなくなっていく。人によっては、ソクラテスに怒りを覚える。政治権力は自分たちの立場が危うくなるので危険人物と見なしていく。

 ソクラテスは「無知の知」を自覚していた。自分はなにもわかっていない、それが怖かったらしい。だからいろんな人にいろんなことを聴いていった。

 しかしその結果、処刑されてしまう。ソクラテスが弁明すれば処刑は免れたとされているが、ソクラテスは自分の主張や行動を変えようとしなかった。

 「無知の知」がソクラテスの生き方の核であるように感じられ、どんな価値観だよと理解が追いつかないでいる。一度でいいから、いや二度目は結構だから一度だけ、会ってみたいものだ。

Yukikoさん『幸福の資本論』
 幸福には三つのインフラが必要なんだそうです。
①金融資産
②人的資産(仕事など)
③社会的資本(家族、恋人、地元など)
 この三つの中の二つを持っていることが貧困女子(一番不幸な状態)にならない秘訣なんだそうです。

 一つしか持っていないと幸福のヒエラルキーの最下層になってしまう可能性が高いので二つ持っているという状態が大事だということです。

 ①~③の状態を組み合わせると8タイプの人間にカテゴライズすることが出来るそうですが、ではその中で自分はどのタイプだと思うとどれにも当てはまらない事に気づいて、人ってそんな単純なものじゃないよねと思いながら読んだ本でした。
 でも読み物としては面白かったですよ。

2021年10月30日:テーマのある読書会「価値観の色々」

yuさん『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』
 他人事のように誰かを非難し槍玉にあげるのは理解が足りないからなのか。世界には性・民族・障害など複合差別を交差的に問うことがもはや回避できなくなっているそうだ。今日は、ジョーカー、パラサイト、バーニングと見た映画の読み解きの部分を流し読みしました。この世界は何て複雑なんだと思いました。

 「反教育論」を3巡目読んでいる方がいて、皆で小学校や高校の頃の教育環境について話したりしました。塾など久しぶりに思い出しました。

つやまさん『落ちこぼれ、バンザイ!-スヌーピーたちに学ぶ知恵』河合隼雄+谷川俊太郎
チャーリー「ぼく退屈なやつだと思われるのがすごく怖いんだ・・」
チャーリー「退屈するのもすごく怖い・・」
チャーリー「いままで一番何に退屈した?」
ルーシー「たったいまはぬきにして?」

 アメリカ社会では退屈している人間や相手を退屈させる人間は魅力がないと見なされる風潮が強く、みんな強迫観念的に楽しいことや新しいことを求めているところがあるそうだ。上のチャーリーの問いかけに対するルーシーの返答はひどいが、ひどすぎて笑ってしまうようなところに、そういう強迫観念から抜け出せるような効用がある気がする。また、日本と比べて弱さや悲しさなどのネガティブな感情を日常の中で出せないので、その代償行為としてスヌーピーが長く愛されているという面があるそう。日本でも近年は大人の漫画として受け入れられてきている背景には、西洋化による心の問題の増加という事情もあるのかもしれないというのに複雑な思いがします。読書会前の時間にちょうど暇と退屈について雑談していたのもあって、なんとも考えさせられる漫画と二人の対談でした。

だいぽんさん『インスタグラム 野望の果ての真実』
 価値観の表現としてインスタグラムに代表されるSNSを利用される方が多いと思われます。わざわざ、インスタ映えする写真を撮るために食べきれないほどの大きさのものを頼んだり。最後まで読み進めたいと思いました。

2021年10月28日:読みたい本を気ままに読む読書会。

原有輝さん『思想史としての「精神主義」』
 江戸時代の「歎異抄」解釈と、明治以降の「歎異抄」解釈との違いや、福沢諭吉の宗教観や井上毅の宗教政策がどのような影響を及ぼしているか、興味を持ちました。まだ序章を少し読んだだけですので、続けて読もうと思います。

yuさん『ノーベル文学賞のすべて』
 ノーベル文学賞とは何かを読みました。ノーベルの生涯とノーベル賞設立の経緯。遺言に「最も卓越した理想主義的な作品」に与えるとあるが、その解釈も難しいようです。せっかくだからいろいろ読んでみたいなと思いました。

 長い本を再読している人がいらっしゃり見習いたいものだと思いました。

だいぽんさん『テスカトリポカ』
 メキシコからアメリカに向かう人もいれば、南に下る人もいる。最初に出てくる女の子ルシアは後者だった。それからペルーで働き、太平洋の端、日本という国の存在を知り、太平洋を渡ることになる。大阪の違法カジノで働く中、警察のガサ入れを幸運にも免れ、川崎のキャバクラで働くこととなり、何とか暮らしていくことになったが。

2021年10月25日:読みたい本を気ままに読む読書会。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 14歳の少女宛に届く手紙には、哲学の歴史が記されている。古代ギリシャで哲学が盛んになる前には、神話によって世の中の現象が説明されていた。哲学は、そこに疑問を投げかけていく。

 ひとつには、いつも周りにある、木や花や虫などは、何で構成されているのだろう、分解していくと何が根元として残るのだろうかという疑問。

 ほかのひとつには、運命はあるのかという疑問。運命があると考えるならば、おそらくそれを知る方法があると考える。今も昔も人は占いが好き。だけれども、哲学はそこに疑問を投げかけていく(おそらく)。

 思ったことは、人は、原因を知りたいという気持ちと、未来を知りたいという気持ちを持っているということ。原因も、原因がわかれば同じ失敗をくり返さないで済むから、ある意味では未来に対する願望の表れのように感じる。人はいつも未来を見てきたらしい。

2021年10月24日:テーマのある読書会「価値観の色々」

mtさん『ヴェニスに死す』トーマス・マン著
 価値観というテーマから、価値の転換点を扱ったものをと思い、本書を選びました。ヴィスコンディによって映画化されていますが、劇中で使われた交響曲5番4楽章のアダージェットが繊細さを醸し出し印象的です。映画での主人公は音楽家で、マーラーがモデルとされています。対して本書では、著者自身がモデルで、1912年に発表されました。今回、読んだのは岩波文庫で初出1939年、翻訳も古いタイプのもので、その分、重厚さが伝わってきます。全5章のうち、3章まで読みました。

 主人公の老作家は、栄誉を手にしながらも精力の衰えが気になっています。憂鬱な気分を払拭するために一路、ヴェニスに向かうことにしますが、船上では若者の恰好をした年配の男性を見、驚きます。ヴェニスに到着した老作家は、ポーランドから来た家族と同じ宿に滞在します。その中に10代前半と思われる少年がいました。この少年は船上で見た年配の男性とは対照的な存在で、老作家は「ギリシャ美の象徴」として心を奪われます。

 パラダイムシフトという言葉があります。認識の枠組が大きく変化することを意味しますが、本書が書かれた頃の19世紀末~20世紀初は、まさにそんな時代だったのではないかと思います。そうした背景から、夢中になりながらも相手にされない老作家と少年との関係が古い時代と新しい時代を象徴しているかに思われました。老作家の価値は、伝統的な価値に名を連ねることと推察でき、貴族の称号「フォン」を拒否しなかったことが、それを示しているように思われました。もしかすると老作家は、ギリシャ時代のプラトニックラブ(少年愛)のように、少年を導きたいという妄想を抱いたかもしれません。しかし、少年は、老作家の思いにはまったく関与せず、同じ価値を共有していないことが見て取れます。

 どうしても映画の影響が強く、バイアスのかかった目で読んでいる可能性は否めないのですが、しかし、本と映画という媒体の違いから、表現に違いがあり、面白いなと感じました。

よしだ『生物多様性』本川達雄著
 今日はサンゴの生態系と、その生態系が崩されているというところを読みました。

 サンゴは、動物です。だから食物連鎖的には植物の恩恵にあずかることになります。しかしサンゴがいる熱帯の海では、植物が生きるのに必要な窒素やリンが海中に浮遊していません。植物は成長していくことができません。そこでどうしたか、、。

 サンゴは細胞の中に褐虫藻(かっちゅうそう)という植物を住まわせることにしました。サンゴの排泄物には窒素やリンが含まれます。昔は畑の肥やしに家畜の糞などを使っていましたが、それと同じことです。褐虫藻はサンゴの中で必要な栄養をもらって光合成をすることができます。二酸化炭素もサンゴが吐き出してくれます。反対に、サンゴは褐虫藻から、光合成でできた栄養や酸素をもらいます。超強力なタッグの完成です。

 そんな奇跡的な名コンビがいることで、サンゴのいる海には生き物の豊かな世界が広がっています。生態系すげぇ。

2021年10月23日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『俳句の時代』
 遠野と熊野は繋がっているらしく、普段は日常に忙殺されているが、時々は聖地の清浄さに触れてみたいものです。それで自分を取り戻すことは、多分あるだろうから。

小澤さん『諦めの価値』
【概要】
 「あきらめ」ることに対する森博嗣による見解を書いた本。
 諦めるなといった風潮が一般的ですが、諦めることの何が悪いの?という著者のスタンス。

 ・重要なことは「諦める」対象は何かを考えること。
  ・目的
  ・目的へ向かう方法

  後者であるならば、成功とはむしろ諦めることで近づいていく。

  前者の目的だって、整理してみれば違うやり方で実現できることもある。
  「美人になりたい」が目的だったら、美人になることで何を得たいのか整理すれば別の方法で実現できるかもしれない。そもそも目的を達成する必要はない可能性があることに気づくこともある。

 ・「諦める」ことによって、人は考え始めるので、事態が改善する可能性がある。
  大失敗は大体の場合、諦めないことが原因で、もう少し早く諦めていれば失敗で済んだものが、諦めなかったために「大」が付加される。

Takashiさん『カフカ短編集』 カフカ著 岩波文庫
 二十編の寓話が入っている短編集だ。

 小説は心の奥に直接届く。何の話か分からなくても、理屈の壁をすり抜けて心の奥に届く。哲学はそれを気付かせてくれるガイド役だ。

 私が読むところ、この短編集は何を言いたいのかがさっぱり分からない話が多い。でも、なんとなく心に残ってしまう話ばかりだ。何かが届いている様な気がする。

 私は今日の読書会で解説に似た感想を喋ったが、これはそんな底の浅いものではないだろうとも思っている。どうせ読むなら二、三度読み返したり、出来れば感想文を書くのが良いのだろう。

2021年10月20日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『黄色い雨』
 スペインの作家。1970年完全に廃村となったアイリエーニエ村に残された二人の夫婦と雌犬。雪深い自然の美しさと人間の孤独。ひとりぼっちでこの世にだれもいないってどんな感じなのかなあと思いながら読みました。わたしは記憶にすぎないのでは。

 他の方で平野啓一郎さんの「ゆっくり読書・・」高瀬舟の読みの深さを聞いて、「深く読む」とは。また「承認欲求・・」の本で「余白のある会話」とは。
 また「ソフィー」で「わたしは誰」だろう。なんとなく人間存在について共通の本だった気になりました。

原有輝さん(今日は、この時間に読書はできませんでした。)
 忙しいと忘れがちだが、ゆっくり丁寧にするのは時々大事で、時々思い出したいものだ。雑に扱うと誤解も多い。誤解が争いに発展するかもしれない。

2021年10月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

早川さん『もしも、シンデレラの行動がすべて計算ずくだったら?考える脳の鍛え方』
 「さんまのカラクリTV」などのテレビ番組の企画をしていた著者。0から新しいものを生み出すのは難しい。既にある1を1’に変えていく。例として、シンデレラの話を登場人物そのままで新しい話にするなら?とか「チョイ不良〇〇」を出しまくるとか、何かと何かを掛け合わせて新しいものにするなどの方法がある。企画をするには自分よがりではなく、相手のことを考えること、自分の中で決定のためのルールを持つことが大事ということもわかった。
 企画をする仕事に携わっているわけでは無いが、物事に対する視点の持ち方とか、楽しく仕事をする極意などを知ることができた1冊だった。

よしだ『ソフィーの世界』
 児童文学、今日から読みはじめ。14歳の少女のもとに、哲学的な質問が手紙で届くところから始まる。

 最初の質問は「あなたはだれ?」

 この質問に、自分の名前や形容する何かで答えるのか、深く考え込んでいくのかがひとつの分かれ目なのだと思う。大人になると、いろいろなことに答えをもっているつもりになってしまう。
 14歳という大人になっていく時期にこの手紙が届くことに物語の意味があるのだろう。しかし自分の答えを崩していくことは何歳になってもできるはずだ。この本を読みながら哲学的に考えることの意味を一緒に考えてみたいと思った。

2021年10月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

mtさん『透明な迷宮』平野啓一郎著
 本書は後期分人主義の最初の1冊で、6つの短編が収録されています。その中の「消えた蜂蜜」を読みました。

 主人公の「僕」は、長期滞在した山陰の小村でKという郵便配達員と知り合います。いつの頃からか、村人たちがKの能力に気づいていきます。その能力とは、他人と同じ筆跡で文字が書けるというものです。あることから事件性を疑われ、Kは次第に疲弊していくのでした。

 小さな共同体の中で異質な存在となってしまったK。他人と同じ筆跡から、Kの自己の危うさが垣間見られるのと同時に、書く人と書かれた文字との分かちがたい関係性が逆説的に浮かび上がってきたように思いました。本書のほうが出版は古いのですが、村上春樹さんの『一人称単数』とテイストが似ているように思いました。

よしだ『地球進化 46億年の物語』ロバート・ヘイゼン著
 宇宙や地球の誕生の話は初めて読むので、まだまだ理解が追いつかないのですが、本当の無から有が生まれた瞬間というのは不思議でしょうかない。全くの無になにかが起きて、素粒子が生まれ原子が生まれ分子が生まれ…。雲のようにいろいろなものが漂うところに何かのきっかけが起きて太陽が生まれ、その同心円上に地球をはじめとした惑星が生まれた。そしてそれは宇宙のなかのほんの一片での出来事。そんな宇宙誕生の歴史のなかに、生命の誕生が有る。

2021年10月16日:テーマのある読書会『価値観の色々』

Takashiさん『ボディマッピング』バーバラ・コナブル著
 アレクサンダーテクニークという体の使い方を教える協会があり、本書はそこの講師の著書だ。誤った知識によって作られた感覚は、正しい知識によって修正できるか?というチャレンジをひたすら繰り返す。

 例えば前屈するとき、「腰を曲げる」という言葉(誤った知識)によって骨盤の近くの脊椎を曲げると思い込んでいる人は、その行為を繰り返すことで少しずつ脊椎を痛めていく。脊椎はそのつなぎ目のわずかな伸縮が許されているだけで、直角に曲がったりはしない。
 前屈は股関節の動きによって為されるものだという正しい知識があれば、ひょっとすると腰痛は防げたり和らげたりすることが出来るのかもしれない。

 同じような誤解が「肩」「腕」「指」、あるいは「腹式呼吸」などの言葉によって作られている場合もある。骨や筋肉や内臓の正確なイラストは今や簡単に手に入るが、私たちは体のマップと感覚とを案外結び付けていないことに気付かされる。

 ただ、いつも思うのだが、何故アレクサンダーテクニークの解説本はどれも余計な神秘的な味付けがしてあるのだろう。徹頭徹尾、体の使い方だけが対象なのに。

よしだ『生物多様性』本川達雄著
 サンゴ礁にはいろいろな生きものがいて、自分の食用に藻類を育てているサカナもいるのだとか。そこだけ藻類がわさわさしているそうです。そういうの知ると、そっとしておいてあげたくなります。

 ほかにも、特権階級に関する話が出て、考えさせられました。たとえば、今の社会では男性の方が有利な環境になっているとされています。そう作られてきたとも言えるのかもしれません。その場合、先祖代々大富豪とかではなくても、男性は社会的に特権階級にあたり、いかにもう一方の人々を擁護する発言などをしようとも、それは特権階級目線になっている可能性があるということ。う〜ん、これはいろいろと考えさせられて、まったく未消化です。難しい問題。

2021年10月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『人生を狂わす名著50』宮家香帆
 著者は京大大学院生兼書店員で、大学の志望も大学院進学も出会った本の影響で決めたという人。
 本が「私の人生そのもの」であり、その結果人生を踏み外してもOKという”覚悟の人”が選んだ本が50冊紹介されている。

 登場する名著の中で私がすでに読んだいる本が15冊あった。
 たとえば、米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んだ後、ソ連時代の東欧の歴史に関心を持つようになったし、斎藤美奈子「妊娠小説」では文芸評論の面白さにはまって、評論本ばかり読んでいた時期があった。
(妊娠小説とはヒロインの望まぬ妊娠にヒーローがおろおろするパターンの小説のこと。森鴎外「舞姫」をはじめ日本文学でよく登場する)

 このようにこの2冊は私の興味やものの考え方に影響を与えたことは事実だ。
 どんな本でも読めば読者に何らかの影響を与えるものであり、著者のように人生を変えるほどではなくても、今まで読んできた数々の本が今の自分を形づくる要素になっていることは間違いない。
 だからこそ、読んでプラスになるような本を選択することが大切だ。
 ただし、本は読んでみないことには、自分にとって良い本かどうは分からないという側面がある。
 本選びは難しいものだとつくづく感じた。

よしだ『個人主義とは何か』西尾幹仁
 個人としての権利と自由をもって生きることには、社会的になのか個人的になのか、なにか素地が必要とされるのだと思わされました。明治維新で西洋の個人主義的な制度はもってこられたけど、そこを生きる人に必要とされる慣習や考え方は置き去りにされたのではないかという話でした。

2021年10月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『シブヤで目覚めて』
 チェコ文学。1991年生まれの作者。チェコで日本学を学ぶ女子大生の話。2年の時図書館バイトで川下清丸を見つけたところを読みました。日本に興味を持ったきっかけは村上春樹の「アフターダーク」

 ショーペンハウエルの「読書について」を4巡目している参加者がおられました。私も初めて読んだ時は衝撃を受けてそれを古典新薬文庫のイベントで編集長に質問したら「あなた真面目な人ですねえ」と言われたことを思い出しました。

よしだ『地球進化 46億年の物語』ロバート・ヘイゼン著
 博物館なんかにいくと、宇宙の誕生から始まる年表がある。人類の誕生にはほんのすこしだけ詳しくなったがためか、宇宙の誕生についてほとんど分からないのが悔しい。
 「ビッグバン以前は空間も時間もなかった」「誕生したとき原子核より小さかった初期宇宙は」、第1章ではそんな記述を目にした。どうしよう、全然わからない。けど、不思議と興味をそそられる。

2021年10月10日:テーマのある読書会「価値観の色々」

yuさん『理不尽な進化』
 適応主義に対する論争を読んだ。グールドの適応主義批判では、適応主義は生物がいかに最適化されているかという問いをたて、いかにもっともらしい答えをそこに当てはめることができるかを競う。実際にそうであるかは別として。
 世界とは、人間とは、知識とは。言葉におどらされるなあ。と思いました。

 他の方も生物多様性や民俗学、波などを読んであり、1つの木に40?種類の蟻が住んでる熱帯やティラノサウルスの手はなぜ短いのかについてなど話しました。

よしだ『生物多様性』本川達雄著
 熱帯雨林は生物多様性がすごいらしい。なんと1本の木に、43種類ものアリがいることもあるのだとか。
 ものすごい万能で強い存在がいると、多様性は崩れるらしい。いろいろなニッチに特化した生物たちで多様性は生まれていく。
 43種類のアリはそれぞれどんなニッチに特化しているのだろう。

mtさん『民俗学』宮田登著
 全部で15章あり、そのうちの1章~3章を読み終わりました。1章は日常生活をターゲットとした学問の起こりと発達について、ヨーロッパや日本、アメリカなどから概説。2章は初期の民俗学者として、柳田国男、南方熊楠、折口信夫らを紹介。3章は民俗学のキーとなる「常民」という概念について紹介。さまざまな識者の主張が述べられていますが、最初に常民という言葉を使ったのは柳田国男とのこと。昭和10年頃に確定したとされる柳田の常民観によると、常民とはふだんの生活の中で普通としてやっていることを指すため、庶民や士族のような身分ではないこと、イギリスのcommonを使いたいことなどが述べられています。さらにそこから、常民を相対化する動きがあり、さまざまな内容の常民が研究されているそうです。

 日常生活という雑多なものをどう集約していくのか、とても興味深い内容です。著者まえがきに「1990年」とあるので、現在の民俗学から見ると古い内容かもしれませんが、面白く読んでいます。

 皆さまのお話も、とても興味深く面白かったです。ありがとうございました。

2021年10月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『名古屋美味しい店カタログ』
 名古屋の本気が感じられた。久屋大通、エスカ、大須、亀島、清水、日間賀島など幅広く取り上げてあって興味深い。

Yukikoさん『ナナメの夕暮れ』
 この本はコロナが始まった時期に本屋で偶然、手に取った本です。
 コロナの世界が始まってステイホームという言葉が広まり、これからどんな世界が始まるのか不安になっていた時期でもありました。
 若林君の書くくすっと笑えるエピソード、どうやって生きずらい自分を変えて行ったのかを書いたこの本は、不安な気持ちや毎日をこれからどう向かい合って生きて行くかを教えたくれた本でもありました。
 若林君は純文学が好きで、読書家ということもあって彼の見た目?をいい意味で裏切る素晴らしいエッセイ本です。
 私は彼がオススメする本(平野啓一郎のドーン)を読んで、平野啓一郎もファンにもなりました。
 人生がつまらないと思った時に読むのにオススメの本です。

サヤマさん『ゼロで死ね』
 人生でのお金お使い道を考えました。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 いろいろと常識が覆される、恐くておもしろい本。
 意志はない(かも)、結果の前には原因があるわけでない(かも)、責任は社会秩序のためにつくられた(かも) などなど…。
 一見過激なんだけれども、その新しいものの見方の先には、過度に人を縛り付けないような捉え方ができるようになりそう(かも)。

2021年10月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

mtさん『ライオンのおやつ』小川糸著
 主人公の女性は33歳。がんのステージ4で医師に余命宣告をされ、瀬戸内海のホスピス「ライオンの家」に入所するところから物語は始まります。食べ物にまつわる場面が印象的で、主人公の心のあり方と密接です。

 食べることや食べ物によって表現される生きることは、やがて訪れる死とのコントラストなのかもしれません。まだ読み始めなのですが、皆さまのお話から、今後の展開に期待できそうで、楽しみです。

yuさん『陰陽師』
 平安時代の醍醐天皇の時、陰陽師安倍晴明の話。鬼や異界のものたちがいた時代の話。見えないものたちのことをどう考えるのかを考えました。

 名は一番小さな呪というのがそうかもしれないなと思いました。他の方は最後をどう迎えるかや、無理しない行き方など、人の生き死にに関する話題だったなと思いました。

ながいさん『マズロー心理学入門』
 マズローの5段階欲求は知っていましたが、よく見るピラミッドはマズローが唱えたものではないことが衝撃的でした。
 世の中の情報は偏っていると思っていて、一次情報を仕入れに行くことは
重要だと改めて感じました。
 今後もファクトベースで情報をみるようにしていきます。

おおにしさん『歌うように伝えたい』塩見三省
 7年前に脳出血で倒れて左半身不随となった俳優塩見三省の闘病記。
 リハビリの結果5年前に俳優を復帰された塩見さんは共演した星野源(彼も大病を患った過去あり)から病とのかかわりに一区切りつけるために闘病記を書くことを勧められ執筆を決意したそうです。

 本書のサブタイトルに「人生を中断した私の再生と希望」とあるように、
塩見さんにとって闘病記を書くことは自分自身を再生させるためのプロセスでもあったのでしょう。
 最初の章を読んで、塩見さんの内省的で落ち着いた文章から何か人生のヒントがもらえそうな気がしたので、最後まで読んでみたいと思います。

2021年10月2日:テーマのある読書会「価値観の色々」

小澤さん『言語学バーリ・トゥード』

「AIは絶対に押すなよを理解できるか。」章の感想

概要:
 ダチョウ倶楽部の熱湯コマーシャルにて
 上島竜平さんが「押すなよ!絶対に押すなよ」といっている場面をAIは理解できるか。

なぜAIに理解が難しいのか:
  ①意味(文そのものが表す内容)と意図(話し手が聞き手に伝えたいこと)が正反対になっているから。

  ②意図を特定するための手がかりが言葉そのものの中に入っていないから。
   例:白いギターの箱。ギターが白い?箱が白い?これだけでも曖昧。
  
  また、上島竜平さんが熱湯風呂の前にいたら押す、という覚え方だと厳しい。
  クリームパイが目の前に置かれていたらどうするのか?パターンは無限にある。

思ったこと:
  AIには上記の通り難しそうだけど、人間は何でできるのか?
   →人間も膨大な前提知識と類推を基にパターンマッチングをしているだけでは?
    (ダチョウ倶楽部を知らない人間だったら文字通り受け取って押さないはず)。
    文字情報だけではなく、画像や音声なども前提知識として
    学べるようになればAIもいずれはできるのではと思います。

Takashiさん『死に至る病』キェルケゴール著
 キェルケゴールの言う絶望は、怪我や病気とは違うらしい。

 怪我や病気は、その原因をいつまでも気にしては駄目で、たとえば他人が病人に向かって「だからあんなに〇〇しちゃダメだって言ったじゃないの」と病気の原因を毎日責め続けることは、非人間的なことだという。
 しかし絶望は違う。毎日常に今この瞬間、原因に遡って自分自身を責め続けるのが絶望だ。

 井伏鱒二の黒い雨のエピソードに、火事で下敷きになった息子を助けきれずに逃げ出してしまった父親の話がある。逃げた後、この息子は奇跡的に助かって父親と対面するのだが、息子はいたたまれなくなって出て行ってしまう。小説にこの先は書いてないが、この父親は常に自分を責め続け絶望しながら生きていくのだろう。

 私の想像だが、絶望に気付いた父親がとる道は3つ。一つは自分から逃げること。例えば、お酒におぼれるなど。二つ目は物語を逆転する嘘を作ること。例えば、父はもっと沢山の命を救いに行ったから仕方が無い、みたいな嘘をでっち上げること。三つ目は信仰に入ること。自分の罪と弱さを認め、そんな自分が依って立つ大いなる力に自覚的になることだ。

 死に至る病は信仰について書かれている。キリスト教がベースの論述であるが、宗教というよりむしろ信仰について書かれている本だ。

yuさん『女のいない男たち』
 出版されたときに読んで再読しました。「シェエラザード」で、出てくる女性の高校生の時の思い出話が心に残りました。短編が本全体で微妙に絡まりあっているところがありました。

 価値観がテーマで、人との距離の取り方とか考え方とか色々あるなあと思いつつ「死に至る病」そういえば哲学の先生「キルケゴール」の話ばっかりしていたような。と昔を思い出したりしていました。怪我や病気と絶望は違う。

よしだ『生物多様性』本川達夫著
 ナマコ・ウニ・ヒトデなどの棘皮(きょくひ)動物の研究などをしていた本川達夫氏の本です。沖縄の大学にいたこともあるなど、生物と直に関わり合ってた方です。

 生物多様性がなぜ大事なのかという議論のひとつの方向としては、人間にとって有益だからというものがあると思います。たとえば、この本に載っていた内容ではありませんが、ジャングルに未知の植物がいたときに、その植物が薬につかえる新成分をもっている可能性があるということなどです。ほかにも、生態系が豊かであることは、食糧生産や防災の観点からも重要であると思います。

 でも、そんな風な価値観の先に何が言えるかと考えていったときに、ひとつの恐ろしいこと(?)に気づきます。あれ?人間の世界の多様性も人間にとって有益だから認められるべきなんだっけ?ということです。つまり、ひとりひとりの違いは有益さを内包しているから価値がある、そんな考え方でいいんだっけ、ということです。

 この本の副題は「「私」から考える進化・遺伝・生態系」です。前に一度読んだのですが、生物全体と人間とを分けずに、「私」の先にあるものとして生物多様性を考えようという内容だったような気がします。壮大だけと大切な話として、読み進めてみたいと思います。

2021年9月29日:読みたい本を気ままに読む読書会

まぐろ好きさん『未来は予測するものではなく創造するものである』
 フレームワークよりストーリというところ。他の方の話では、自由意志の話が面白かったです。アイデアに関する意識を高めていて、思考というところに興味があり本書のSF思考もヒントになるかなという感じで読んでいます。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 何かの行為をするとき、人が意志をもち、それに応じた脳の信号が発生して、身体なりが動く、という流れであると考えるのが一般的であると思います。しかし最近の研究では、脳の信号が発生し、その後に意志が発生し、身体なりが動くのだというのです。脳も自分の一部だから、脳でも意志でもどちらでもいいではないかと思ったりもしますが、脳の信号は自分の内から純粋に起こるものではなく、外的な影響を多分に受けるとのこと。たとえば、自然災害を感じさせる重低音が響く環境に身をおけば、警戒感から攻撃的な行為に及んでしまうことがあったりするかも、とかそんなことではないかと解釈しています。
 意志なんてものはないと仮にされたときに、自分というものへの認識や、責任に対する考え方に混乱をきたしそうです。ただ、ここで言われていることは、あまりにも個人というものが周囲から分離したものとして捉えられてきた近代の補正なのではないかと思って、背筋を伸ばして読んでいます。

2021年9月26日:テーマのある読書会「価値観の色々」

yuさん『理不尽な進化』
 進化論というとダーウインを思い浮かべるが、私たちが普段使用している進化論は実はスペンサー論だというところを読みました。お守りとしての進化論と学術的な進化論の繋がりが複雑だなあと思いました。
 皆で子供の頃の読書体験について話したりしました。小学生の頃を思い出したり。

Rieさん『インサイト』
 自己認識の重要性を再認識できた事良かったです。自己認識の旅は生涯終わる事がなく(自己は変容するので当然だとは思いますが)インサイトは自己認識を行う洞察力、己を知ろうという意思、自分に対する好奇心であり、自分への正しい愛情であると、皆さんのお話しを聞いていて感じました。また、幼少時の読書体験の問いが自己認識を深めてくださいました。ヒーローになって世界を救う。そんな物語にワクワクした自分を思い出し、心が熱くなっていました。原点回帰ができた時間、そんな素敵な時間をありがとうございました。

ながいさん『ムダなありがたい保険』
 僕自身生命保険に加盟してますが民間の保険不要だと感じているので早くやめたいなと感じました。親がもともと生命保険会社で働いていてその紹介で入っているのでやめにくいので、そろそろ判断材料を揃えてやめようと思ってます。家庭を持ち父になった場合には検討の余地があるかなと思いますが、そもそも貯金があればいらないと思っているので、もう少し保険の勉強をしていきます。

Takashiさん『哲学入門』ラッセル著、ちくま学芸文庫
 今日は14章のヘーゲル哲学の解説を読んだ。本章ではこの後ラッセルによるヘーゲル哲学の批判が展開されるのだが、私はヘーゲルなんて一行も読んでいない。だからこのラッセル批判が妥当かどうかは判断しようが無いのだ。

 だから気を付けなければならない。「ヘーゲルって〇〇の部分が駄目だよね~」と他人に語りたくなる誘惑に打ち勝たねばならない。本書の論理構築が、いかに緻密で的を射たものであったとしてもだ。私はラッセルの論旨を読み取るべきであって、ラッセルの結論を借りて「駄目だよね~」と言う資格は無い。そういうのは痛々しくて恥ずかしいことだ。

 昨今の哲学解説書ブームでも同じことが言える。解説書だけ読んで用語の知識を仕入れて分かった雰囲気を出すとやばいのだ。でも時間も無いし、見栄もあるし、私もやっちゃうんだよな~~これを!

よしだ『コンビニ人間』村田沙耶香
 今日で最後まで読み終わりました。

 コンビニがもつ合理性に主人公はフィットしていた。ある時、おかしな流れのなかで彼女はコンビニをやめることになる。すると、彼女の生活は崩れていく。元気に働くために寝る時間を決めていたが、バイトをやめたらその時間に寝る合理的な理由はない。清潔感を保つ必要性も薄れ、風呂に入る理由も同時に薄れていく。
 人それぞれに合う環境や生き方というのはある。絶対的・普遍的な基準があるわけではない。

 テーマだけでなく表現や描写など、全体がおもしろい本でした。

mtさん『高瀬舟』
 短い物語の中に、今日でも通用する普遍的な問題提起を内包した秀逸な一編です。読んでみて、「足りるを知ること」「嘱託殺人の是非」「その時代の法と運用のあり方」が気になりました。合わせて『高瀬舟縁起』も読むと、著者の思うところを知ることができます。

 皆さまからいろいろなお話をうかがうことができ、うれしく思いました。ありがとうございました。

 本書は著作権が切れているので、青空文庫のアプリをインストールすれば、スマホで無料で読むことができます。

yukikoさん『めくらやなぎと眠る女』
 村上春樹の短編集は初めて読みました。

 短編でもそこかしこに村上春樹らしさが溢れた作品でした。
 感想では上手く話すことが出来ませんでしたが、主人公の高校時代の描写そして大人になった今の自分とそこに映る景色は何気ない風景が詩情に溢れてとても爽やかでそして文学的でした。
 短編でも村上春樹を堪能出来ました。

 この短編集は英語版が先に出版されて、その後日本語版が出たそうですがこの詩情溢れる文体を世界中で読まれていると思うと嬉しい気持ちになりました。

2021年9月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『波』
 45年ぶりにでた森山恵さん訳で読みました。私にとっては超難解な本でした。一度は読んでいて再読です。小説と小説の間に挟まれる自然描写が繊細で細かいです。

 他の方は「紫のスカートの女」「村上さんのところ」「群集心理」などを読んでました。村上さんの普通の回答がいいという話で、わかりやすく回答できるってのはやはりすごいことだなと思いました。難しい事象を簡単な言葉にすること。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 序盤の、社会心理学を批判的にみるところを読みました。
 今回は科学のあり方について。社会心理学が実験に依りすぎて、理論構築を疎かにしているのではないかという批判でした。
 おもしろかったのは、実験とは理論の正しさを確かめるためにあらず、というところでした。理論と異なる実験結果が出るからこそ、新たな視点の発見や理論の構築につながるということです。実験によって簡単に確かめられる理論や仮説など矮小なものである、みたいなことも書かれていて、過激だけど刺激的でした。
 確かめる実験=正解がある実験よりも、発見や視点を見つけるための実験の方が、なんだか楽しそうだなと思いました。

2021年9月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『理不尽な進化』
 数多の生物がどのようにしてこの世から退場していったかという本の序章を少し読んだ。
 他の人は「ソロモンの指輪」や「ドーパミン」の本、「華氏451」、「コンビニ人間」。
 なんとなく理科系の話になった。アクアリウムはなるべく自然に近い方がいいらしい。雑草を抜かない農法を連想した。

うさじさん『ソロモンの指環』

今日もありがとうございました!

最近メダカを飼いたいなと思っていたのですが、この本を読んで参考にできたらと思います?

アクアリウムは一つの世界である。
なぜならそこでは―動物と植物が一つの生物学的な平衡のもとで生活しているからである。
アクアリウムの魅力は、この小さな世界が自活しているところにあるのである。
(本の引用より)


超訳 アクアリウムの作り方→
① ガラス鉢の底に砂をしき、水草を2ー3本さしましょう。
② 水道水を入れて、窓際で数日置きましょう。水が澄んできたらOK
③ 水網をつくりましょう(針金で丸い輪っかを作り、靴下やカーテンなどのぼろきれで袋を作る)簡単なものでOK
④ 近所の池に行って、網ですくいましょう。
 (お店で買いならされた上品な生物よりも、自然な環境で育ったものの方が、完全な生命共同体だからです。)
⑤ 魚に餌をやったりときどきガラスをふく以外は、特に大きな世話は必要ありません。


YouTube動画で発見したのですが、こちらの動画はまさに、動物と植物の平衡が保たれた状態を言えるのではないでしょうか。↓
https://www.youtube.com/watch?v=ta6u7b2GYGU

つやまさん『もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』
 ドーパミンは、他者との関わり方や、政治的なスタンス、新しい体験を求める好奇心、芸術におけるインスピレーションなど、人間のあらゆる精神活動に影響しているそうです。これまで人類の発展に貢献してきた一方で、今後は滅亡を招く要因にもなりかねないことが指摘されています。今回は「依存症」の部分を読みました。
・「欲しい」と「好き」は、使われる脳の領域と化学物質が異なっているため、必ずしも一致しない。(ex.空腹でないのに目の前にドーナツを置かれると食べたくなる)
・「欲しい」を司るドーパミン欲求回路は、進化の過程で生存や生殖に有利になるように強化されてきたため、意思の力で抗うのが難しい。
・アルコールや薬物など自然界にない物質が、ドーパミン欲求回路を乗っ取ってしまうのが依存症の原理である。
・依存症になると「好き」という快楽を得るためではなく、「欲しい」という欲求に抗えないがために摂取を繰り返すようになる。
・オンラインゲームは、アイテムの出現確率やランダム性が依存性を高めるようにデザインされており、依存者の増加が社会問題になっている。
・幸福には「欲しい」と「好き」の調和が大切で、自然に触れたり、絵を描くなどの創造的な活動が効果的である。

2021年9月21日:読みたい本を気ままに読む読書会

marikoさん『ダイエット』大島弓子
 他の方が紹介されたよしもとばななのどんぐり姉妹の話しが好きでした。人の役に立つってそんなに大それたことでも、力が入ったことでもないんだなと思いました。いつも居心地のいい読書会の場を提供してくださってありがとうございます。

けいこさん『どんぐり姉妹』
 見知らぬひとからの、悩み相談などのメールへ返信するサイトを運営している姉妹の話。
 相談に対して具体的な回答を提示するのではなく、当たり障りのない(とはいえ優しい)言葉にとどめるところが良くて、そういうやりとりを求めているひとはきっと少なくないだろうと思う。もし本当にそういうサイトがあったら、わたしもメールを送ってしまうかもしれない。
 ばななさんは、読んだひとの悩みをちょっと軽くするような、人生に寄り添ってくれるような、知らないうちに救われているような小説を書くひとだと思う。
 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデンが、「僕にとって良い本というのは、読み終わったとき作者に電話をかけたくなるような本だ」みたいなことを言うけれど、わたしにとってはばななさんがそのひとりだ。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶
 読み始めたばかりで、まずは「社会心理学」について書かれていました。
 重視しなければいけない前提は、人の心理は社会環境の影響を受けるし、一方で社会も人の心理によって影響を受けるということ、だそうです。その相互作用あるいは循環関係を研究するのが社会心理学であるとのこと。
 人の心理は個人の中で確固たるものとして存在できうるものではない。社会環境によっては、差別や殺人を受け入れてしまうこともある。もう一方で、どこかの権力者が社会を誘導するにしても、人の心理から全く外れた方向に持っていこうとしても、そうはいかない。人の心理に反しない範囲でしか導くことはできない。そんな風に解釈しました。
 いろいろなことを考えてしまいますが、人は社会から独立した心を持てるわけではないけど、全く無抵抗に服従せざるをえないわけでもない。個人でもささやかながら自分なりの社会観をもち助力することはできるのかもしれないです。

 最近は漫画『タッチ』で、浅倉南が上杉達也に将来のことを話すシーンで「どんなことにでも自分の意見を言える大人になる」みたいなことを言っていたのをなぜかよく思い出します。メディア関係の仕事にでも就いたのかな〜。

2021年9月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『戦略の世界史』

戦略を世界史にしたというより、世界で起きた歴史的な事件などをベースに戦略を語った本。細かいところは読み切れておらず、ざっと全体を読んだのみにはなりますが、クラセヴィッツや政治的な革命運動、経営戦略など政治から経営まで幅広い分野を対象としています。

本書内で戦略という言葉に厳密な定義があるわけではないようですが、まえがきには以下の記載がありました。
 ・計画は次から次へと変化しても自信をもって行動できるような一連の出来事
 ・戦略は自分とは異なる、相容れない可能性もある利害や関心をもつ他者が、自分のプランを妨げかねない場合に必要としている。

個人的にはまえがきに書いてある言葉の引用に戦略に対する示唆を受けました。後半には「合理的な戦略の限界」などの章もあり、他者からパンチを受けることが戦略というものは前提で、複雑で簡単に纏められるものではないのだと思いました。

  誰にでも計画(プラン)はある。顔面にパンチを食らうまでは。 -マイク・タイソン-

つやまさん『NHK「100分de名著」ブックス ダーウィン 種の起源: 未来へつづく進化論』長谷川 眞理子
 ダーウィンが唱えた進化論は、突然変異によって生物の形質に多様性が生まれ、その中で環境に適応できたものが生き残るという自然淘汰のはたらきで生物の進化が起こるというもの。その結果はあくまで偶然によるもので、何らかの意図や優劣によるものではない。ところが、進化論は弱肉強食の理論だと誤解されがちであり、歴史的にもナチスドイツの優生思想や、資本主義の過剰な格差などを正当化するのに用いられることもあった。これらは一面的な見方で人間の優劣を決めつけるもので、もっと広い視野で多様性を捉えるダーウィンの進化論とはまったく異なっている。私としては、いずれにしても人間を含む生物の生存競争には残酷な面があることは確かだと思いました。
 また進化の過程で人間が獲得した本性とは、『基本的に雑食で、適度の運動と娯楽を必要とし、共同作業によって生計を立て、公正・平等をよしとし、好奇心が強く、密接なコミュニケーションをとり、共同で子育てをする社会的な生き物』だそうで、これが満たされると幸せを感じられるとのことですが、本当でしょうか(笑)
 読書会では、異性の声と魅力の話や、意識と無意識の不思議の話などで盛り上がり、楽しかったです。
 ちょうど今日読んだ部分が掲載されていたので、リンクを貼っておきます。
https://textview.jp/post/culture/21642

原有輝さん『自分史の書き方』
 自分史は、一生に一度は挑戦して欲しいジャンルだそうです。本人の記憶の整理になるし、身近な人にも手掛かりになる。手順としては、身近な詳しい親戚に聴くこと、自分史年表を作成すること、アルバムを見ることのようです。自分史を現代史の中に位置付けることが大事らしい。

よしだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著
 ようやく終盤、日中戦争や太平洋戦争まできました。しかし太平洋戦争に入ったと思ったら残りが薄いので開戦までで終わり?
 印象的だったのは、蒋介石は日中戦争で日本に攻められているとき、チャーチルは第二次対戦でドイツに攻められているとき、静観していたアメリカに、自分たちが日本・ドイツに敗けたらこんなデメリットがあるとか、アメリカには協力する責任があるとか、アメリカに対して言ったということでした。「自分たちが敗けたらどうするの?困るでしょ!?」と言っているようにも受け取れて、政治家の力というか豪胆さはすごいと思いました。歴史の大きな流れの中で一人の人間の力など影響することはないに等しいと思ったりもするのですが、こういうエピソードを知ると「いや、あの人がいなければ」と考えてみたくなります。歴史のたら・れば。

2021年9月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『沈黙のちから』
 キリスト教と芥川龍之介のことが述べられていました。また、著者は父から、キリスト教の教えを受け継いだとあります。著者は、苦労されたようで、高校から一人暮らしをして、経済的に苦労されたようです。現代文の教科書から、芥川龍之介とキリスト教を学んだようです。芥川龍之介とキリスト教の組み合わせは、意外な気がしました。

yuさん『しろいろの街の、その骨の体温の』
 ニュータウンに暮らす小学4年生の日常の話。家の間取りが同じなど同質なもののじわっとした不気味さが渦中にいると気が付かないだろうなあと思いました。

 「ただしい人類滅亡計画」で反出生主義が分かりやすく書かれた本ということで紹介され読んでみたいと思いました。言葉に敏感な参加者の方が「ぞっとした」とおっしゃっていたのが印象的です。

つやまさん『もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』
 まだ手に入れていないものに欲求を感じることと、今ここにあるものに満足を感じることは、別々の神経系が担当している。前者で「もっと」という欲望を引き起こすのがドーパミンである。欲しいものを買うまでのワクワク感が、手に入れたとたんに冷めてしまうようなことが起こるのは、ドーパミンが結果には責任をもたないからである。バズ・オルドリンは強力なドーパミンのはたらきで人類初の月面歩行という偉業を成し遂げたが、同時に満足することを知らない破滅的な人生ももたらされた。有能な職業人の中にも、ドーパミンの欠乏を埋めるために次々に高い目標を達成しつづけざるをえなくなっている人もいる。タイトルの通り、ドーパミンがもたらす光と影こそが人間の営みなのかもしれない。

よしだ『コンビニ人間』
 年齢や性別に応じた世間一般の”普通”から外れる主人公に、主人公の友達の旦那さんが「え?」みたいな感じで応対するシーンがありました。主人公にとっても、旦那さんの考え方としても、これはなかなかに辛い、、。多様性を尊重する意味がすこし分かった気がします。
 それにしても、この本はすごい。現実を覗いているような気になります。

2021年9月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『100分de名著 ル・ボン 群衆心理』
*第1回放送分までのまとめ
・ル・ボン「群集心理」1895年刊行。ヒトラーも愛読していた本。
・群衆とは? 意識的個性の消滅、感情や概念の同一方向への転換
 EX:小学校の校庭。休み時間の児童は自由に行動するが、朝礼では整列し、運動会ではクラス対抗に熱狂する→群衆化
・群衆心理は脊髄反射、無意識レベル
・群衆へのトリガー:数の力が働く ネット炎上…”皆が叩くので私も叩く”

(感想)
原作は難しそうなので、100分de名著は良い手引きになりそう。
自分も簡単に騙されたり群衆の一人になる可能性があることを常に心に留めておきたい。
強力な意見に出合ったとき脊髄反応をせず、その意見をじっくり吟味する余裕を持つことが大切だ。

よしだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
 日清戦争から始まり、ようやく満州事変・日中戦争に到達しました。このあたりは、なぜかいつも難しく感じる…。
 日露戦争では日本とロシアは敵対したわけですが、その後は協力的な関係にあったようです。ヨーロッパ先進国に対抗するためにはロシアは日本と敵対し続けることは得策ではないと考えたようです。前に読書会で他の方が言っていましたが、ロシアはいろいろな国に挟まれているから歴史的に大変、とのこと。日本とロシアの協力は、中国の東北部をどのように棲み分けて使うか、という点においてでした。う〜ん、歴史を理解していないとニュースは理解できないということを痛感。

2021年9月5日:読みたい本を気ままに読む読書会

タカさん『SF思考』
 これからのイノベーティブな発想、ビジネスアイデアにはSF思考がとても参考になると思いました。

Takashiさん『死に至る病』キェルケゴール著 岩波文庫
 キェルケゴール先生によると、殆どの人間は絶望していてそれに気付いていないそうだ。一部の人は絶望に気付いても絶望から逃げようとしているし、更にその中のごく一部の人はどこまでも自分基準に固執して、際限なく人に迷惑をかける存在に変わっていく。
 キリスト教の神学の側面を持つ本だが、キリスト教徒とて例外ではなく、殆どのキリスト教徒は信仰を理解していなくて絶望しているらしい。
 
 と、いうわけで私はキェルケゴールを絶望先生と呼んでいる。講義に一度は決めセリフの「絶望だ!」を叫ぶ有名な先生だったんだろう。想像だけど。

 言ってることは奇妙だが、先生の絶望理論を当てはめると人間を理解できそうな気がして何だか不思議だ。

yuさん『波』
 イギリス作家の本。45年ぶりの新訳で傑作らしい。訳者が「源氏物語A・ウェイリー版」訳者の1人である森山恵さん。6人の男女が語る青春と老い。劇=詩で物語のあらすじはおえないけど、言葉が美しい。中年期を読みました。

 他の方と外国文学は文化や国民性を知らないと理解しがたいけど読み終わると「ああ」てなるよね。などと話しました。イギリス人はブラックユーモアがあり詩は英語で読むと韻をふんでいるなど。今村夏子さんの「父と私の桜尾通り商店街」は読んでみたいと思います

Yukikoさん『空白を満たしなさい』
 肝心の読書感想ですが、読書タイムに家事をしてしまいまだ序章を読んだところです。

 久しぶりの読書会しかも女子だけのグループ!で同性同士を気安さで、
読書の感想も楽しかったですが、その他の話で盛り上がり楽しかったです。

 今度は読書しない読書会(質問に答える会)に参加してみたいなあと思いました。

2021年9月4日:テーマのある読書会「価値観の色々」

おおにしさん『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』 
*全体を斜め読み
世界史で聖書の記述に基づいて書かれたものを普遍史という
・普遍史では天地創造を元年として歴史を編纂。
・普遍史の歴史は古代ローマ時代に始まる。聖書の版により年号記述の違いがあり歴史学者の間で統一した年表を作ることができなかった。論争続く。
・中世になりルネサンス、宗教改革、大航海時代や科学革命など文明の進歩により
キリスト教的世界観がぐらつき始めたが、中世的普遍史編纂の努力が続けられた。(ニュートンも普遍史を出版)

18世紀になって啓蒙主義者が普遍史を否定し始めて、普遍史から世界史へ移っていった。。
・世界史はイエス生誕を元年にして、ACとBCで年号を表した。大洪水は史実から伝説へ。
・啓蒙主義者は中国の年代記が世界最古のものであることを認め、普遍史批判につながった。

(感想)
18世紀になるまでノアの箱舟を史実ととらえていたとは驚き。
世界史が常識となっても聖書の記述が真実であると信じている人もいて、西洋人の価値観の原点になっていると思われる。
イスラム圏の世界史については別途調べてみたい。

うさじさん『無意識の構造』
 本日もありがございました。

 質問について考える会では、30分では話足りないほどの対話ができて
楽しかったです。言葉の定義や意味が人によって違うからこそ、その意味について話し合う場は大切だと思いました。

 読書会では、以下のまなびがあり、楽しかったです。

・価値観が多様化する時代では、相手の気持ちに共感すること「シンパシー」だけでなく相手の立場に立って考えること「エンパシー」も大切であること。
・共感的な性格かどうかは、遺伝的に決まっているという考え方があること。
・昔話やわらべうたは、子どもに何かを示唆したり、その国の歴史的背景などが反映されていること。

 個人的には、自身とは感じ方や考え方が違う方の立場になって物事を考えるということをしてみると、色々発見があるのではないかと感じました。

yuさん『天才たちの日課』
 過去四百年の偉人たちの日常が収められている。300人くらいで1人1p~4pくらいです。「どんなものをたべていたか」「何時に食事してたか」でどんな人かだいたいいいあてることができるらしい。
 他の方は「コンビニ人間」「失われたいくつかのものの目録」「聖書と世界史」などを読んであり、異物を社会は許さないのはなんでだろうなどど考えたりしました。その反面「個性的であろうとする風潮」となんだか矛盾するなア。個性も社会から作られたものには寛容なのかな?価値観がテーマでした。

原有輝さん『沈黙のちから』
 悲しみと愛しみ、言語と言語以前のことが書かれています。言葉にならない思いはあるが、出来るだけ言語化した方がいい訳です。離別や死別は悲しいものです。ただ、悲しみは愛しみに変わるようです。それには時間が必要なのです。

つやまさん『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』橘玲
 近年の脳科学、進化心理学、進化生物学、行動遺伝学などの知見を総合すると、「わたし」のほとんどすべては無意識が支配していて、意識はその表面の一部か幻想に過ぎないことが明らかになりつつある。また、パーソナリティ心理学の「ビッグファイブ理論」により、人間の性格は五つの因子(「外向的/内向的」 「楽観的/悲観的」「協調性」「堅実性」「経験への開放性」)から成り立っていて、そのバランスは人によって先天的に決まっており生涯で大きく変化しないとされている。この本では「無意識+魂」を「スピリチュアルズ」と呼び、「わたし」とはつまるところスピリチュアルズのもつ傾向のことである、という観点から、人間というものの本質的な特徴や様々な社会問題について考察されている。
 今日読んだのは、五因子のひとつである「楽観的/悲観的」について書かれている部分。近年、うつ病や終末期患者の不安などの症状に、LSDなどの幻覚剤が非常に高い治療効果を発揮するということがわかり、各国の精神医学会で注目されているらしい。うつ病の患者は自分が他者や世界から隔絶されているという苦痛を感じるが、幻覚剤によりその状態から解放され再びつながりを感じられるようになったという。この説明として、人間が進化の過程で身につけた強すぎる自己がうつ病の原因であり、幻覚剤には脳内の自己を司る領域(DMN,デフォルトモードネットワーク)の活動を抑制する効果があり、自己と世界の区別を一時的に消失させるはたらきをするためだという仮説が紹介されていて、とても興味深かった。

よしだ『コンビニ人間』村田 沙耶香
 いわゆる「普通」とは感覚が異なるであろう主人公は、子どもの頃、道端で死んでいる鳥を見て、お父さんが好きな焼き鳥にして食べたらいいのではないか、と思い、それを口に出す。当然周りは驚く。
 しかし、小鳥が埋葬されたそばには、引きちぎられて死んだ花が供えられていた。

 何が妥当なのかは、多数派がそう思っていることに引きづられているように感じる。すこしひねくれた考えをするとすれば、多数派のうちの少なくない人たちも元多数派に引っ張られて、多数派をさらに多数派にしているのではないかと感じることもある。
 少数派が多数派にむりに合わせる必要がない社会に、すこしは変わってきているのだろうか。

 まことに個人的な話で恐縮ですが、風呂好き・温泉好きの多数派数の厚さは多数派が多数派をつくり出した結果だと思っています!

2021年9月1日:読みたい本を気ままに読む読書会

こっさん『禁色』三島由紀夫
 「美しいもの」と「美しくないもの」に対する表現の解像度がものすごく高い。こんなに美しいもの/醜悪なものを見たことはないはずだけれど、ついリアルに想像しようとしてしまう。もしかしたら、読者に想像すらさせないつもりで描いている部分もあるのかな・・・
 みたいなことを、自分一人の読書ではなかなか感じる余裕がありませんでした。集中して読む時間とアウトプットの場をいただいて、自分が今何を感じているか?を頭の片隅に置きながら読書することができました。今回初めての参加でしたが、新鮮で楽しかったです。
 また皆さんがどんな風に本を読んでいるのか?も垣間見ることができてよかったです。感想を聞くと、どの本も読んでみたくなりますね。優しい読書会でした。また参加します。ありがとうございました。

yuさん『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
 他の方が、「構図がわかれば絵画がわかる」を読んでおられて、色について話してくださいました。色には光がないからつくるには光がなかった。暗いところにいたのでは?それをまた他の参加者の印象に残って話してくださいました。9月になり、芸術の秋読書会だなあと思いました。美への解像度が高い三島由紀夫と鷲田先生の京都の平熱の文化の話など異なる本がシンクロ?した気がしました。

よしだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著
 ここ1ヶ月くらいはこれを読んでいます。夏になると取り出しては途中で閉じていた本。今回こそは読み通したい。
 印象的だったのは、先進国が考える公平の範囲についてです。第一次大戦後あたりの時代を読みましたが、当時のアメリカ大統領ウイルソンが言い出した「民族自決」という思想は、個々の民族の考えに基づいて国家や政治のあり方を決定していくべきというもの。なんだか民主的で良さそうだけど、実は民族自決の範囲は限定的でした。アメリカ・フランス・イギリス他、ヨーロッパ諸国は含まれているんだけど、他の、朝鮮やおそらく東南アジア諸国などは含まれていない。民族自決とは言うけど、その範囲は当然分かっていますよね、と言わんばかりの暗黙の了解感があったようです。これに乗じて朝鮮では自治権を求めて社会運動が起きるわけですが、それもウイルソンは予想していなかった??
 今でもこういうことはあるのだろうなと思いながら読みました。

2021年8月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

早川さん『モモ』
 小さい頃から勧められていたけどなかなか読めなかった「モモ」をやっと読み始めました。何かアドバイスをするわけでもなく、ただそこにいて話を聞いてもらうだけで、相談する者が自ら解決策を出していける、そんな聞き方ができる「モモ」はすごいと思いました。50ページくらいしか読めていませんが、これからまた何かが起こりそうな予感なので、続きを読むのが楽しみです。

 気恥ずかしく、そそくさと退出してしまいましたが、読書の時間の確保や人との交流、いろいろな考え方など、得るものが多い時間でした。また時間が合う時に、是非参加させてください。ありがとうございました!

原有輝さん『オーウェルのマザーグース』
 オーウェルの「1984年」解釈が、イギリスでは馴染みがありすぎ、アメリカや日本では馴染みがなさすぎて、的外れになっているものが多いようです。想像力に乏しい失敗作という清水幾多郎の誤解があるが、実際は、立派な政治思想のようです。

2021年8月29日:テーマのある読書会「話すこと」

おおにしさん『人は語り続けるとき、考えていない』河野哲也
【第1章まとめ】
 子供たちが発する質問を答えようとするとき、質問を分解し専門化して回答するしかない。
 それでは問いは連鎖し後退していき、問いに答えることは永遠にできなくなる。
 これが哲学の問いの全体性のバラドックスである。

 ソクラテスの「無知の知」は問いの全体性を取り戻すこと。
 ソクラテスの対話法はあらゆる思想の枠組みを外し、アイデンティティを取り壊し、流動的な生を生きるためのメソッド。
 社会の中で”よりよい”生を生きることを否定し、自分が吟味した”よき”人生を見つけ、それを生きるために哲学があるとソクラテスは言う。
 進歩、発展、成長という画一的な社会的要請により、自分の生に意味付けを行うことは、人生には不要。つまり、人生の意味や価値の探求は、それ自体が無意味なのである。

【感想】
 とんでもない結論。
 良い対話をするためにどうしたらよいのかを知りたくて読み始めた本でいきなりこんな話になって戸惑ってしまう。
 人生の意味や価値の探求は無意味と言われてしまったら、我々は一体どうすればよいのだろうか。
 第2章以降に解決策が書いてあるのか?とりあえず読み進めてみる。

うさじさん『無意識の構造』
 今日もありがとうございました。
 話の中で、教育やデザイン、対話やについての話題がでて楽しかったです。
 型にはまらないアイデアを見出すには、やはり多様な意見やアイデアを受け入れたり、評価できる雰囲気や環境作りが大切なのではないかと感じました。

Takashiさん『オセロー』シェイクスピア著 新潮文庫
 ページ数は二百と少し、そして大きな文字。最初の三十ページで登場人物と背景を把握すれば、ストーリーが単純なので最後まであっと言う間に読めます。

 オセローの不安の種が、悪党のちょっとした仄めかしでどんどん大きくなります。悪い奴の思い通りに事が運ぶのを見ながら、読者ははまるでドリフターズさながら「志村うしろ!」ならぬ「オセローうしろ!」と叫びたくなる状況がテンポ良く展開されます。

 こんなに面白かったのか、シェイクスピア。

原有輝さん『異文化理解力』
 異文化理解には、開かれた心と開かれたコミュニケーションが必要です。シェイクスピアや森鴎外や質問や、開かれた気持ちで聴く姿勢が必要になります。

2021年8月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『オセロー』シェイクスピア著 新潮文庫
 
ガチの古典だし、どうなの?難しいの?と、思って読み始めたが、これは超面白い。

 立派な軍人オセロー将軍の部下イアーゴー、こいつがオセロー将軍の地位に嫉妬して、色恋を絡めながらオセロー将軍とその周囲を罠にはめていく話だ。イアーゴ―の心情や策略が事を起こす前にセリフで説明してあり、とても親切な構成になっている。

 設定を変えれば今のドラマでも十分面白いものが出来るだろう。昔から沢山作られてるらしいけど。

 解説記事だけ読んで済ませるのは勿体ないと思った。

yuさん『予告された殺人の記録』
 
この話は実話を元に書かれている。はじめはノンフィクションとして書きたかったそうだが当時スペイン語圏ではその分野が発達していなかったからという理由でやめたらしい。それをよんでも信じられない。え?これが。
双子の兄弟が、サンティアゴナサールを殺す話。登場人物が多い。

 他の方は推し燃ゆ。に桐島部活やめるってよを思い出したっていうのが、へぇ。当たり前すぎる風景を言語化できるのは改めてすごいことだと感じました。

2021年8月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『おかしな人間の夢』
 2130-2230の時間帯で、寝る前の読書。自分はおかしな人間だと自覚している男が、今晩自殺することにした。家に帰る途中、小さな女の子に膝を掴まれ助けを求められた。それが結局私を,この世にとどまらせた。という。何もかもがどうでもいいと,思っている人むけ?

原有輝さん『日本人のためのKindle入門』
 初参加の方が、安い報酬の方が、クリエイティブな仕事ができるとおっしゃいました。今日僕が読んだ本でも、薄利多売のKindle出版を勧めていて、最近ではnoteもそうらしいです。

よしだ『生物多様性』本川達雄著
 ナマコやウニなどを、一時期は沖縄の大学に在籍しながら研究していた本川達雄氏の本です。遺伝子などのザ・サイエンスっぽい研究や本も好きですが、日々生き物を観察するようなザ・生物学も好きです。それぞれの生き物は、人間からみると変なのだけれど、ある種の合理性というかすごさを備えていて、単純に「すげぇ」となります。
 この本は前に一度読んでいてまた読み直しています。今回読んだところで印象的だったのは、生物は環境に適応して生きているだけではなく、環境そのものも作ってきたということでした。たとえば、元々は海中にしか住むことができなかった生物が陸上に進出できたのは、シアノバクテリアが酸素を大量に発生させオゾン層ができ、陸上に紫外線が遮断された環境ができたから。また、生物は水がないと生きていけませんが、雲を生み出し雨を降らす空気中の水蒸気は木の蒸散によって生み出されている部分が大きいのだとか。森がなくなれば水蒸気が生まれず雨が降らず森が消えていく。必然的に、他の生物も生きていくことができなくなる。これ以外にも多様な生物が多様な環境を生み出し、だからいろいろな生き物が生きていくことができている。いろいろな生き物がいるから、急激な環境変動が起きても、その中で生き残れるものがいる可能性が高くなり、生き残ってまた繁栄していく。自然とは大いなるバランスの上でに成り立っているのだということが感じられました。

2021年8月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

匿名希望さん『窓際のトットちゃん』
 教育というのは後のその人を形成する大切なものだとあらためて思いました。小林先生は優しい言葉をかけてあげようと思ったからという動機でなく、本当にトットちゃんの力を信じていたからそのようにしたのだと思います。
 後半は皆で哲学カフェさながらの深くて興味深い話がたくさんできて楽しくうれしかったです。
 こうして皆で話すと新たな活力になります。
 ありがとうございました。

原有輝さん『善の研究』
 プラトン、アリストテレス、デカルト、スピノザ、アウグスティヌス等の、錚々たる顔ぶれが出てくると思いました。意志による理想の実現。個人の理想か、国家の理想かで、だいぶ違う。全世界的な理想の擦り合わせが大切だと思いました。

おおにしさん『いつかたこぶねになる日』小津夜景
 著者の小津夜景さんは北海道出身の俳人で、現在は夫とフランスで暮らしている。
 本書は夜景さんの日常をまとめたエッセー集で、どのエッセーにも夜景さんが現代語訳した漢詩が紹介されていることが特徴である。
 漢詩と言えば、私には高校の授業で苦しめられた経験があるが、夜景さんの訳を読んでこんなに自由に面白く訳して構わないのだとわかり、ちょっと漢詩が好きになってきた。

 本書で紹介される漢詩は唐の詩人から日本人まで幅広い。
 高校教師であったころの夏目漱石の漢詩も紹介されているが、若いころの漱石がとてもセンチメンタルな詩人であったことを知り驚いた。

 タイトルの「たこぶね」はタコの名称で、メスは船形の殻を作りその中に産卵して子供を育てる。そして子供が巣立った後、メスは殻を捨てて新たな生活に入るそうだ。
 夜景さんは、美しい殻を惜しげもなく脱ぎ捨て未知の世界に泳ぎ出す「たこぶね」に女性の自由な生き方を重ね合わせて、いつか自分も「たこぶね」になりたいと願っている。

 夜景さんの文章は思いつくまま自由に時空を飛び周り、我々にいろいろな世界を見せてくれる。
 私には夜景さんはすでにエッセーの中で「たこぶね」になっているように思えた。

2021年8月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『哲学入門』ラッセル著
 
「哲学者は何故こんなに細かいことを考えるのか?」

 この読書会主催者よしださんの問いだ。
 私は哲学者ではないし、哲学の本を読み始めてまだ2年と経っていないビギナーなので、確かなことは何も言えない。そこでここでは私の思い込みを書きたい。

 人は考えたいのだ。考えるために問いを立てたいのだ。

 私自身としては、哲学の一つの側面である「人間とはどうあるものか。つまりは自分とはどうあるものか」を考えていきたい。壮大な話は専門家にお任せするとして、何故私は怪談が好きなのか、何故太るのに菓子パンを食べてしまうのか、何故人の悪口はこんなに楽しいのか、どうして一何度も現実逃避したくなるのか等々、いちいち考えたいのだ。

上條さん『移民受入の国際社会学——選別メカニズムの比較分析』
本書に収録されている第4章、堀井里子さんの「「国境のないヨーロッパ」という幻想——EU共通移民政策の展開」を3分の1ほどよみました。

EUは国境のないヨーロッパという理念のもとで共通移民政策を構築してきました。

しかし、移民・難民の到来への対応をめぐり加盟国の意見は割れ、既存の政策は機能不全となっています。

本章では、EU共通移民政策の展開を次の分野に焦点を当てて分析がなされていました。

1. シェンゲン協定、EUの難民・移民政策を規定する基本的な制度枠組みを外観
2. EUの高度技能移民誘致政策について
3. EUの国境管理政策
4. 国境での難民対応

今回は「2」の途中まで読みました。

「1」では、タブリン規則によって、シェンゲン・エリアにおいて外側に位置する国は移民・難民の受け入れや国境管理のコストの負担しなければならないことが述べられていました。EU経済圏を拡大するたびにこの負担は経済的・社会的基盤が脆弱な新規加盟国に移動していきます。
*シェンゲン・エリア:国境の出入国管理が撤廃されているエリア
*タブリン規則:難民申請を最初に到着したEU加盟国のみで受け付ける規則

「2」では、高度技能移民受け入れの背景や、そのために導入された「ブルーカード」指令がどのように成立し、実施されているのかを現実と理想の乖離に注目しながら述べられています。

今回は、高度技能移民受け入れの背景までしか読むことができませんでした。背景としては、IT分野での専門家の不足の指摘などによる、高度技能人材の世界的な獲得競争の激化があります。

【感想】
日本も高度技能外国人の受け入れ優遇などがあるように思えます。一方で、人手不足を補うための「労働者」としての実質的な受け入れの指摘もあるかと思います。諸外国の移民政策をみることはこうした日本の外国人受け入れの政策をみる上でも役立つものだと思いました。

よしだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著
 こういう時期じゃないとなかなか読まないので読み進めています。数年前に買って開いては閉じてをくり返していた本。今回こそは読み切りたい…!
 この本は東大教授の加藤陽子先生が中高生向けに行った出前授業を収録した本です。明治維新以後から太平洋戦争までの経緯をたどりながら、戦争の開始と継続の意思決定の内実を探求していく内容だと理解しています。
 印象的だったのは、当時、東京帝国大学法学部の岡義武という人が、日本の自由主義・民主主義では、個人主義に関する理解があまいという指摘をしていたという点です。明治維新を為してまず行うべきは不平等条約の解消であり国家の独立であり、個人の独立はちょっと後回しであった、という背景があったのだと読み取れました。
 身分の差が取り払われた明治でしたが、いきなり、四民平等、お上の顔を伺わなくていいと言われても人々は逆に困ってしまうのだと思います。福沢諭吉は『学問のすすめ」の中で、「お上の顔を伺うな、自分で考えて商いをしたり政治に参加したりしないと、またお上がすべて決める前時代に戻らざるをないぞ、社会が腐敗していくぞ」みたいなことを言っていました。そのために諭吉は学問をすすめるわけですが、言い換えると政府が民主主義や自由主義を掲げても、人民がそれを理解しないとそういった社会は成立しないということなのだと思います。
 社会全体の制度はそれとして、では個人としてはどういった知識や技能を身につけなければいけないのか、ということは同時に学ばなければいけないことなのだと感じました。個人の独立や自由とは、個人でしか成し得ないものなのかもしれません。はたしてそれがいいことなのか(日本人に合っているのか)、あるいは個人の独立や自由とはそもそもどういうことをいうのか、というレベルからも考えてみる必要があるようにも思いました。

けいこさん『JR上野駅公園口』
 まだ50ページほどしか読めていないのだが、特に心に残った箇所があった。
 「インテリのシゲちゃん」が東京大空襲について語る場面。
 「僅か二時間ほどで、十万人もの命を奪ったというのに、都内には公立の東京大空襲・戦災記念館は一つもなく、広島と長﨑にある平和公園もないのです」
 大きな問題が起こると、それよりも些末に感じられる問題は隅に追いやられてしまうのかもしれない。でも、それは解決したわけではない。もしかするとそうやって、故意にではないにしても、「なかったこと」にされてしまった問題があるのではないか。もちろん、いろんなことをいっぺんに考えることはできないから、優先順位をつける必要はあるのだろうけれど、いろんなことを忘れないようにしないといけないと思った。

2021年8月21日:テーマのある読書会「話すこと」

つやまさん『人を動かす対話術 心の奇跡はなぜ起きるのか』岡田尊司
 精神科医である著者が、実際に患者などと接する中で効果的だった7つの対話の手法(共感的アプローチ、解決志向アプローチ、認知へのアプローチ、動機づけ面接法、認証戦略、愛着へのアプローチ、行動・環境へのアプローチ)を紹介している。相手の状態や場面に応じて使い分けたり組み合わせたりすることで、心理臨床はもちろん教育やビジネスの場でも、相手の心を動かし自発的な行動を促すことができるそう。今回読んだ範囲では、次の点が特に印象に残りました。

「対話は人間存在の根底にかかわる哲学的ともいえる問題と密接に結びついており、まさにその部分で人は変わり、動いていくのである。」

「対話を考えていくとき、共感的作用と弁証法的作用という二つの働きを念頭に置くことが必要で、相手をうまく支え、動かしていくという難しい局面ほど、どちらか一方ではなく、両方の働きかけが必要なのである。」

 様々な場面で使えそうな実用的な対話の技法の本ですが、相手を都合よくコントロールするのではなく、共感的な対話によって結果的に自発的に動いてもらえるという考え方が根本にあるのがよいです。他の方が紹介された本でも、対話には共感的な人格と理性的な人格の両方が必要、理屈で説得する前に感情に共感する、相手の立場を想像して理解しやすい表現を心がける、など本書とも共通することが書かれていたようで、その点も興味深かったです。

うさじさん『話すための英文法』
 今日もありがとうございました。
 今日は、「ことばの意味が人によって違うこと」について考えさせられた気がします。
 ことばを構築するまでのプロセスが人によって違うから、それぞれの人が考えている言葉の意味がバラバラになるのではないかと感じました。
 あらためて、対話を通してその意味や定義について話し合うことで、意味が深まったり新しい意味が生まれるのではないかと感じました。

原有輝さん『善の研究』
 聴くこと、対話、現場、子供、英文法等、どれも興味深い内容でした。

よしだ『「聴く」ことの力』鷲田清一
 印象的だったのは、序盤にあった「哲学はこれまでしゃべりすぎてきた……。」の一節でした。まだ真意ははかりかねていますが、いわゆる哲学的な論調である、論理の輪を薄く精密に重ねていくような語り口調が、はたして聴き手の目線に立っているのか、一方的にしゃべっているだけなのではないか、なんてことを意味しているのではないかと勝手に推測しています(ちょっと悪口…?)。
 論理的に正確に話すことは重要ですが、コミュニケーションのポイントのひとつにすぎないようにも思います。哲学的な語り口調に哲学の本質があるのではないとか、あるいは哲学的に聴くということも十分にありえるしそれも哲学であるとか、そんな話が展開されるのではないかと期待しています。まだ序盤です。

おおにしさん『人は語り続けるとき、考えていない』河野哲也
 序章から第1章までの概要・感想
”対話と会話は違うもの。対話とは真理を求める会話であり、自分を変えようとしている人が取り組むコミュニケーションである”
 たとえば、会社おいては通常の会議・打ち合わせは会話で、「良い製品をとは何か」など会社の理念・方針などを話し合うのは対話であると理解した。
 私はオンライン会議では会話はできても対話はできないのではないかと思っている。
 AppleやGoogleなどIT企業が、オンラインと出社を組み合わせる方針に変更した理由はここにあるように感じる。

”子供は哲学者であり哲学対話は本来得意である。一方、大人は答えのない問いに向き合うことに不安を覚える。結論がでない議論に価値を見出せないので敬遠しがちになる”
 親は子供の質問を曖昧にしてごまかし、教師は教科書に書かれたことを教えるのみ。これは子供にとっても大人にとってもこれは良くないことだと思う。子供と対話することで大人も子供も変わることができるはずだ。

”ソクラテスの対話術は対話者を自分の頑固な思い込みから解放させる。ソクラテスは対話者に無知の知を自覚させるだけで、新しい結論を提示することはない”
 我々が知っている知識は、全体を把握したものではなく断片化したものであることを自覚することが「無知の知」の意味であると思う。そして対話を通じて知識の全体性を回復させていくこと、これがソクラテスは教えだと理解した。
 メンタリストのヘイトスピーチを批判することはできても、そもそも何故ホームレスが社会に存在しているのかを子供に正しく説明できる大人がどれくらいいるのだろうか。今の私は説明できない。ここに対話の必要性を感じた。

2021年8月15日:テーマのある読書会「話すこと」

原有輝さん『現代イタリアの思想をよむ』
 バフチンと、菊と刀が気になりました。

小澤さん『MC論』古館伊知郎
【本の概要】
一言でいうと古館伊知郎さんから見たMCの歴史本です。
古館さんの職務経歴を調べると1977年、全国朝日放送(テレビ朝日)にアナウンサーとして入社。
アナウンサーとして約40年くらいのベテランで、昭和、平成、令和と時代の流れごとの有名MCの方ごとに古館さん目線で語っていく本です。

本によると、MCも時代の流れで3つの大きな変化がありました。
(1)ピンの司会(欽ちゃん、タモリ)→ツインの司会(とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン)→1億2000万総MC時代(YouTubeなど)
(2)「台本通りに進行する技術」→「生まれた流れに合わせて仕切る技術」
(3)プロデューサーや司会が全責任→分業化(構成作家、放送作家、ディレクター・・)、責任の分散化

【本の感想】
・上の変化は割とビジネスマンも似たような流れになっているなと感じました。
・昭和はキャラ重視、平成、令和はテクニック重視にどんどんなっているなと感じました。
・自分が得た学びとして、黒柳徹子さんの章にあった、いろんな情報を事前に調べておいて外堀を埋めておくことで、その人がこれならどうだという話を引き出すことでその人しか知らないエピソードを抜き出すメソッドです。
ビジネスで使えるかはどうあれ、高度なテクニックだなと思いました。

Takashi『菊と刀』ルース・ベネディクト 平凡社ライブラリ
 本書は第二次世界大戦中にアメリカの文化人類学者がまとめた日本人論を元に戦後出版されたものだ。当時は占領統治を目的として読まれていたが、現在では日本人理解の書という読まれ方をしている。

 本書は冒頭から強烈である。
 礼儀正しさと傲慢さ、融通の利かなさと柔軟性、従順さと反骨、忠誠心と裏切りやすさ。この振れ幅の大きさにまず著者は戸惑う。そして日本人特有の階級序列への信頼、天皇制に展開する本書の概要を示す。
 否定しつつも共感できる部分が自分の中に僅かでもあれば、それが私の思考や行動の原理かもしれない。

つやまさん『きけ わだつみのこえー日本戦没学生の手記』
 
終戦記念日なので、戦没学生の日記や手紙を集めた本書を読みました。
学問や芸術や家族のために人間らしく生きたいと願いながら、兵士として戦闘に参加したり犠牲にならざるをえなかった学生たちの心情が克明に書かれていて、読んでいてとても痛切に感じました。
 日記や手紙を書いたり、哲学書や文学を読むという行為によって、不条理で無慈悲な運命の中でも、最後まで人間個人としての生と死の意味を見出だそうと葛藤しているところに、人間の性のようなものを感じます。(話すこと、聴くことにも似たものを感じます。)
 当時の学生たちは、二十代というのが信じられないほど深みのある人生観や哲学を持って生きていて、その言葉は現代を生きる自分たちにも深く刺さる力を持っており、『みんな愛国心を抱いて誇り高く死んでいった』とひと括りにはできないような凄味や崇高さを感じました。 

yuさん『超 雑談力』
 シリーズ累計70万部。シリーズがあるらしいです。雑談は第3の会話であり、微妙な関係の人と適当な話をしながらなんとなく仲良くなるというとても繊細な会話だそうです。
 適した話し方の説明が書かれていました。

 話すことのために書店でMCの本を購入されてきた方がいらっしゃって行動力を見習いたいと思いました。あと、会話手法の本の中にでてきた『バフチン』なる人物の本の紹介もあり1つの本を読むとまた広がるなぁと思いました。

2021年8月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

なかとみさん『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』平田オリザ
 コミュニケーション教育の一環として、小中学校で平田さんが演劇を教える授業。朝、教室で友達とどんな話をするか。無意識で話していたことを意識化し、更には言語化していく。それを通して、子どもたちは日々自分たちの話している言葉に対して意識的になっていく。
 また、机に突っ伏して寝ていて「話さない」、遅刻してきてその場に「いない」ことも表現なのだと気付いていく。
 平田さんは、初等教育で「国語」を解体し「表現」と「ことば」に分けることを提唱している。演劇、音楽、図工、作文、スピーチ、ダンスは全て等しく表現なのだ、何か感じたことを表現する、という点で違いはないのだと知った。そんな表現力が身につけばどれだけ豊かな人生になるだろうと思った。

原有輝さん『現代イタリアの思想をよむ』
 イタリアファシズム政権下にあって、政治学を研究していた、ガエターノ・モスカについて読みました。前の章には、ラブリオーラとデ・サンクティスの影響を受けて、ヘーゲルとマルクスとマキャベリを研究したクローチェと、社会学者のパレートの記述もあります。クローチェ当時には、ナポリ・ヘーゲル学派があったようです。

yuさん『白夜』
 ドストエフスキー初期の中編。内気で空想家の青年26と少女17の話。4夜中2話まで読む。内気だけど多弁だと思いました。読書会後読了しました。

 他の方は江國香織のエッセイ、橋本治の短編をトルストイの短編。お話を聞いていて、嘘がまじると自分の感情や思いをストレートに表現するのは難しいというのが共通のテーマになったような気がしました。

Takashiさん『イワン・イリッチの死』トルストイ著
「人が人の希望となり得るにはそこに嘘がないことが条件だ。」
この小説に直接書いてあるわけではないが、ここから読み取ることのできる命題だ。
 果たしてこの命題は正しいのか?それを検証するためには、恐ろしいことに、自分の嘘を一つ一つ剥がし、見たくもない自分の部分を少しずつ拾わねばならない。
 主人公のイワン・イリッチはすべて拾い集めることが出来たのだろうか。そして私は死ぬまでにどれだけ見つけることが出来るだろうか。

Haruoさん『初夏の色』
 短篇集の一篇「父」を読んだ。90歳を超えた父、60歳を手前にした淳一郎。年老いた父のことは母や妻に任せてきたが、母が亡くなり妻が入院してしまった今は、父に向かわざるを得ない。でも、どうしたら(どう接したら?どう介護したら?)いいのか分からない。大学教授だった父は常に「威圧的」だった。
 息子へ掛ける言葉は「なんだ」の三文字しかなかった。そこに疑問、落胆、訝しさの表明が込められていた。例えば、学校の成績を持ち帰った時などに、悪くはないが特別良くもない成績に対して、父は「なんだ」と言うのだ。考えてみれば父だって、息子に向かってどうしたらいいのか分からなかったのかもしれない。
 妻が倒れた時、会社にいた淳一郎に父は電話をかけてきた。軽い認知症のはずの父が「救急車を呼んだ」と電話してきた時に、そんなことができるのかと感心したが、「どこに運ばれたの?」と質問すると答えは「知らん」。こちらで調べるしかなかった。そこで思う。父親は「昔から認知症」だった。
 父と息子なんてそんなもの、と言うのは簡単だが、そんなものなのか?とも思う。この寂しい感じは何だろう?今の時代、「父親の威厳」なんて失われていっているのだと思うが、そうすると、ここで描かれているような「寂しい感じ」はなくなっているのか?(なくなっていないんじゃないの?)
 私の話で、夕方に父から電話がかかってきた。父はもうすぐ80歳になるはずだ。大雨でうちの裏山が崩れないか、前の川が氾濫しないか心配で電話してきた。まだそんな(余計な)心配をするのか、と正直思った。それにかこつけて話したかったのか?とも。

2021年8月8日:読みたい本を気ままに読む読書会

ゆかりさん『予告された殺人の記録 12の遍歴の物語』
 『8月の亡霊』を読みました。やけつくように暑い8月初めの日曜日が舞台。ちょうど今日のような。
 トスカーナの田園の一角の城を購入したベネズエラ人作家に昼食に,招かれた私たち一家の話。4pながらクライマックスはおぉ。となる話です。怖いかといわれると現実感無さすぎて怖くは無いかもしれません。

 他の方は、原田マハ、村田さやか、西田幾多郎、ラッセルを読んでいて、村上さんのスクールカーストの本さっそく読み始めました。

オカケーさん『テクニックに走らないファシリテーション -話し合いがうまく進む2つのセンスと3つのスタンス』
「第1部 ちゃんとうまいファシリテーターを目指そう」まで読みました。
ファシリテーターに必要な2つのセンス(目利きのセンス、行動選択のセンス)と3つのスタンス(自然体、配慮、学習者)について、それぞれどんなものか、磨くためにできる日頃の心がけは何かが書いてあります。

印象に残ったのは以下の3点。
1)「センスはジャッジの連続から生まれる」。センスは先天的なものではなく、後天的に磨ける。持ち物や身につけるもの、日々目を通すメディアや・・・「これはいい、ダメ」とジャッジを続けることで、自然とセンスが磨かれていく。
2)「テクニックを駆使しようと考えるから、ちゃんとうまいファシリテーションから遠ざかってしまう」。恋愛を例に考えると、色々なテクニックを学ぶことは、恋愛マスターになるために無意味なことではない。しかし、テクニックに走ってしまうと、それだけで恋愛がうまくいくと錯覚してしまい、思いどおりにならないこともたくさんある。
3)「ちゃんとうまいファシリテーターは、どういう理由でその行動を選択したのかについてちゃんと説明できる」。きちんと自分の根拠を持って行動を選択し、その選択を検証する習慣を身につけることが行動選択のセンスを磨く一歩になる。

匿名希望さん『しろいろの街の、その骨の体温の』
雑草のサバイバルについて読まれた方の感想から、
私が今まで抱いてきた雑草に対する「ザ・雑草魂!!」というイメージが、
図太さよりもっとスマートでかっこイイもののように思え、
上手く綺麗に咲けない私はスルスルと聡くニッチを狙っていこうかしら、となんとなく思いました。

Takashiさん『哲学入門』(ラッセル著、ちくま文芸文庫)
 「感覚から得られる情報はそれ自体が自明だが、真や偽として存在するものではない。」

 例えば殺人事件があった現場で真っ暗闇のなか物音がしたとする。その物音の分析は可能だが、だからといって、そこに殺された人の幽霊がいるということを決めることはできない。
 例えば、Aさんが酷いことを言ったという噂があったとして、Aさんの発言とその時の状況は検証可能だ。しかし、その事実を元にAさんの存在が悪であり、断罪されるべきだという決めつけはできない。

 自明であることと真偽の”判断”は別のものだということを肝に銘じなければならない。人間関係においては尚更だろう。

原有輝さん『善の研究』
 善の研究難しい。

2021年8月7日:テーマのある読書会「話すこと」

つやまさん『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』鷲田清一
 目の前の相手をそのまま受け止める「聴く」という行為が、話し手と聴き手の関係性に何をもたらすのかが哲学的に考察されています。なかなかに抽象的で難解ですが、日常会話の範囲を越えて対話の深淵さにたどり着くためのたくさんのヒントが得られるように感じるので、少しずつでも読み進めたいと思いました。
・カラハリの部族では場の全員が同時に発話するというコミュニケーションがあり、意味のやりとりではなくて、身体として共存しているという感覚を呼び起こしあっている。それは個人の境界を溶かして、「私より古い私」、命の核が共振する現象であるとも言える。
・聴くことは他者を迎え入れることであり、聴き手は自己防衛を解き自分を脆弱な位置に置くことが求められる。聴くことは他者を支えるだけではなく、自分という枠を壊し自己を変革させる原動力にもなりうる。

Takashiさん『哲学入門』(ラッセル著、ちくま学芸文庫)
 今日読んだのは「『私たちは善を追求すべきだ』という倫理学の自明な原理がある。」という意味の文章だ。
 普段の生活の中で「良いこととはなにか?」と質問した時、かなりの確率で返ってくるのが「絶対的に良いことなんて無い。我々にとって良いことが誰かにとって良いこととは限らない」という回答だ。
 多分日本人は「絶対的な善はあるのか?」みたいな思考が苦手なのではないか。「それぞれ違うんだよ」という所で皆が安心して思考が止まっているのではないか。
 本書は共通認識から普遍(universal)を抽出し、そこから組まれた命題の自明性を決めていく思考の道筋が示される。
 哲学入門というタイトルだけあって、難しいけど、読めば分かるように書いてある。決して「著者の言う事を理解したければ〇〇と△△は最低限読んでおけ」みたいな、ありがちな入門書ではない。

よしだ『対話のことば ーオープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』
 話すことで考えが進むような気がしていて、個人的に探求しています。
 この本では、精神疾患の治療法に用いられる「オープンダイアローグ」という手法が、仕事や学校などの日常生活でも活用できるという前提のもと、その考え方が紹介されています。オープンダイアローグは薬物治療などに比べても高い実績が示されているようで、きちんと聴くこと・話すことの威力というか大切さが感じられます。
 前半部分を読みましたが、基本的には、相手の言葉のままに聴いて、ありのままにわかろうとすることがまずは大事であると書かれているようでした。自分の思い込みを捨てて、たとえ自分の常識にないことでも聴き、それは話し手にとってどういうことを意味するのだろうということを、相手の内にはいるように聴いていく、そんなことが大事であると書かれていました。
 他のオープンダイアローグの本も読みましたが、聴くことで治療の糸口を見つけるということよりも、そもそも対話自体が目的であるとまで書かれていました。お互いをわかろうとする対話は健康にいいようです。

2021年8月1日:テーマのある読書会「話すこと」

Takashiさん『ザ・レトリック』(ジェイ・ハンリックス著)
 今日読んだところには、こんなことが書いてありました。「メールには感情をのせるな」「選択肢は議論できるが価値観の議論は難しい」
確かに感情をのせたメールは残って独り歩きすることを知らなければなりませんし、平行線を辿る議論は価値観に関するものが多いと感じます。
 著者は、議論には適した場と適したタイミングと適した時制が必要だと言っています。こういう本を読んだなら、なるべく実生活に引き付けて理解したいと思います。

じゃむぱんさん『シーグラス』
 
言葉のことを考えさせてくれるこの「話すこと」というテーマが、私はとても好きだと思いました。
 ふだんなかなか生活のなかに本を読む時間がとれず、こうやって本を読む時間を用意していただくと、踏ん切りがつくというか、切り替えることができます。いつも本を読むためだけの自分だけの時間になります。今日は俳句を一句一句ゆっくり鑑賞することができました。ありがとうございました。

つやまさん『<対話>のない社会』(中島 義道)
本の内容:
 『対話』とは、自分と相手が異なる価値観や感情をもつ別個の人間であることを前提として、意見が対立することや変化することを恐れずに言葉を交わしながら発展させていくことである。ところが日本社会は場の『空気』が強い力を持ち、全員の意見が一致することを重んじる文化なので、このような対話が成立しにくい。近年特に若者の間でその傾向がエスカレートしてきており、誰も傷つかないことを目指すという過剰な『やさしさ』が求められている。その結果、会話は当たり障りのないものに終始せざるをえなくなり、本当の意味での他者との関わりがなくなり、自分がどういう人間で何を求めているのかもわからなくなる、といった不幸な事態が起こっている。

感想:
 誰も傷つかないことを求めると皆が不幸になるというのは皮肉なことですが、以前読んだ自殺希少地域の本の話ともつじつまが合いとても納得しました。他の参加者の方からも、対話することで精神疾患が薬なしで治るという話や、言葉には意味以外にも感情や情景も乗せることができるという話があり、人間にとって話すことには単なる情報伝達を超えて心の健全さを保つ上でも大きな意味があるのだと感じました。読書会も本を通して見知らぬ人とも深い対話ができる貴重な場だと感じます。

2021年7月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

原さん『100分de名著 西田幾多郎「善の研究」』
 経験と労働と教育と知性が出て来るのが、ジョン・ロックあたりだと気付いた。

よしだ『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム) 
 読書会で読んでいる人が何人かいて、おすすめ、と紹介されたので読んでいます。人は自由であることを求めるような気がするのに、それからなぜ逃走しようとするのか、というのが興味が惹かれたポイントです。
 まだ中盤ですが、理論の舞台は、やはりというべきか、中世から近代・産業革命以後の社会への変革期でのこと。気になって手に取る本は、ここらへんの社会背景を取り上げたものが多いような気がします。近代人の必然…?
 自由から逃走するか否かには、ひとつの分岐点があるとフロムは言っているのだと思います。それは、衣食住や娯楽・教育のすべてを共にしていたといってもいい中世の共同体社会から、個人にさまざまな権利が与えられた近代的社会へ変わったとき、人は自由とともに孤独や孤立を手にしてしまった。そのときに、自分なりの個性を確立できて自由に生きられるケースと、孤独に耐えきれずに何らかの支配のもとに身をおこうとするケースがある、つまり自由から逃避するというのです。
 今回読んだところはなかなかに刺激的で、自由から逃避するにもいくつかの傾向がみられ、ひとつには劣等感にさいなまれて自分自身を小さくしようとするマゾヒズム的傾向と、もうひとつは他人を自己に依存させ絶対的な力をふるおうとするザディズム的傾向です。対極にあるように思える傾向ですが、「支配」に依存しようとしている点では変わらないということなのだと思います。
 フロムは社会心理学者という社会環境が人の心理に与える影響を研究していた人と認識しています。心理や、表に出てきているその人の性格が、決して個人の素質だけによるのではなく、周囲にある環境による部分も多くあるというのは大事な視点だと思いました。それにしても、近代化は、いろいろと劇的な変化だったのだなと、明治維新から150年も経ちますが、思います。そして、おそらくまだそこで生まれた新たな問題は解決されていないということも忘れてはいけないことなのだと思いました。(長くなった…)

2021年7月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『スチュアート・ホール』(ジェームス・プロクター)
 人事の査定大変だな、ロウソク科学になるんだな、プライドやジャッジはまずいのかな。

Takashiさん『ザ・レトリック 人生の武器としての伝える技術』
 本書は実例が多く、抽象的な内容が少なくて読み易い。しかし、ベースにあるのは西洋的思考法だ。分割、分類、普遍化、もしくは自分の心の中の事と外の事象を切り分け、一旦抽象的な思考まで持ち上げて個別事例に落とし込むことをひたすら繰り返している。
 日本人は八百万の神と大自然とご先祖様と私との一体感が重要だ。これはDNAとして私たちに深く刻まれている。それはそれで重要ではあるが、同時に分割、分類、普遍化の思考形式も理解した方がよい。
 何も政治経済みたいな壮大な話ではなく、私のごく身近な人達との人間関係を良くするため、私は読書を続けたい。

2021年7月24日:テーマ「話すこと」の読書会

Takashiさん『ザ・レトリック 人生の武器としての伝える技術』
 本書は議論することと、聴衆に聞かせるスピーチなど、話すこと全般の「技術」について書かれています。技術を使う目的は相手を説得したり言い負かしたりすることではなく、相手の気持ちに寄り添って議論を続けることです。
 と、豊富な例を挙げて分かり易く書いてあるのですが、私は数年前に読んだ内容をすっかり忘れていることに愕然としました。
 ありがとうリベル読書会、がんばれ俺!

よしだ『彼岸の図書館 ーぼくたちの「移住」のかたち』
 
体調を崩したことをきっかけに奈良県の山村に移住した夫婦の話です。研究者の旦那さんと図書館司書の奥さんの移住なので、現地で私設図書館を開いたりととても文化的な(?)移住でした。
 印象的だったのは、移住ではなく引越しに近かったのだということ。自己実現とはそういう華やかなきっかけではなく、これからどう暮らしていこうかと考えた末の結論が移住だったとのこと。でも取材なんかを受けると、キャッチーなきっかけを求められる。聞きたい人の期待と、話す人の現実とのギャップを感じて、実はもっと話す人の実情が隠れていたりはしないだろうかと、周囲を見回してみたくもなりました。

2021年7月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

うさじさん『零の発見』
 今の数字の概念が、インド、アラビア、ヨーロッパ、中国など様々な国々の文化などが合わさって影響を受けていることが面白かったです。

Haruoさん『冬の道 吉村昭自選中期短篇集
 短篇集の表題作を読みました。この前2篇(タイトルは「黄水仙」「欠けた月」)と共に、父親の死期を綴った短篇です。
 戦後間もない東京で、妻を亡くして以降、身辺の世話を堂々と女に任せるようになった父親が病気になり入院し亡くなるまでが、淡々と綴られています。混乱期なので、死を親類・縁者に伝えるのも大変、葬儀社は見つからず、棺を自製せねばなりません。
 「私」は18歳で、結核による療養があり、工場を手広く経営していた父親が死に、長兄次兄は父親の工場を継いで商売変えなどしながら何とか遣り繰りしている。自分の将来は全然明らかになっていない。
 心情をだらだら書いたりせず、何がどうなった、誰がどうした、を簡潔に記していくのが、この作家の面白さだと思います。
 自分の18歳だった頃を振り返り、もし自分の父が専制君主的な人物であったらとか、戦後の混乱期を生きなければならなかったとしたらとか、そんなことも想像してしまいました。

Yukikoさん『夜と霧』
 今回、読んだ本はずっと気になっていた本でした。
 読書会でも読んでいる方もいましたし、テレビでも取り上げられていたので、この回でぜひと思い読んだ本です。
 とても暗く、悲しい話かと思っていましたが、筆者は医者であり哲学者、学者なので自分が見てしまった、体験してしまった凄惨な出来事を静謐で淡々とした文章で表現していました。
 でもなぜかそこにいる不思議な臨場感があり、自分だったらどうしていただろうと考えずにはいられませんでした。

 さすが名著、皆さんがオススメするだけの本です。
 これから困難状況に自分が陥った時、何度もこの本を読み返すだろうなあと思いました。

よしだ『新しいヘーゲル』
 弁証法というものに興味があったので手に取ってみた本です。弁証法は、物事の矛盾や否定のぶつかり合いの中から、新たな理解やアイディアが生まれるという、物事に対する見方であると今のところは解釈しています。そんな見方を体得できたら、矛盾や否定を糧に前に進むことができることになるので、なんというか、怖いもの無しな感を抱いたので深く知りたいと思いました。
 読んだところは序盤で、弁証法にはまだ行きついていませんが(あるいは「ヘーゲル」に関する本だからこの先も弁証法については深く言及されないかも…)、筆者の哲学という学問に対する批判がおもしろかったです。それは、「ヘーゲルは難解」というのがその世界の定説のようですが、原因にあるのはかつての日本人が西洋哲学を崇拝しすぎて難解なものに仕立て上げてしまったからではないかということでした。ありがたいものは、たとえば皇族に対するように、容易に近づけるものであってはいけない、という心理が働いたのではないかということです。ただ、私個人としては、明治期の西洋化の流れが急速すぎて、いかに優れた頭脳をもつ学者でも西洋学問を深く理解し、日本語へ適切に咀嚼して伝えるには、あまりにも時間が足りなさすぎたことにも原因があるのではないかとも思いました。いずれにしても、物事や世界を深く考えるための哲学、これからも分かりやすい本を期待したいと思いました。

2021年7月4日:テーマのある読書会「話すこと」

Yukikoさん『超一流の雑談力』
 テーマが「話す」で選んだ本です。

 ビル・ゲイツが内向的だけどスピーチをさせるとちゃんと上手に話せるというのは、場数とと社会的地位や知性を言葉で表せる練習を日々していたのかなと思いました。

yukariさん『日の名残り』
 話すことがテーマでした。
 自分と遠いイギリスの執事の話をどう読めるのかと思い選びました。旅の二日目から三日目を読みました。まえ、誰に仕えていたのを誤魔化すのはそういうわけだったのかと。
 慣れないユーモアや冗談を仕事のために練習している姿は好感がもてました。

 話すこと=真実でないかもしれないけれど裏の意味を知ることや上手く伝えるのは難しいことだと思いました。

原有輝さん『日本的霊性』(鈴木大拙)
 他の方の、別の言葉で、が興味深いですね。

よしだ『コンピューターは人のように話せるか?』
 この本は、「話すこと」テーマの読書会に合わせて選んだ本です。たぶん僕らは、文章をただ読み上げているような話し方はしていないはずです。感情によって声の高低や話す速さが変わったり、文法的に成立していないことで逆に通じなやすくなったり、話すことの中に人間らしさのようなものが込められているような気がします。そんなことがコンピューターとの比較の中で改めて見えてくるのではないかと思いました。
 この本は、「話すこと・聞くことの科学」と副題がついており、今回読んだところでは、聞くことがメインで、耳の構造について熱く語られていました。耳か…と思いながら読んでいたのですが、著者の熱量(?)に押されて、耳の精巧なつくりに感動しました。

2021年7月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

yukariさん『源氏物語』
 角田光代さん訳の下巻。竹川、橋姫の途中まで読みました。
 薫や冷泉院が、宇治の八の宮に阿闍梨を通して興味をもったところが印象に残りました。どんな地位にいても他人の珍しげなところが気になるのだなぁ。と。
 他の参加者の方が反教育論で、ピアノを習うことは親の欲をおしつけていて、子供は押しつけを学ぶというのが印象に残りました。

はらさん「日本的霊性」(鈴木大拙)
 
他の方が紹介された、ラッセル「哲学入門」が気になりました。

よしだ『華氏451度』
 この本は前に別の方が読んでいて、おもしろそうで気になっていました。本を見つけたら燃やさなければいけない法律がある架空世界を描いたもので、本が遠ざけられている現代にも近いのかなと思ったのですが、その背景としては「さまざまな意見をもつこと」を禁止するようなことを想定しているようでした。本ではみな違うことを考えて記しているからです。
 1953年にアメリカの作家によって出された本だったようで、その社会背景との関連も気になっています。経済でも戦争でも、アメリカが一様に強くなりすぎて、それ以外を肯定することが難しくなった社会に、少し違和感をもっていたのかななどと今のところは想像しています。

2021年6月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

tomokaさん『恐怖の地政学 地図と地形でわかる戦争・紛争の構図』

 今回は第4章アメリカと第5章西ヨーロッパの半分を読みました。森博嗣さんの本を読んだ感想をmunetaさんがおっしゃっていましたが、まさにアメリカは肥沃で広大で、いろんなことに恵まれた土地を持つ「金持ち大国」という感じです。
 建国から現在に至るまで、実は州を他国からお金で購入していたりとなかなか資本的に恵まれている状態で領土を広げてきたことと、他国から攻め込まれる心配がほぼないという恵まれた土地であるために、強国になったことが書かれています。
 それに比べると西ヨーロッパはバラバラなのを無理やり一つにしようと無理に無理を重ねてEUができたなぁと思いましたが、実際に無理が重なって今危機を迎えているんだなっていうのが分かります。地政学からも国民性が見えてくるので、なかなか面白い分野だなと思います。

なかとみさん『13歳からの夏目漱石』(小森陽一)

 「吾輩は猫である」の考察を読んでいて、名前をつけるということについて考えました。飼っている生き物に名前をつけることは、その生き物との距離を決定づけてしまうのでないか。名前が無いことで、自分のもの、というより同居人(猫)というスタンスになり、そちらの方が自分には心地よいと思いました。
 また、漱石の生涯は日本や世界が軍国主義に向かっていく時代と並行していたと知りました。時代背景を知ることで、作品の理解ももっと深まるのだなと改めて感じました。様々な作品の解説はこれからも読んでいきたいです。

2021年6月26日:テーマのある読書会「無意識」

てらもっちさん『脳と精神』(川村光毅)

読みにくい本。
学者が知っている知識を詰め込んだ本のように思う。


文章のリズムもなく、文章のまとまりがない。また、話がハイレベルから詳細な話まで行ったりきたりと、視点を振られる。書いてある内容は、聴覚と認識を中心として、言葉や音楽などの感受について、神経から哲学まで、散逸的に、いったりきたりだが、興味深いところもある。

渋々認めざるをえない。

ダーウィン:叫びが、歌が、言葉になった。動物と人間の情動表現は連続的である。
ルソー:情念がコミニュケーションを作った。
エンゲルス:「猿が人間化するにあたっての役割」

謝辞に笑った。
 「遂行は満足にできていないまま刊行した。」
 「注意深く読んでも不明なところがあれば、著者も理解して書いていると判断されて寛容いただきたい。」

真面目な70代の大学教授が、知っている知識を詰め込んで、集大成として作成した本なのだろう。敬意と笑いを感じている。


さて、笑いは、人類に基本的な感情であり、同時にインストールされた表現でもある。肩を揺らし、呼吸を荒くし、小さな叫び声を発する。緊張と、リラックスの交番。

 きっかけになるのは群れ的な同意。理解。発見。

 口角の上がりを制御できるのは、詐欺師ぐらいである。自分自身も同意できていない言葉を話す人は、緊張して笑えない。

 自然な笑顔で、自然な笑顔に囲まれて生きていきたい。

Yukikoさん『私は私のままで生きることにした』

インターネットで話題になった各国の中流層の基準

イギリス
1.常に公正に振る舞うこと
2.自分の主義と信念をもつこと
3.ひとりよがりにならないこと
4.弱者の肩をもち、強者に立ち向かうこと

フランス
1.外国語をひとつ以上使いこなし、広い世界を経験すること
2.ひとつ以上のスポーツを楽しむこと
またはひとつ以上の楽器を弾くこと
3.ごちそうをつくって、お客をもてなすこと
4.ボランティア団体に参加して活動すること
5.他人の子を自分の子のように叱れること

韓国
1.100m2のマンション(ただしローンではないもの)を所有すること
2.500万ウォン(約50万円)以上の月給を稼ぐこと
3.2000ccクラスの中型車をもつこと
4.1億ウォン(約1,000万円)以上の預金残高があること
5.年一度以上、海外旅行すること

こうして並べてみると韓国の基準は必ず、数字が基準です。
数字だらけの人生の中で、人は履歴書に書く数字のために躍起になり、家の大きさに応じて人間関係を線引きし、集会やストライキがあると、その主張に耳を傾けるのではなく、損失がどれほどになるか真っ先に問題し、価値を忘れて価格ばかりを重要視する、数字の人生

と作者は嘆いています。

なんかちょっと前まで三種の神器とか言って、クーラー、冷蔵庫、洗濯機とか言ってた日本と重なるのでした。

そうお隣の国、韓国も日本と同様に若者たちは上流階級、中流階級を目指し子供の頃から競争に明け暮れているのでした。

著者は最後にこう語ります。

ごく普通の人間が、
自分が自分であることをうらむことなく、
冷たい視線に耐え抜いて、
ありのままで自分で生きていきましょうと。

こんな考えが浸透したら、生きづらさが減るのかなあ韓国でも日本でも自殺率が下がるといいなあと思いました。
私はいつでも若い人たちを応援するからね!
と作者の「キム・スヒョン」さんに言いたい気持ちです。

2021年6月20日:読みたい本を気ままに読む読書会。

遠藤なおゆきさん『暮しの手帖 100号 初夏 2019』
 パラパラ読めるので息抜きに良い。眠くなったら寝れて良い。

デクさん『経験と教育』(ジョン・デューイ)
 吉田さんの、進化思考に興味を持ちました。

Yukikoさん『人生の哲学 哲学的幸福論』
 
幸福論を説く哲学者はいても、幸福になる方法を説いた哲学者は数人しかいないそうです。

 世界中には様々な人、文化、宗教、性別、年齢や時代があり、これをやれば幸せになれます!と語る事はそもそも難題です。
 幸福になる方法を説いているのは宗教やビジネス書くらいしかないものだと思っていました。読んだとしても実践するのは難しかったり、何を言ってるか分からなくわからなかったり。ではどうすればいいのかという事が分からなくて結局、分からなくて分かったりフリして何もしなかったりして。

 幸福になるhow toを説く数人の中の哲学者「ヒルティ」は自分が日々何気なく実践している方法や考え方とピタリと当てはまってすごくしっくりしました。
 上から幸福論を説かれるより、実践方法を説いてくれる方が親切でいい人?で庶民に寄り添っている感じがして身近に感じます。

 この本を読んだことよりその後の皆さんと話した読後の感想会の方が楽しかったです。
 各々の本を読んだ後の様々な考えがクロスオーバーするライブ感が読書会ならではの楽しさでまた参加したいなあと思いました。

けいこさん『躁鬱大学』
 31歳のときに躁鬱病と診断されたという坂口恭平氏が、精神科医の神田橋篠治氏の文章を引きながら、楽に生きるために見出した対処法について、講義形式で解説している本。たとえば、居心地が悪いところからはすぐに立ち去る、資質に合わない努力は避ける、「今何がしたい?」と常に自分に聞く、退屈は敵なので、日課を作って毎日を充実させる(ただし疲れないように休憩時間も入れること、睡眠時間の確保も重要)、他人の意見で行動を変えない、など。中でも、「孤独を保ち、いろんな人と適当に付き合おう」というのが、わたしに一番ピンとくるところだった。坂口氏は、躁鬱人はひとりだと死ぬが、人と一緒にいると疲れてしまう、と書いている。わたしもひとりだとさみしいと感じる一方で、いくら好きなひとでも、四六時中一緒にいたいとはあまり思わない(若い頃はそういう気持ちもなくはなかったけれど……)。相手が大切であればあるほど、全力で向き合おうとしたり、自分の嫌なところを見せたくなくて、無理してしまって疲れるというのがわかってきたからだ。誰にとっても人間関係はやっぱり重要なポイントで、ここがクリアされれば、生きるのがだいぶ楽になるのは明白である。このように、この本には、躁鬱人であってもなくても多くの方に刺さる、役立つ内容が含まれているのではないかと思った。特にコロナ禍で、自分の生き方を見直さざるをえない状況で読めたのが良かった。

2021年6月19日:読みたい本を気ままに読む読書会。

デクさん『経験と教育』(ジョン・デューイ)
 ナボコフと、「華氏451℃」が気になりました。

2021年6月13日:テーマのある読書会「無意識」

てらもっち7等兵さん『進化思考』

生物の進化と、アイデア創出法を紐づけた非常に面白い本。
変異と適応にわけて、それぞれを体系立てて説明している。

少々若さが目立つ文章だが、説得力がある。

1.関係性
 良いデザインは関係性に着目して造られる。
 これはその対象よりも周囲との関係性を着目し、作ることが重要。
 よいものをつくるより、周囲との良い関係性をつくれるものをつくる。

 創造に対する新たな考え方で、よい視点。

2.進化 
 進化は変異と適応により発生していたとし、
 アイデアも同様である。としている。

 集団(会話、言語)、個人(脳、無意識)による進化や創造の差
 に及んでいないのが残念。

 言葉と、アイデア、進化の共通性に対する指摘は、自分の考えていたことと
 おなじだった。

3.変異
 変異、義体、欠失、増殖、転移、交換、分離、逆転、融合。
 に紐づけている。
 旧ソ連で特許解析から発達したTRIZをもう一度読み返そうと思った。

4.適応
 時空間の認識から適応への思考は始まる。
 空間 に対し、 外側vs内側 と分割し、 生態vs解剖 をツールとして扱う。
 時間 に対し、 過去vs 未来 と分割し、系統 vs 予測 をツールとして扱う。

 系統と予測の関係は、分割の歴史と、その分割の歴史を利用し創造したアイデア
 が統合され生き残るかを予測していく。多分、これが抽象化と呼ばれるものなのだろう。


非常に興味深い本だったことを再度述べるとともに、
今朝7:30開始の、Peatixで見つけた著者のワークショップに参加し、刺激を受けてから、読書会に参加したことを白状しておこう。

Epilogueを読むと彼が辛い思いを経験してきた人だということがわかる。辛い思いを経験してきた人だから、なぜ?が深くなり、その克服の過程で、深い考察、深い気づきに至れるのではないか。そんな仮説がまた証明された気分でもある。


ほんとに
イエスやブッダのコンプレックスの深さには脱帽である。


ちなみに、この本、まだ全部読めてないけど。

Yukikoさん『2040年の未来予測』
 未来を知りたいなあという単純な理由で購入した本です。
 著者は様々なジャンルで未来予測をしますが、予測のおおよそが悲観的で読んでいると絶望的!?な気持ちになります。
 ですが、今まで未来を予測したもので当たっているものもあれば、当たっていないものもあり、よくよく考えたら考えもしなかったものが発展したり、衰退したり、本当に未来を予測するのは難しいと思います。
 でも、このままではいけないと分かっているのに、変に楽観的になるよりは大丈夫かと心配して予測を外していくのも人類の英知なのかもしれません。

2021年6月12日:読みたい本を気ままに読む読書会。

Takashiさん『日本語練習帳』(大野晋著、岩波新書)
 人生を変える機会は、それを選ぶかどうかは別として至る所に転がっている。選択肢を広げる手段としては資格や学歴や経済状態などが挙げられるが、それはあくまで事前の情報にすぎない。機会を提供する側にとっては相手の中身の方が重要で、中身は「書く能力」と「話す能力」に基づいて判断される。これは何も仕事に限ったことではない。

 この読書会も、読んだことを話して書くという点でかなり日本語の練習になっていると思う。お世話になります!

2021年6月6日:読みたい本を気ままに読む読書会。

Takashiさん『図解表現のルール』(ドナ・M・ウォン著)
 XY軸のグラフをデカルト座標と言うらしいですが、デカルトって凄いですね。世界をたった二つの軸で表現しようとするなんて、まるで神への挑戦です。
 それはさておき、本書はレポートやプレゼンの図表現のルールを示したものです。時々こういう本で自分のやり方をチェックしないと、独りよがりになってしまうので気を付けています。
 今日のポイントは「プレゼンは白黒印刷してチェックしろ」です。色弱の人がいるかもしれないという前提ですが、そうでない人も濃淡の方が理解しやすいそうです。なるほど。

つやまさん『ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 2019年12月 (NHK100分de名著)』(亀山郁夫)
【本の内容】
・約150年前の発表ながら今なお読み継がれている世界文学の最高傑作のひとつである、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の訳者である亀山郁夫さんによる解説書。
・『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの作家生活と人生の総決算として書かれた長大な長編小説で、ロシア人の不屈の精神性の鮮やかな描写と、父殺しをめぐるミステリーとしての面白さという魅力をあわせ持つ。二部構成となる予定だったが、第二部の執筆前に著者が急逝し未完になった。
・ドストエフスキーは青年期に、領主だった父親を農奴に殺害される、社会主義運動に加担した罪で逮捕され間一髪で死刑を逃れる、という二つの経験によって精神的な傷を負っている。本作の執筆は、自らの人生の二つの傷の治癒のためであると同時に、それを歴史的なレベルに昇華することで、当時のロシア社会が直面していた皇帝権力と革命家の対立の危機を解決しようとするという試みでもある。
・物語の巨大で複雑な構成を理解するために、四つのレイヤーに分けて考えると読み解きやすいーー登場人物たちの行動や心理的葛藤が展開される『物語層』、作者の人生における出来事の意味づけをする役割をはたす『自伝層』、物語と歴史的状況や文化的基層との関係を示す『歴史層』、物語を支配する神や善悪などの原理について思索する『象徴層』。本作の主要なテーマは『父殺し』であるが、各レイヤーにおいて『皇帝殺し』や『神殺し』というように形を変えて展開され、それらの交差や衝突によって物語が重層的に構築されている。

【感想】
 文学作品の解説書はあまり読まない派ですが、今回読んでみて以前に作品を読んだときにはほんの一部しか読み取れていなかったことに気づき、その奥の深さに驚きを感じています。名作とされる作品でも真価を理解するためには読み手の深さも試されるな、と思いました。読書会の小グループでは、なんと全員が少なからず読んだことがあるとわかり、話が盛り上がって楽しかったです。

遠藤さん『シャーロットのおくりもの』
 
うーん、まあどうなんでしょう まだ分からないです。
 読書の感想より、今回はとにかく他の参加者との交流が楽しかったですね。
 「吾輩は猫である」の話題から、「もし、吾輩、じゃなくて、私は猫である、とかになったら平野啓一郎っぽいですよね」って話から、「平野啓一郎、確かに。いやーそれめっちゃわかる」っていう共感に繋がって、同じ趣味と言うか、ピンポイントのあるあるが分かる気持ちよさがありました。あと、こっちのブレイクアウトルームで全員が「カラマーゾフの兄弟」読んでる(挫折含む)のが判明して、「アリョーシャが社会主義に傾倒するじゃないですか」「ええーうそ、あのアリョーシャが?そんな展開になるんですか?」みたいなのとかも、めっちゃ面白かったです。

yukariさん『吾輩は猫である』
 吾輩は猫である。猫の目線から人間観察しているところが新しいなと思いました。猫のうちに泥棒が入ったけど、傍観してしまい役立たずだと、いわれ。

 他の方と共通して読んでた本もあったりして話が通じたのがよかったです。

なかとみさん『春になったら苺を摘みに』
 何かを信じて、それに突き動かされて行動する事と、独善的にならずに距離を置いて見ることのバランスをどう取るか。英国の田舎町をトレッキングしながら、そういう事をつらつらと考えた作者の思索の流れが書かれていた。自分でも歩きながら取り止めのない考え事をすることが多いので、あちらこちらへと行ったり来たりしながら深まっていく人の思索の動きの触れられて、「こんな考え方で良いのだな」と思えた。

2021年6月5日:テーマのある読書会「京都」

みつこさん『私版 京都図絵』
 京都は他の地域とは少し違った場所なのだと思いました。
 いろいろな歴史が積み重なっていて、畏怖の念を感じてしまいます。

原さん『はんなりギロリの頼子さん』
 つやまさんが、柳宗悦に言及していて興味を持ちました。

つやまさん『京都の朝市』(柳宗悦)
 著者の柳宗悦は、「民芸」という言葉を発明し、当時美術的な価値が認められていなかった日用の工芸品に「用の美」を見いだす「民芸運動」を行った哲学者であり思想家です。著者が住んでいた大正の終わりから昭和のはじめにかけての京都では、毎日のように各所で大変な人出で賑わう朝市が開かれていて、著者も足繁く通って掘り出し物の織物や焼物などを買い漁っていたそうです。朝市の魅力について、次のように語られています。

『大体こういう朝市には、何も名のある立派なものは出てこない。だから評判などに便ってものを見る要もない。(中略)こんな場所では知識などは余り役に立たぬ。それだけに直観が遠慮なく活躍せねばならぬ。之が働くと、物の方でも悦んで近寄ってくるのである。』

 現代では何を買うにしてもやるにしても、戦略的に植え付けられた情報やイメージによって選ぶというのが当たり前になってしまっていて、このような無意識と偶然に委ねることで生まれる純粋な出会いが少なくなってしまっていることについて、そしてそれがもたらしている心的な貧しさについて、立ち止まって考えてみたくなりました。

てらもっち 7等兵さん『物語 京都の歴史』

京都の魅力。

路地を歩く猫の上品さ。
祇園の艶やかなスナック街としめやかな料亭。
亀石を飛び、鴨川を渡る爽快さ。
寺院の奥にたたずむ巨大な仏像との対話。

1000年の歴史を持つ街が
形作られてきた歴史を知ることは
自分の歴史を作る上でも、役に立つに違いない。


太古の京都。
京都駅南口くらいまで海が入り込む大阪から続く長い湾だった。
この湾の周囲に人が住みだし、歴史が始まる。

弥生時代に入り、沖積地の恵まれた大地は、大きな収穫を生み
富は集積し、人々が集まり、古墳が造られていく。

先に作られた藤原京は、人の心の迷いにより10年で捨てられ、
京都が造られる。

平安初期は、今の御所に作られた平安宮が政治の中心だったが、
北野神社に近い内裏に移動したり、院政のときは銀閣寺に近い白川殿にと変遷する。

豊臣期には10万人都市となった京都。
大阪や江戸、東京に政治の中心は移るが、
文化の中心として、日本の歴史を時計のように刻んでいく。

京都にヒーローはいない。
複雑に織りなす政治的史略や、蠢く人々が歴史を作っていく。

この一定のカオスと目立つことよりも継続することを優先する価値観が
京都の魅力であり、1000年の歴史を持つ町の構成なのだろう。

100年内に生を終え、自分の歴史は終わる。
京都のような、カオスの中の居心地の良さを保ち魅力を継続したい。

2021年5月30日:テーマのある読書会「無意識」

Takashiさん『道徳の系譜』(ニーチェ著)
 想像するに、カント先生の講義は張り詰めた空気で雑談冗談一切なし、キェルケゴール先生やショーペンハウエル先生の講義は苦虫を噛み潰した表情のまま何だか面白いことを言う。ではニーチェ先生は? ニーチェ先生は表情豊かで身振り手振りも大げさな汗だくの講義をするに違いない。
 「弱きものこそ善である」というユダヤ教キリスト教の価値観をひっくり返すところから空前絶後の講義の口火が切られる。うまく説明できないが、お笑い芸人の皆さんはニーチェを読むといいんだろうなと思った。

2021年5月29日:読みたい本を気ままに読む読書会

ともさん『コーヒーで読み解くSDGs』
 コンビニコーヒーが他より安いのは何故なのか、どう言う流通なのかがさらに疑問にのこりました。セブンイレブンはフェアトレードにも力を入れてきている会社ですが、どうやっているのか…
 コーヒーとジェンダーの関連のところで時間が来てしまったので、どのように平等にしていくのかを学べるかなと思いました。

yuさん『訴訟』
 会社の人の特徴を考えながら読書をされている方があって、参考になりました。訴訟はカフカ未完の書で、銀行員のヨーゼフがある朝とつぜん逮捕されてわけのわからないまま窮地に追い込まれていく話なのですが、私たちの認知ってどこまで正確なのかななどと思って読みながら、哲学的だと思っていたら翻訳者の方がニーチェやヴィトゲンシュタインの翻訳もされていたのでなんとなく納得しました。

Takashiさん『死に至る病』
 哲学書は、自分の生活のもやもやについて色んな考え方を示してくれる。しかも世界が認めた超一流の先生のマンツーマン指導だ。

 私が実生活で「この人めんどうくさいなあ」と思ったとして、どこが面倒なのか、その人に隠されたものは何か、何故私はめんどうだと感じるのか、私の中の誤解やごまかしは何か等々を哲学書は教えてくれる。

 決めつけと思考停止に陥ると試合終了だ。更には陥ってる事に気付けない場合もあるだろう。哲学書との会話と、めんどうくさい人との会話と、自分自身との会話はずーっと続けていった方がいいと思う。それはそれで、めんどうくさいけど。

てらもっち7等兵さん『わたしが行ったさびしい町』(松浦寿輝)

歳をとったと思う。
旅に楽しさだけを求めず、、、いや、そうではない。

旅の中で感じる、寂しさの一瞬を愛せる歳になってきた。

一瞬の感情は思い出に残る。

それは嬉しさ、悲しさ、怒り、達成感、リラックス 
それを求めるだけでなく、
ふとした一瞬に感じる侘しい、寂しい、そんな
求めていない感情も、愛おしく感じる。


松浦さんが描く異体験は、やや金持ちの傲慢さを感じるものではあるが、
でも、自分が経験してきた旅のなかでの寂しい一瞬と重なる。

寂しい環境で起きる経験の一瞬の光。

ペスカトーレに似た名前のペスカーレという小さな町で、
大きなゴールデンリトリバーに少女が手を伸ばす。
犬は彼女の手を舐める。
その光景の美しさ。

ドイツのハンブルグのトルコ人街で見た市場の片隅に売られていた
東欧製のおもちゃ。

未来への期待に身を預けるだけでなく、過去の複雑な感情を咀嚼できる
年齢になってきたということか。。。。。


さて、昨日SDGSについて批判的な文章を読んだ。
・SDGSは理念は素晴らしいが、あまりにも道具を並べすぎたため、資本主義が都合の良いところどりをして、企業のシステム化の道具になってしまっている。
・スローフード活動というのは、本来、生産者と消費者の距離を縮める、地産地消的な活動だったが、これもまたスーパーなどによって、健康ブームの道具にされてしまっている。ロハスというのは、アメリカの大手スーパーのウォルマートが作ったフレーズで、コマーシャル的側面が強い。売るためのフレーズ。
・ナチュラル志向というのは、人類世界のために環境を良くする。ぐらいであればいい。だが、人類と環境との共存。環境重視のアミニズム。環境を優先し、人類はそれに属しているのだが、最悪滅んでもいい。となっていくと、ニヒリズムにいたり、豚を殺して食べている人間が、人間が人間を殺しても問題ない。という戦中のドイツの考え方に近くなっていくので気をつけるべきという内容。

二次大戦前のドイツの状況は、社会主義、共産主義やら、格差であるとか、自然主義とか流行った時代で、確かに今もそんな時代ではあるなぁと思いながら、上記内容を咀嚼中。

2021年5月23日:読みたい本を気ままに読む読書会

tokitaさん『焼夷弾を浴びたシャボテン』
 ある騒動から文壇を離れ、シャボテン研究家へと転身した作者。独自の生態を持ち、時には二千年も枯れずに生き続けるその有様に神秘的なものを感じていたようで、シャボテンと対峙しながら自分と向き合っている、そんな印象を受けました。シャボテン愛を熱心に語るところも純粋に面白いです。
 『読書について』の自分の頭で考えて読むということ、という内容が興味深かったです。

原(コギト)さん『利他学』(小田亮)
 金森ひとみさんのエッセイや、ハンニバルは未読なので、もう少し詳しく聞きたいと思いました。

Teramocciさん『一流の狂気』

なんでしょう。

狂気と呼ばれる精神疾患。
サイコパスと同様に、一定程度、人類の中に発生する遺伝形質。

それをもつ人間が、歴史を決めるような、または危機的対応をするようなポジションに到ることを歴史は語る。突出した才能は、精神のクロックスピードが速く、それは、政治や経済に対する判断だけでなく、その個人の感情であったり、気分であったりに対しても敏感に反応する。

 そうであっても、言葉で語れないものがあっても、周囲は、狂気を個性に含め、許し、その人間を、その資質をリーダーとして認め、判断を預ける。

なぜ、社長は一人なのか。会社の執行は独裁なのか。集団統治は資本主義の中で勝ち残れないのか。独裁は否定されながら、首相、大統領が生まれ、人々はリーダーシップをがなり立てるのか。


我々はサル出身であり、サルは群れで行動し、ボスザルが必要で、それは群れを持つ生物の行動様式から外れたものではない。生物種が大量絶滅を含む危機的状況を潜り抜け進化してきた一群であるからか。

イワシの群れのように、集団で群の行動様式を決める形態にうつるのであれば、言語による不完全なコミニュケーションを捨て、共感を信じ合う心が必要なのではないか。


昨今、資本主義の限界を語る際に、コモデティという心くすぐる言葉を使用し始めた一団がいるが、同時に間接民主主義を否定し、集団統治制を挟んでいるのが、気に障っている。
そう。これからの人にはテレパシーが必要なのである。

携帯電話を捨て、リアルコミニュケーションに回帰しよう。

サテ。閑話休題。

一流の狂気。一流にこそ狂気が宿る。それはロジックでなくアートでもある。
目標が自己の表現であったとき、ゴッホのような美しい芸術が生まれる。
美しいとは何か。
人々に共通する「いい」という価値観。それはディープで生物共通、自然固有というほどに深い。

僕は、狂人がアートという表現はできないが、彼らの生き様はアートである。
アートに至るまでに、彼らは様々なものを失っている。

喪失。悲しみ。苦しみ、そこからの復活こそが強靭さを生む。
その過程で深みを経由するからこそ、アートに至るが、だからこそ失っている。

なお、強靭と狂人をかけたわけではない。

僕はアートをもつものを天才。言葉で語れるものを秀才と呼んでいる。

天才の発生頻度がおなじであれば、人口から考えれば、今の世の中は天才が多い世界である。
天才が、世の中の不都合を解決することを僕は期待する。

こうして独裁が生まれる。


そう。自分で生きよう。徒然なるままに。

2021年5月22日:テーマのある読書会「無意識」

つやまさん『無意識の構造』(河合隼雄)
【本の内容】

IV 無意識界の異性像

・人間は外界に適応するための仮面である『ペルソナ』を身につけているが、自我とペルソナが一体化しすぎると無意識と接点を持つ上で妨げになってしまう。
・無意識の深層には、内なる異性像である『アニマ(男性の中の女性像)』『アニムス(女性の中の男性像)』が存在する。これらは自身の性に適応して生きるために、無意識の中に抑圧された異性像である。
・アニマには、感情やムード、非合理性、愛、無意識との繋がりなどのはたらきがある。アニムスには、言葉による意見や思考や論理、弁別や禁止、行動するなどのはたらきがある。
・人間として成熟するためには、アニマ/アニムスとの接触を持ち、自我の中に統合していくことが必要である。この接触は、無意識の浅い層に存在する、自我の生きてこなかった半面である『影』を通して行われる。
・アニマ/アニムスにはそれぞれ4段階の発達段階があり、第一段階では肉体的な意味合いが強いが、段階が上がるにつれて精神的な意味合いが強くなっていく。
・アニマ/アニムスは恋愛の中で相手に投影されるという形で経験され、関係を多彩にしたりもつれさせたりする。
・アニマ/アニムスとの結びつきが強くなりすぎると、男らしさ/女らしさというペルソナが破壊され外界への適応が脅かされる危険がある。
・意識は全体性を志向してアニマ/アニムスの統合をはかろうとするが、その実現は現実的には不可能と思えるほど困難なものである。

自我、影、アニマ/アニムスの関係

外界

(ペルソナ)

自我

ーーー▽無意識▽ーーー



アニマ/アニムス

【感想】
無意識について知ることで、自分を含む人間というものの捉え方や人生観が、良くも悪くもかなり変わるように思います。今回のところは特に恋愛観に影響しそうです。。深層心理学は進化心理学や脳科学や分子生物学ほどドライではないところがいいなと思っていて、人のこころを解き明かしていった先に何が残るのかという問題に答えを与えてくれるような気がします。

yukariさん『無意識の構造』
 他の方の本の無意識はいつも正しいの中で、親指が不安とリンクしているというのが興味深かったです。親指の爪のみ荒れていて繋がったような気がしました。

 読んだ箇所は、無意識の真相のグレードマザーのところです。土偶の渦と登校できない中学生の夢がシンクロし、暗喩での分析ってなかなか根気のいるもの?だと思いました。

原(コギト)さん『利他学』(小田亮)
 夢の解釈がぶっ飛んでいて、どういう根拠で解釈するのか気になった。

Yukikoさん『ミヤザキワールド』
 宮崎駿の作品がこんなに世界中に人達に愛されているなんてこの本を読むまで知りませんでした。
 アメリカの学者が文学作品としてアニメを鑑賞している驚き!と宮崎駿本人との対談、映画の舞台となっている場所を訪れたり、映画を通して伝えたい思いなどを映画の背景にある宮崎駿世界観など学問として追及している作者に日本人として上っ面だけ見て、映画を見た気持ちになっていて申し訳ありませんでしたと言いたくなります。
 著者が学生達と宮崎駿の映画について語る場面で、アニメというとオタク、マニアック、暗い、子供が見るものというイメージ(私のイメージです)が、著者と学生達は一つの映画でその背景にある死生観や哲学、経済や飛行機工学などいくつも交差する複数の要素を語ることで、アニメ映画にもかかわらずスケールの大きさ、奥行き感、国や文化を超えて楽しめる一つのエンターテイメントとして共有出来る素晴らしい作品である事を立証していきます。
 宮崎駿恐るべし。
 言い訳させて頂くと宮崎駿の作品は子供の頃に見たのは、アルプスの少女ハイジ、未来少年コナンです。(知らない方が多いと思いますが、すべて連続アニメです。テレビでやっていました。)
 実はあまり大人になってからちゃんと映画は見てませんでした。
 まさかこんなに世界的なアニメーターになるとは。というか日本のアニメが受けいられる世界になるとは。その時は考えもしなかったです。
 本人も最初から世界を目指したいたのではなく、好きなものを追求していったらここまで来たというような感じだと思います。
 ここまで考察されてしまうと本人もびっくりしていると思います。
 でもクリエイターとしては分かってくれる人がいると思って嬉しいんじゃないかとも思いました。

2021年5月16日:テーマのある読書会「無意識」

遠藤さん『7袋のポテトチップス』
 食べることは社会的な行為なのかもしれないと思いました。

yukariさん『無意識の構造』
 われわれがいらいらさせられるとき、われわれはなにかを見通せずにいるのだど考えてみると、まず間違いはないそうだ。自我の光の及ばないとこで何かがうごめいているみたいだけど、そればなんだろうかと思いました。
また、夢が無意識のキーになるみたいなので夢の記録をしてみようかなとも。

 他の方の7袋なポテトチップ 食べるを語るで、なんでポテトチップか気になった方がいてわたしも気になりました。

つやまさん『体は全部知っている』(吉本ばなな)
 人は頭でっかちで色々の内省したりしがちだが、体や本能にまかせていればさほど大きく間違えることはない、というテーマで書かれた短編集。体や本能は無意識と言いかえることもでき、登場人物たちは自分の心の声に耳を澄ませたり、直観に従って行動することで、迷いや悩みから解放されて本来の自然な流れに沿って生きられるようになります。今日読んだ『ボート』という短編は、父親の再婚相手との新しい生活に適応するために、大切なはずの実母との記憶を自分でも気づかないうちに消し去ってしまった女性の話。意識では覚えていなくても、無意識にはちゃんと残っていてそれに伴う感情は湧いてくるというのが印象的です。また、現実的な都合によって案外簡単に書き換えられてしまう記憶や人間そのものの不確かさも感じました。10ページくらいの短い話の中に人の心の不思議さが巧みに描かれているところに惹かれました。

Yukaさん『「空腹」こそ最強のクスリ』(青木厚)
 空腹の時間をつくることにより、免疫力を上げ、健康で疲れにくい身体を維持する。著者は16時間空腹の時間(睡眠8時間+起床時間半日8時間)こそ、不調や不健康、肥満等の最強のクスリ(処方箋)であると提唱しています。消化吸収・胃腸の働き、加齢による内臓機能の弱体化など分かりやすく背景や仕組みが解説されており、無理なく長く続けるヒントも示されていました。

 体調は個人差もあるので、育ち盛りの未成年や身体が弱い方等成人でも合わない体質の方には馴染まない場合もあるだろうな、と思いながら読んでいました。自分にはいきなり始めるのは厳しいので、まずは①週末のうち1日は18時以降は食べない②お腹空いたらお菓子の代わりにナッツ類やチーズをつまむ、といったことから試したいと思いました。

2021年5月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

yukariさん『崩れゆく絆』
 アフリカのイボ族の物語を12章から読みました。3部構成になっており、婚礼と葬儀と支配の部分でした。ちょうど読んでいた本を客観視?できたようでよかったです。他の方が、死のリハーサル?でいま本をよんでるみたいなことを言っていたのが印象的でわたしもイワン・イリッチの死気になりました。ありがとうございました。

Takashiさん『イワン・イリッチの死』(トルストイ著)
 本書はある男の一生を描いた100頁程度のフィクションだ。主人公のお葬式の描写から始まり、前半は仕事と結婚、後半は病気にかかってから亡くなるまでが描かれている。私自身は死ぬことがとても怖く、また関心があるので、この本はその予行演習として読んでみたい。
 しかしながら、これは文豪オブ文豪のトルストイ先生の書である。単純な話であるわけがない。読み返す度に一文一文が違う意味を伴って響いてくるはずだ。最低5回は読み直したい。たった100頁しかないから濃いですよ~。

うさじさん『若い読者のための世界史』
 今日もありがとうございました。

 イスラム帝国が、ペルシアやギリシャ、インド、中国などから、建物や哲学、数学や紙などの技術を活用して世界中に文化を広めていったことが興味深かったです。

 また、植民地支配の話で、1900年代と比較的最近のことであることや、支配する側される側の考え方が違うことにも驚きました。

Yukikoさん『生命と記憶のパラドクス』
 今日は本当に気楽な読書会でした。大人数だと意見がちゃんと伝わっているか心配になりますが、少人数だと相手の反応がすぐに分かるので話しやすかったです。
 宮崎駿さんの本も「田村はまだか?」読んでみたいなと思いました。

2021年5月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

遠藤さん『カラマーゾフの兄弟』
 キリスト教文化はよくわからんといったところです。

祥子さん『あなたはなぜ誤解されるのか』
 日々の生活で他者から受ける誤解は、非言語情報(言い方や表情、仕草)による。誤解から発生するストレスや問題を解消するために、自身の立場に合わせた「役」を把握し、演じる必要がある、というところまで読みました。例えば「この人がこう思っていたら都合が良いのに」のような、非言語情報を受け取る側の心理について、影響はあるのか気になりました。その辺りはこの先で言及されているのか……読み進めて、誤解は減らせるのか実験してみたいです。
 安部公房の世界観がかなり気になったので、読んでみます。

Yさん『R62号の発明・鉛の卵』(安部公房)
 言葉や文章に流れがあり、読みやすい作品だと感じました。
 他の方とのお話で、モノの間の境界線が曖昧で、行き来している点が違和感につながっていたと気づくことができ、よかったです。

 考えをまとめ、人前で話すということが得意ではないので、非常に緊張していましたが、話しやすい雰囲気で楽しく参加することができました。

2021年5月8日:テーマのある読書会「無意識」

ねねさん『ユングと東洋(上)』
 ユングがどのようにして彼の深層心理学を深め作り上げていったのかを、彼の経験や思想、そして彼が生きた時代背景や東洋との関わりを説明しながら紹介している好著。
 心理学とその理論を作り上げた人の経験や思想はやはり切っても切れないものだなと思った。
 ユングは自分の中にNo1(意識)とNo2(無意識)がいて対立していると感じていた。母方からの幻視者的素質を強く受け継いでいた。
 フロイトと決別し、アカデミズムの世界から見捨てられたユングはヨーガやマンダラを通じて自分のうちなる世界を探究ていく。やがて、彼の無意識と共通のものがインドやアフリカにあったことに気づいていく。
 意識を持ちながらにして、無意識の海を探求できるユングがうらやましいなと思った。私は夢を見る時や、何やらひらめいた時にその存在の片鱗をほんの少し感じられるだけである。。。でも、意識を持って無意識を旅し、その構造をまとめたユングによって、我々も無意識の海はそんな風になっているのかと想像を巡らせることができる。大航海時代を読むような、あるいは宇宙の話を聞くようなロマンを感じてしまうのは私だけでしょうか。。。

yukariさん『無意識の構造』
 無意識は意識できないから難しいけど興味はあるので参加しました。無意識に1900年はじめころ関心をもって研究していたユングとフロイトの考えをすこし覗き見たかんじです。ままならぬ人の心のしくみを知りたくなりました。

Takashiさん『哲学入門』(ラッセル著)
 以下は本書の感想ではなく、読書会でお話した内容です。

 カントは悟性(Understanding)と理性(Reason)を明確に分けます。形而上のことを考えるの理性の領分となります。
 そこでもし無意識を形而上的に扱うならば、「無意識とは何か」という問いの前に「無意識はどういう風にあるのか」や「無意識という概念はどう作られたのか」を考えるのも必要かと思います。
 但し、無意識という概念は広く受け入れられそれを元に色々なことが上手く説明されているので、無意識は否定されるものではないと考えます。あくまでものの見方の例として挙げました。

2021年5月2日:テーマのある読書会「無意識」

コギトさん『キリストにならいて』
 西洋と日本で空気の比較が面白かったです。

Yukikoさん『バカの壁』
 今日のテーマは「無意識」は普段、意識したことがなかったので、今回はとても勉強をになりました。いいテーマでした。
 「無意識」を考える事は意識する事を考える事で、そこには人生の意義や共同体を考える事にもなるというとても壮大なテーマなのではないかと思います。
 「無意識」と「その場の空気」がこんなに関係があるとは思いませんでした。直感で考える事も大事ですが、その場の空気に流されず、立ち止まって考える事の大事さを感じました。
 先の戦争もはい戦争始まりました!という感じではなく、知らない間に戦争状態になっていたという話も聞きます。
 今の時代はSNSが発達して個人の意見が話しやすい環境になっていますが、SNSやインターネットがある世界が、悪い状態(後戻りが出来ない状態や最悪な状態、暴走状態)になる前のストッパー的な役割をしてくれるといいなと思います。

Takashiさん『愛するということ』(エーリッヒ・フロム著)
 タイトルどおり、愛”される”ことではなく、愛”する”ということ、に関する話です。能動的に何ができるかという話です。
 それはそうとして、最初の40ページが濃い!近世は宗教や職業と身分の固定化など社会との一体化の仕掛けが人々の心を安定させていましたが、近代ではそれは失われ代わりに同一であること、即ち平等のある側面が心の安定を支えているという過激な話からロケットスタートしています。「俺の言ってること、間違ってないよな?」っていうありがちな問いが、まさか平等の概念に繋がってるとは・・・。まじで?

うさじさん『若い読者のための世界史』
 今日もありがとうございました。

 実力主義や科学的思考など、今は当たり前のように思われているけど数百年前は当たり前ではなかったことを知ると、今当たりまえだと思われていることが、将来当たり前ではなくなることがあるのではないかと思いました。

2021年5月1日:読みたい本を気ままに読む読書会

遠藤直幸さん『カラマーゾフの兄弟』
 父親フョードルが下品で良い

ねねさん『The Color Purple』
 黒人差別、女性差別、貧困問題が色濃く描かれている物語である。1983年に出版され、作者アリス ウォーカーはピューリッツァ賞フィクション部門を受賞している。
 今日は読書会で2つ質問を受けた。「何年に書かれたの?」「タイトルの紫色にはどんな意味があるの?」上手く答えられなくて慌ててしまった。いつも何となく「面白そうかな」と思って読んでいるだけで、あまり深く考えたことが無かったので、新鮮な気がした。その物語が書かれた時代背景、社会背景、作者の思想、そういったことも物語を理解する上でとても重要なことだと、改めて気付かされました。良い質問に感謝感謝です。これが読書会の面白さだなと思いました。
 さて、話は物語に戻って、これが描かれた頃は第二次フェミニズム運動、公民権運動が盛んな時で、黒人女性のアリスウォーカーは熱心な活動家だった。当時フェミニストの旗の色が紫色だったので、このタイトルになったのだろう。(質問者さん、適当なこと答えてすみませんでした!)第二次フェミニズムは男女平等の権利を主張するより、女性が男性に性的搾取を受けていることへの反対を訴えていて、小説の中もレイプシーンや暴力シーンが多々ある。この小説には批判もあって、男性が下品で馬鹿で働かない奴ばかりだということ。確かに、この小説を読んで「男は馬鹿ばっか!」と憤っていましたが、これはフェミニストである作者が、運動を盛り上げるためにちょっと誇張した表現なのかなと思いました。
 フェミニストの視点から描く優しくて大人しいシリーの物語。彼女の視点から描かれるアメリカ貧困社会。とても面白いです!そして、いろんな気づきをくれる読書会もとても面白いです!

2021年4月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

tokitaさん『移民たち 四つの長い物語』
「移民」というテーマで記された4つの物語の1章目。
 仕事を引退し妻との仲も冷え切って、日々することといえば荒れ果てた庭で1日を過ごすのみの移民男性。そんな毎日を過ごす中で、埋もれていた故郷の記憶が頻りに思い出される。<私>はある一時期その男性と関わりを持ち、暫しの時を経て彼が自ら命を絶ったことを知る。そして、彼の記憶と繋がる象徴的な出来事が起こる。
 作中の「ある種のものごとはときにきわめて長い間をおいて、思いもよらぬかたちで、不意を打って舞い戻るものなのである」という一文が印象的で、堆積された時間は時に人の生死にも影響を与えるほどの重みを持つものなのかもしれない、と感じました。そして、自分という存在の拠り所を考えさせられる作品でした。残りの章もじっくり読みたいと思います。

コギトさん『キリストにならいて』
 源氏物語を読んでいた人の話をもっと聞きたかったです。

祥子さん『Day to Day』
他の方の話を受けて:コンプレックスについて、同じ苦手とすることでも大して気にしていないことと、気にしてる事との差がどこから来るのか参考になりました。外部要因だと解消するにも外部の存在がいるのかな……。子どもと大人(ピカソ)の絵画の感銘の理由である「神」の仕業について宗教観によって何か違いは出るのか?など気になります。芥川は腸内環境が違っていたら死因が変わっていた?という話が面白かったです。

2021年4月18日:テーマのある読書会「人の欲」

つやまさん『無意識の構造』河合隼雄
 物理のエネルギーと同じように、心が活動するもとになる心的エネルギーというものがあり、意識(自我)と無意識の間を循環している。無意識にコンプレックスがあると、エネルギーがそちらに捉えられてしまい自我の活動に支障が出る。これを退行といい病的な状態なものもあるが、創造的な退行というものもある。発明や芸術を創作する行為とは、相反する2つの要素を統合してより高次のものを生み出すことであるが、その過程で自我はどちらか一方に傾くことができない矛盾のために停止状態に陥り退行を起こす。このとき外見的にはぼんやりしているだけのように見えるが、無意識の中では仕事が行われていて、やがて統合されたものが意識に上ってきて、発明や作品になる。
 相反するものを統合するのに無意識が使われているというのが興味深かったです。音楽や絵画などで、なぜかよくわからないけど心を打たれるという体験をすることがあって不思議に思っていましたが、あれは無意識同士での対話のようなことが起きているのだな、と腑に落ちました。

けいこさん『「利他」とは何か』
 東工大の「未来の人類研究センター」における「利他プロジェクト」のメンバー5名が、それぞれ専門の立場から利他について考えるところを述べた論考集。美学、哲学、政治学など切り口は様々だが、己の感情や意志とは関係なく、人知を超えたところから自然に生まれるのが本来の「利他」だというあたりが共通しているようである。わたしたちが通常、利他的な行動をとろうとすれば、そこにはどうしても相手の反応を期待したり、見返りを求めたりする気持ちになりがちなものである。そうではなく、展開や結果は相手に任せて自分はあくまでも受動的な姿勢を崩さず、「うつわ」になることが大切ということだ。中島岳志氏の言葉によれば「オートマティカル」に発生するものが利他の本質だと述べていて、この考え方のベースには性善説があるのではないかと思った。

Takashiさん『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵著
 最強の自己啓発本と言うべきか、あるいはすべての自己啓発本は本書を読んだ後に読めと言うべきか。
 著者は片づけで物を残すかどうかは触った時にときめくかどうかで決めなさいと言う。大事なことはそれだけである。しかしこれは恐るべき魔法だ。
 物の有用性とその背後にある人間関係が自己自身にどう関係するかを再認識し、自己を再定義せよ。頭だけで考えるな。五感を使え。再定義された自己はすべて過去である。自分を知れ。話はそれからだ。そして明日をときめく心で過ごしなさい。
 本書にこんな威圧的で概念的な言葉は一言も出てこないが、そんな感じで読むことができた。凄いなあ。

2021年4月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

ねねさん『The Color Purple』
 最初この本を開いた時、買って後悔した。全然英語わからん!でも、落ち着いてよく見ると、this, thatがdis, datになっていたりする。文法無視して、口語がそのまま文字になってる。thをdと発音し、スペリングも分からずそのまま書いているのだ。書き手は教育の無い黒人だろう。。。
 その日あったことをDear Godと神に語りかける形で綴っている。14歳から父親にレイプされていること。2度子供を産んでいるが、すぐに取り上げられてしまっていること。たくさんの弟や妹の面倒をみていること。太っていて頭が悪く醜いこと。そして、あまり学校に行ってないことなどが日記から分かる。
 驚愕だったのは、妹の彼氏が求婚しに来た時に、父親が「妹はダメだ。姉にしろ!」と言ったことだ。ありえーん!とビックリしていたら、もっとビックリしたことは彼氏はあっさり姉の方である主人公Celieと結婚してしまうことだ。
 こうして、結婚したCelieは夫の4人のワガママで意地悪な子供たちを世話しながら暮らしていく。そして、夫からは暴力を振るわれている。。。
まだ 20ページしか読んでないのに、大変なことになっている。主人公はどうなっちゃうの?
 一番驚いたのは、これほど酷い目に会いながら、彼女自身は理不尽な目に遭わされていると怒っていないことである。「私は戦わない。言われた所にいて、生きているだけ」と、ただただ日々を周りに振り回されながら過ごしている。
 この本を読みながら、「貧しく生まれ、教育も受けず、酷い親に育てられた子たちはどうやって生きていけばいいのだろう?」と、考えてしまった。もし、サッカーがめちゃ上手いとか、歌が上手いとかだったら、酷い世界から抜けられるかもしれない。でも、そうじゃない子たちは?
 世界は、自分の生きる環境は、自分自身で変えていくことができる。自分にはその力がある。そう信じることが希望を生み出し、努力する意思とパワーを生む。そして、きっと世界は変わっていく。でも、そんな風に考えることの出来ない過酷な環境で生きている人たちもたくさんいるのだ。主人公もその一人。

 物語はこの先どう展開していくのだろう?彼女は自分自身の力に気づくことができるだろうか?希望を持って未来を自分で切り開いていけるのか?それともただただ運命の被害者で終わるのか?
 英語分かんないから読むのやめようかしら、と始めは思っていたが、今は先が気になって仕方ありません。。。

Yukikoさん『ゴールデンスランバー』
 以前、読書会で伊坂幸太郎さんの逆ソクラテスを読んでいられる方がいましたが、その時から気になっていた作家さんではありました。
 今日は何の情報もなく「ゴールデンスランバー」を読みましたが、さすが皆さんがオススメする作家です!面白いです!これからは頭カラッポにしてエンタメに浸りたい時はこの作家さんの本を読もうと思います。
 作家紹介を読みましたら年もほぼ同い年ですし、地方在住というところにも親近感が湧きました。
 現在、2/3くらい読みましたが本日で一気読みです。
 こういう本の出会いがあるのも読書会の楽しみですね。

2021年4月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『こころと人生』河合隼雄
【内容】
Ⅲ 中年の危機
 中年期は人生の中で安定している時期だと思われがちだが、精神的な危機に陥る危険が高い時期でもある。仕事も家庭も順調で傍目には幸福そうに見えても、内面的には生きる意味や目的を見失って深く悩んでいる人が多い。人生の前半と後半ではもっている意味が違っていて、前半は社会の中で頑張って生きることが課題だが、後半は老いて死ぬことをいかに意味のあることにするかが課題になる。そのとき、今まで知っている世界を越えた深いものとのつながりを持ち心の支えにすることが大切になるが、その方法は人によって異なるため、その人なりに苦労して見つけなければならないところに大変な難しさがある。中年の危機のために人生を破滅させるような事件を起こしたりする例もあるが、うまく乗り越えられると以前より落ち着いた深い生き方ができるようになる。

【感想】
 専門家向けではなく普通の人のライフサイクルについて書かれている本ですが、河合先生の臨床経験に基づいた洞察はとても深く、読みやすいのにとてもためになります。人生には次から次に危機が訪れるそうですが、予備知識をもっておくと少しはうろたえずにいられるかなと思います。本の中で夏目漱石の『道草』や山田太一の『異人たちとの夏』といった文学作品が取り上げられており、読んでみたくなりました。

テラチさん『ソールライターの全て』

心に残った言葉。

・美の規範に対する尊敬。
 苦しみより幸福の深遠さを信じること。

・本を読み絵を描いてきたこと、
 そして心を通じ合える人と過ごす人生。

ファッション雑誌の商業写真家から、
市中の写真家として無名で生きることを選択したソールライター。

ニューヨークの路上のポートレイト。

写真、絵、言葉の一つ一つが自分に問う。

毎日の。一瞬一瞬の目の前の風景の美しさ。
過去の歴史の上に生きる謙虚さ。

長崎や広島の原爆資料館を見て感じたのは、失われた日常の美だった。
彼の作品が好きで、これからも好きなのだと思う。

Yukikoさん『蜜蜂と遠雷』
 以前、この会の雑談で後世に残る人というのはどういう人達が発見したんだろう?という話をしました。答えではないですが、この小説でコンクールの参加者の師匠がこんな事を言っています。「スターというのは以前から知っていたような気がするものだ。彼らそのものがスタンダードで世に現れたときから古典になることが決まっている。ずっと前から観客がすでに知ったものと求めていたものを形にしたものがスターなのだ」と。

 小説自体は3年前に読んだもので、そんなことが書いてあった事すら忘れ、ユーチューブでピアノを弾くピアニスト達を見て、もう一度読んでみたくなって読んだところ思わぬ発見がありました。

 それにしてもコンクール(ピアノや絵画、小説)大会(サッカー、野球、オリンピック、M-1とかどんなジャンルでもいいですが)で、優勝して賞を取るということは大変な労力と時間をかけて挑むもので、優勝者以下には膨大な人の屍累々の姿が浮かんで来ます。(イメージです)
 それでも頂点から見る景色、その一瞬の為に膨大な時間を労力をかけて挑む様々な人達の姿が見えて来ます。

 私にはそんな夢中になるものはありませんが、この小説を読んでコンクールに出場する人達それを支える人達(家族や友人、コンサートスタッフ)の気持ちが追体験出来たような気持ちです。

Takashiさん『超越と実存』(南直哉著、新潮社
 禅僧、南直哉による仏教史である。西洋哲学の言葉で語られる仏教は、仏教の言葉で仏教を説明するよりも遥かに分かりやすい・・・なのですが。

 本日の読書タイムの50分間、本書はほぼ読んでません。最初の30分は他の参加者の方からラマンライダーのご紹介があったので、なんだそれ?仮面ライダー的?みたいな興味で調べてました。
 その後、本番の読書をと思いましたが、著者ご本人の語りが幾つかYoutubeにあがってたんで、ついつい見ちゃいました。ですので皆さんとの感想シェアは60秒程度でした。

 読書会は参加することに意義があるんですよね!本書は午後ゆっくり読みました。

HIROMUさん『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』
 データから適切な意味を汲み取るのは難しいことであり、間違った読み取りをしてしまうとお金や時間を無駄にしてしまう。そのため因果関係を明確にする方法や思考は大事であるという内容だった。規模の大きいビジネスにまつわる例が多くあまり実感の湧かない部分も多かったが、別の要素の影響をどうやって排除するのかという考えは興味深かった。

2021年4月10日:テーマのある読書会「人の欲」

けいこさん『年収90万円で東京ハッピーライフ』
 年収90万円で暮らすというのは、よほど何か工夫があるのかと思ったけれども、そういうわけではなく、服は季節ごとに数枚ずつ、基本的に粗食、趣味は散歩と読書という感じの生活で、作者は充分に満足しているのだった。
 自分がどのくらいお金を必要としているかを逆算して仕事をしていて、結果的に週2日程度のアルバイトで賄えるのだそう。
 「自分が楽だからそういう生活をしているだけで、それぞれが自分に合うライフスタイルを見つければいい」ということを再三書かれていて、昨年からの事態を踏まえると、経済的な問題に留まらず、ライフスタイルや価値観の見直しは誰にとっても必要だと思った。この本は2016年発行だが、作者は今もコロナ騒動などものともしない普段通りの生活をされているのだろうと想像している。

2021年4月4日:テーマのある読書会「人の欲」

Takashiさん『自由からの逃走』(フロム、東京創元社)
 フロムは社会の構造と個人の幸福が一致することは稀だと言う(P156)。ざっくりと言えばその差を埋めるために欲望がある。
 純粋な生理的欲求を除くと欲望は社会と個人の関係によって発生するものなので、個人に固有なものではない。個人の欲望なんて社会が変化すればあっけなく変わるのだろう。
 何を求めて生きるのか。昨日と今日の答えが違うなら、いつも問い続けねばならない。

じゃむぱんさん『絵を見る技術』
 ロジカルで絵を見るなんて嫌だな、と思っていました。いろいろな情報にまどわされて、ただそのままに目の前の物事をみつめることができなくなるのではないかと思ったからです。
 この本を読んで、センスにロジックがつながれば、絵を見る楽しさが広がるかも知れないと思いました。

2021年4月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『ユング心理学と宗教』
【本の内容】
・人の心が健全であるためには意識と無意識が調和していることが重要だが、現代人は強い自我を発達させるあまり、無意識との「関係性の喪失」に悩まされることになった。そこから回復するには自分自身の無意識を探索することが必要である。
・河合先生は、元々は仏教に対して不吉で非合理的なものだという拒否感があり、合理的を重んじる科学万能主義に近い考えをもっていた。しかしあるとき、自分の心理療法に対する考え方が仏教に強く影響を受けていたことに気づいて愕然とした。それは、治療者とクライアントが「治す人」と「治される人」として区別されるべきではなく、二人がそこにいることが大切であり、「治る」という現状は副次的に生じると考えるべきである、というものである。
・仏教の考え方と日本人の自我意識のあり方には深い関係がある。西洋では、最初に他と分離した自我を確立してから、他との関係を築こうとするが、日本人はまず他との一体感を確立してから、他との分離や区別をはかろうとする。西洋人の自我は「切断」する力が強く、日本人の自我は「包含」する力をもつ。
・仏教(華厳宗)では、固有性(自性)をもったものは存在せず、それ以外の一切のものとの関係性によって存在している(縁起)と考えるため、「私」を含むあらゆる物事の本質は「空」であるとされる。経典は読んで理解するものではなく、唱えることで意識の変容を引き起こすものである。そのような意識で接すると、個々の意味や関連があいまいになり、光のなかに包み込まれているような感覚になる。
・西洋の強力な自我意識は、物事の区別を精密におこなう方向にはたらき、それによって自然科学が発達し、人間は周囲の環境を欲するままに操作できるようになった。これに対して、仏教では意識を物事の区別をなくす方向に洗練させていく。これは意識のレベルを下降させるともいえるが、注意力や観察力は保たれている状態である。瞑想や読経などはこのようなことができるようになるための修行である。
・ユングが意識、個人的無意識、普遍的無意識と名付けて分けた層は、仏教的には連続的に深まる「意識」のレベルである。仏教では意識の下降が究極に達したところに「空」があるが、ユング心理学ではこの点には触れていない。これはユングが観察者としての自我意識を守ろうとしたためであると考えられる。
・クライアントの問題が深い元型的なレベルに根ざしているときには、治療者が表層的なレベルで応じてもうまくいかず、意識レベルを深くする必要があるが、その際に仏教の考え方が非常に役に立つ。このときの二人の関係は個人的な水準ではなく非個人的な水準にまで深まっている。その根底には深い「かなしみ」の感情が流れており、それによって表層の日常生活が支えられている。

【感想】
あまりにも深いことが書かれていて、理解が追いついてませんが、、、全く異なる経緯で体系化されてきたユング心理学と仏教の、それぞれ行き着いた先がよく似た境地だったというところがとても興味深く感じました。また、個人としての意識レベルを深めていくことで、根元的な「かなしみ」を通して他者と深くつながることができる、というのも印象に残った部分です。このあたりの話が割とすんなり理解できるのは、(自分もあまり意識していなかったですが)仏教的な世界観をベースにもっているからなのかな、と思いました。

Takashiさん『新耳袋』(木原浩勝、中山市朗著、角川文庫)
 怪談には怨念とか呪いといった原因がくっついてくる。そして怪我、病気、行方不明などの暴力で終わる。それはそれで怖いけれど何も怪談である必要はない。普通の人間でも恨んで暴力をふるうことはできる。
 私が読みたいのはそれじゃない。純粋に不思議で怖い話が読みたいのだ。新耳袋は良い。原因と暴力がほとんど語られないので純度が高い。
 不思議で怖いことは実際にあって欲しい。魂の永遠を信じて死の不安から逃れられるかもしれない。だけど悲しいことに私はそれを見ることはできないだろう。

淺海智哉さん『奇人変人紳士録 in ROCK』
 参加者のそれぞれの思想で本を読む理由や感想が違ってくるという点がとても興味深かったです。中でも、ホラー小説を選んだ方の感想がとても感慨深かったです。
 初めての参加だったので、不安な点もありましたがとても良い経験となりました。
 来週も参加させていただこうと考えています。本日はありがとうございました。

2021年3月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

HIROMUさん『5G』(岡嶋裕史)
 5G至るまでにどういう経緯でどういう通信システムが発達してきたのかを知ることができた。既存のシステムがどういう仕組みでどういう欠点を持っているかを知ることで5Gに何を求められているかも考えることができる。
 5Gに関する誤った情報もネットでは拡散されていたりするのでそれらに騙されないようにもう少し知識をつけたい。

Takashiさん『物質と記憶』ベルクソン著
 今日は1時間で10頁くらい読めた。読めたというか文字を追った。特に大事そうなところはノートに書き写して眺めてみた。

 概念を事例に限定されないよう普遍化した文章は難しい。しかし、それを読んで理解した後は、その文章以外では表現できない程適切な言葉を使っていることが分かるのだろう。

 そんな感じです。要するに分かりませんでした!

Yukikoさん『百人一首解剖図巻』
 百人一首をちゃんと読んだことがなかったので、この本を読むことで新たな発見があり、おもしろかったです。
 1番から100番までナンバリングしてあるとか時代順であること、藤原定家は身分に関係なくいい歌を選んだこと、恋の歌と秋の歌が好きで6割を占めることなど。
 一人一人の歌を見ると歌人たちの人生観や今を生きる私達の中にも感じる感情を詠んでいて、文化や言葉(同じ日本語ですが)が変わっても感じる心は同じなんだなあと思いました。普遍的なものを感じます。
 これから訪れる1000年後を生きる人達にもこの気持ちを感じて欲しいなあと思います。
 百人一首を今までずっと残し続けてきてくれた各時代の方々に感謝と敬意を表したいです。

2021年3月27日:テーマのある読書会「人の欲」

つやまさん『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』
 印象的だったのは、漫画版のナウシカの連載時の次のようなエピソード。その当時、最初に想定していたより話がずっと長引いていて、本人も予期せぬ方向に話が展開した末に道筋を見失ってしまった状態であった。そんな中で、カレンダー用の絵を描くことになったので、物語のことは特に意識せずに軽い気持ちで様々なシーンを描いた。その後、何とか物語を完結させて改めてそのカレンダーを見返したところ、そこに描いた絵の一枚一枚が物語の結末までの重要なシーンになっていたことに気付いた、というもの。
 描かれるのがどんな物語なのか、意識では認識できていなくても、無意識はすべてを承知しているのだという、芸術家の創作活動の不思議さを感じました。そして無意識レベルから物語を汲み上げてくるのはものすごく精神を消耗しそうな作業だな、と思いました。実際、「描きたい」というよりは「描かなければならない」というような本人の意思を越えた力を感じながら描いていたそうです。だからこそ、多くの人の心に深く長くとどまる作品になりえるのかなと感じました。

2021年3月21日:リベル短編本を使った読書会『遊動する生』

『遊動する生 〜ちょうどいい自由をさがして〜』はこちらです。

つやまさん
【印象に残ったところ】
・縄文時代は一つの統一された国があったのではなく、言語も生活様式も異なる小集団が並存し、交易によるネットワークをつくっていた。集団の規模が大きくなり三内丸山のような大規模な集落が現れはじめると、血縁関係にない多数の人々をうまく統治することが課題になってきたが、祭をおこなったり共同の墓地をつくりモニュメントを建てたりすることで、集団への帰属意識を高めていた。
・縄文人は、亡くなった子供を子宮に見立てた土器に入れて埋葬することで再生を願うなど、人間や動物などが生と死の間を循環するという死生観をもっていた。また、人智を超えた大いなるものに畏敬の念を抱き、普段の生活をしている世界とは別のもう一つの世界である『異界』の存在を身近に感じながら暮らしていたと考えられている。
・大陸からもたらされた稲作を導入するということは、単に食糧を得る方法が変化するだけではなく、威信財や銭によって人々の間に身分が生まれる社会システムや、人間が自然を制御し利用する世界観を受け入れることを意味していた。アイヌ民族などはこれを拒絶して、縄文時代の延長線上にある贈与や分配をベースとした公平で平等な社会システムや、人間は自然の一部であり共生する関係であるという世界観を、その後も独自に維持していた。
・平等と公平を重んじる縄文的な社会は理想郷のようにも思えるが、一方で個人の努力や能力によって得られた成果を独占することが認められないため、自分の能力を活かして目標を達成するという人間が本来持っている喜びや意欲が削がれるという側面も持っている。

【感想】
 縄文時代の社会は身分の差がなく争いもない、平和で理想的な社会というイメージが強かったのですが、集団の規模が大きくなるにつれて、明確ではないにせよ指導者が現れて何らかの統治をしていたということで、やはりいつの時代にあっても人間の本質は変わらないのだな、と理想化しすぎていた見方が改められ少し失望に似た感覚も持ちました。弥生時代にはじまる所有や階級の概念がある文化への変遷についても、稲作の到来で突如として価値観が変わったわけではなく、様々な面で十分に下地が整っていたからこそすんなりと受け入れることができたのかな、と感じました。とはいえ、縄文人のライフスタイルや死生観などには依然として魅力を感じる部分も多く、現代のあまりにも効率やスピードが偏重される社会の価値観から脱出しちょうどいい生き方や個人としての幸福感を見つける上で、そのエッセンスを取り入れることが役に立つのではないかと思いました。

2021年3月20日:読みたい本を気ままに読む読書会

くぜけんすけさん『シンギュラリティは近い』
 どんなに技術が進んでも、自分とは?アイデンティティとは?意識とは?みたいな問の答は出ないのだと感じた。哲学が大きな役割を果たすのは直感的に理解出来る。

Takashiさん『物質と記憶』アンリ・ベルクソン著、杉山直樹訳(講談社学術文庫)
 今日読めたのは1時間で序文の20頁だけ。難しい文章だ。難しいけれど、しっかり読めば分かるかもしれないと思わせる書き方がされている。私が理解できるかどうかは別問題だとしても。

 ベルクソンは序文で、記憶の分析をしていたら物質の存在と本質を論ずるようになったと書いていた。なんとも壮大な話だ。

 本書も認識を扱っている。私は本を読むことで人間をどう認識するか、最終的には自分が自分をどう認識すべきかについて探ってみたい。

2021年3月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『心は孤独な狩人』カーソン・マッカラーズ著、村上春樹訳
 1930年代のアメリカ南部の田舎町の、あるカフェに集う人々を中心にした群像劇。長引く不況や人種差別で先行きが見えない中、誰もが不安や問題を抱えていた。マルクスが唱える理想の社会と大多数の労働者が一握りの資本家に搾取されている現実の落差に絶望しアルコールに溺れる男、人種差別の解消を求めて精力的に活動するもその強硬さゆえに家族から孤立する黒人医師、音楽家の道を夢見ながら日々の暮らしに困窮する現実との間で葛藤する10代の少女、妻に言えないある秘密を抱え夫婦間が冷え込んでいるカフェのマスター。彼らは新たに町に現れた一人の聾唖の青年のもとを訪れ、普段は口にできないそれぞれの孤独な胸のうちを彼にぶつける。彼は常に物腰が穏やかで聡明な表情を浮かべており、他の誰にもわからない彼らの考えや思いのすべてを受け入れ理解してくれるように見えたからである。こうして聾唖の青年は人々の心の安定に欠かせない存在になり、彼を中心とした奇妙な人間関係ができあがっていく。しかし人々の厄介ごとを一方的に引き受けて超然としているかのように見えた彼も、やはり人知れず苦悩と孤独を抱えていた。彼には心の支えにしていた聾唖で知恵遅れの旧友がいたが、今は精神を病んでしまい病院に入院している。見舞いに訪れて再会した旧友に、彼を訪れる人々を前にして話を聞いているときに感じる混乱と孤独について、手話を使い何時間も語りかけ続ける。
 以上が今読んでいる中盤くらいまでのあらすじであるが、たぶんこの先も人々が抱えている問題や孤独が劇的に解決することはないまま終わるのだろうと思う。問題の元凶となっている背景は根が深く、孤独は現代人にとって本質的なものだからである。それを背負わされる人々は他者に手を差しのべる余裕はなく、むしろより弱いものに重荷を押し付けるよりほかない。だからといってこれが絶望を描いた物語なのかというとそうではないように思う。どうにもならない現実や本質的な孤独をごまかすことなく引き受けようとするとき、世界の見え方は一変しそこには希望があるのだと思う。著者はまさにそのような達観した人生観を身につけている人で、この小説でのそれぞれに歪みをもつ登場人物たちへの慈しみ溢れる眼差しや、全編を通して一貫している凛とした文体がそれを体現しているように感じた。

Haruoさん『MODERN LOVE モダンラブ いくつもの出会い、とっておきの恋』
 「既読スルー」という一篇を、今日の時間に読みました。「くっつけるぞ」という手前にいて、いい感じのデートがあり、つい送ってしまった「性的含みのあるテキスト」。返事がない(と言っても昨日の晩に送って、今朝まだ返事がないというだけなのだが)ので、私の中の駄目な部分が彼に見えてしまったのだろう、と無理やりに(?)結論付けたところで「彼からのメッセージがきた」。ここで終わるので、ハッピーなところに行けるのか、バッドな結末になるのかは分からない。「あるよね、ある、ある」と思ってしまう。私が、恋愛においてこのような状況にあった頃は、携帯もメールも無いひと昔前だったんだけど。いや…「恋愛」の範疇ではないけれど、似たようなことが自分にもあったぞ。職場の気になる女性にメールを送った。性的含みの一切ない内容だけど。すぐに返信がなくて(と言っても多分、返信がくるまで一日も空かなかったはず)、「不適切な」メールを送ってしまったかと悩んでしまった。他愛無い世間話レベルのことを送ったのだけど、「仕事と関係ないことをメールでやりとりするような関係をいつ獲得したのか?」と自分を責めてしまった。LOVEの問題は、普遍的、ですね。

うさじさん『生きるということ』
 今日もありがとうございました。
 何のために「もつ」のか?の問いに対して、「安心感と同一性とを見出すため」であると書かれていました。財産という松葉杖を捨ててしまえば、自分自身の本来の力で一人で歩くことができることをたいていの人々は知らないと著者は言っています。
 また、「ある」ことは、能動的になること。周りや他人が良いと言っているから強制的に行動するのではなく、心からやりたいと感じたこと、思ったことに耳を傾け、自身の内的欲求に従って行動していくことから始めていきたいと思いました。

2021年3月13日:テーマのある読書会「人の欲」

つやまさん『大人の友情』河合隼雄
【本の内容】
『男女間に友情は成立するか』の章
・夏目漱石や武者小路実篤が小説に書いているように、固い友情で結ばれていると思える同性の友人同士でも、間に異性との恋愛関係が入ってくることが原因となり、あっさりと関係が破綻してしまうことはよく起こる。これは恋愛感情というものが動物的な本能による種族保存のための絶対命令であり、途方もなく強い力を持つためである。
・男女間の友情は不可能なのか。最初から慎重で抑制力のある態度で接することで男女間の友情を成立させることもできるが、少しのズレも許されないほどの「名人芸」が求められる。別の例として、結婚してから長く良好な関係を続けている夫婦や、関係を解消した後に友人として付き合っている男女の間では、友情が関係性を支えるものとして働いている。現代的な若い男女の淡白な付き合いでは、一見友情が成立しているように見えるが、そもそも感情の交流があまりなかったりすることも多い。
・恋愛関係にならないように注意しても(あるいは逆に発展させようとしても)、当人たちのコントロールが及ばない「不思議なこと」が起こって意図した結果にならないことも多々ある。これは、異性間の友情には相当な心の深みが関係しているためであると思われ、そういう意味での「深い関係」というものも存在する。

【感想】
 河合先生に男女の友情は難しいと説かれると、これまで自分で感じていた以上に納得してしまうものがありました。人間の中にある理性ではコントロールしきれない本能や無意識の力を最も身近に感じられるのが恋愛なのだと思います。それは厄介で恐ろしいのと同時に素晴らしいことなのかもしれないと思いました。

うさじさん『生きるということ』
今日はありがとうございました。
<まなんだことや思ったこと>
・人はなぜ所有するのか?の問いがでましたが、確かになぜでしょうか?
 例えば「お金」は持っていないと不安になることがあります。
 私にとって、「お金」とは、「健康」「最低限の生活」「人との付き合い」などなど
 「生きるために必要な何か」と交換するために必要なものだと感じています。
 安心感を得たくて、所有しようとしているのではないかと思いました。
 もう少し本と向き合って考えていきたいです。  
・冷蔵庫の中身は、「もつ」より「ある」ことに着目した方が、より良い環境に保てる。
・無理やりポジティブシンキングになろうとしてネガティブを抑圧すると、感情が分からなくなってしまう。
・他者の評価ではなく、その人にとっての人生の意味(その人自身の評価)をみつけることで、生き延びることができる。
・承認欲求が高まりすぎると、承認を貰えないことへの不安につながってしまう。
・利子を一定に保たないと、モラルが問われる。
・「男女間の友情は成立するのか?」時代にもよるのではないか。河合隼雄さんは、成立しないだろう派。
 現代なら、南海キャンディーズの山ちゃんと静ちゃんなんかは友情が成立しているように思える。

2021年3月7日:テーマのある読書会「人の欲」

つやまさん『大人の友情』河合隼雄
【本の内容(前半の一部)】
・「友情」は友達同士に限らず、先輩後輩や夫婦などの間にもはたらいている感情であり、この本ではそのような多種多様な関係性にみられる友情を扱っている。
・日本語には「虫が好かない」「馬が合う」いう表現があるが、これらは自分自身ではないものが主語にされており、友情が現実的な利害や当人のコントロールを越えてはたらく力であることを物語っている。ここで、虫や馬を無意識と捉えてみると、友情を考える上で面白いのではないか。馬が合うことは大事だが、時には自分や相手がどんな馬に乗っているのかを検証しあうことが、長続きする友情には必要である。
・友人関係が深まるにつれて相手との精神的な一心同体を求めるようになるが、同時に友情が破綻する危険性も高まっていく。これは関係性が深まることが、相手の影の部分を知ることを意味することが関係している。この危機を乗り越えるために必要となるのが「やさしさ」であり、それは究極的には自分も相手もやがて死ぬという事実を見つめながら付き合うということである。

【感想】
 心理学の専門家である河合先生の考え方に触れて、身近な人間関係もとても奥が深く学ぶところが多いと捉え直すことができました。よい友情には、相手に親身に寄り添おうという姿勢が大切なのはももちろんですが、同時に少し離れたところから眺めるような視点も必要だと感じました。承認欲求に振り回されすぎずに良い人間関係を築いていきたいと改めて思いました。

うさじさん『生きるということ』
今日もありがとうございました。

欲とはなんだろう?という問いに対して
・内的欲求に耳をかたむけること
・自分という越えた範囲で生じるエネルギー
・関心をもってかかわること
・創造すること
などなど様々な視点から答えがでたことが面白かったです。

まなぶことに対しては、
何を学んだのか、どれだけ学んだのかよりも、

興味があることからはじめて、
どう感じたのか?
その先に、考え方や見方、行動がどう変わっていくのか?

まなぶことで生じる変化を大切にしていきたいと思いました。

Takashiさん『運命が見える女たち』
 占い師の取材ドキュメンタリーである。本物と呼ばれる占い師は、会ったこともない著者のことと、その人間関係をどんどん当てていく。しかし、占いによって著者の苦しみは次第に大きくなる。なぜか。
 占い師は未来と人の心を当てる。悪いことを回避し良いことは利用したい、そんな人の欲望を刺激する。人は人から否定されたくないし良く思われたいのである。
 他人が自分を映す鏡だとすれば、占いによる未来の変更は、自分を変えずに鏡だけを歪める作業とも言えるだろう。苦しくなるのも無理はない。
 なんだか否定的な感じになってしまったけれど、すべてはさじ加減なのだろう。自分も朝のTVの占いは見ちゃうし、運勢MAXだとテンションも上がるので。

はっちゃんさん『孤独と不安のレッスン』
 歳を取って経験値を積んで、人は悩むという行為をしなくなるものなのか、将来は仏のような心境になっていくものかとまたそうなりたいと思っていましたが、「歳を取る程に不安になっていくものです」という作者の答えにそれはそうだなと思ったり、いつの年代になっても悩みのない人生というのは無くならないものなんだあと思いました。

 皆さんが読んだ本の「欲」の話は大変興味深く、生きる=欲 ではないかと思いました。
 今の時代はコロナ渦で皆が少しづつ自分の欲(移動の自由、集会の自由=飲み会!)などを我慢している状態で、そこにSDGsという目標が加わり、欲望は我慢するものという意識が自分の中に出来てしまった事に気づきました。
 生きるという行為にはエンジン(欲望)というものがついてまわるものような気がします。今は欲望を抑えて生活しなければなりませんが、コロナが解決して再び移動の自由が出来たらどこに行きたいと考えるのも、生きていく上での目標、指標となりそうです。

Yuさん『Think clearly』
 他の参加者の本の中にあった、「もつ(学んだことを固持する)」と「ある(関心を持つことで反応し、学び変化する)」との違いはとても興味深かったです。
 というのも、「もちたい」という欲望が、自分の中に確かにあるなと思ったからです。例えば、本当はとても複雑なはずの社会問題/時事問題/ニュース等について、自分なりに少し調べて直ぐに答えが分かった気になり、その後どんな情報に触れても「その時の自分の答え」を固持してしまう/「自分の答え」以外の視点からの情報をシャットダウンしてしまう、ような経験は身に覚えがあります。
 複雑な世の中の仕組みに対して、手軽に分かった気になりたい/回答を出した気になりたい、という「もちたい」欲望から逃れることは難しいなと感じました。

てらもっちさん『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか。』
第8章 部族と試練――進化心理学と世界の平和

 部族の境目、文化や言語、宗教の境目、非交流が感染病のストッパーになっており、赤道上の高温多湿地帯においては、言語や宗教が多岐にわたるという論拠。「銃・病原菌・鉄」以降、病原菌を理由にした進化や文化の説明をする本が増えている気がするが、今回のコロナの影響を見ると、それも頷ける。だが、本当にそれだけなのか。という思いもある。

第9章 進化はなぜ人間に幸せをもたらしたのか

「幸福とは、遺伝子に最大の利益を与える行動をとるよう、人間を動機付けするために進化が使うツールだ。もし人間が永遠の幸せを手にすることができたら、進化は最も便利なツールの一つを失うことになる。」

 幸福というもの、欲と言うもの、これも生命がもつOSの上にプログラミングされた、構築されたものとしたら。。。欲の奥に潜むもの。蠢くもの。
進化を擬人化した表現に、OSをプログラミングした何者かの存在を感じる。もちろん、その存在を信じる宗教や全てを無に帰する死の世界に行くのではなく、その存在を疑い続け、世界を見ながら問い続けるか弱く生きる人間の立場でいたい。
 ただ、向こう側を見たい。その欲は残る。

2021年3月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

ねねさん『Black Beauty』
 1877年に書かれたイギリスの児童文学です。主人公の仔馬の目を通して、人間の動物に対する扱いについて書かれている、動物愛護精神に溢れている本です。これを読むと、19世紀からすでに動物の尊厳や権利に深い配慮がなされており、現在でも欧米の方が動物愛護が進んでいるのも納得がいくなと思いました。
 物語のそこここに、人間の思いやりのない動物への扱いが、仔馬の目を通して描かれていて、読者が動物の立場に立って考えられるようになっています。
 残酷な狩猟というスポーツ、見栄えを良くするためだけに尻尾や耳を切り落とされる子犬たち。馬の気持ちや体調や体力を無視した乱暴な調教や重労働。。。人間が特になんとも思わずにやってしまっていたことに、仔馬の目から見ることによって、いろいろな気づきを与えてくれます。
 仔馬の主人は「神は人間に合理性という知性を与えた。それによって人間は自分で物事を発見する。一方神は動物には思考によらない直観を与えた。もっと瞬時の完璧なやり方だ。これにより、動物たちが人間の命を救ってくれることもよくある。なのに、人間は動物の価値を半分も評価していないし、友好的にも接していない。」と語り、仔馬は(もし人間がそうしてくれたら、もっと人間と仲良くなれるのになあ)と思う。
 人間の方が偉いわけでも能力が高いわけでもなく、命はみんな平等である。
 人間に飼われている動物たちに対して、主人は思いやりと愛情を持って接しなくてはならない。そうしてこそ人と動物は信頼と愛情で繋がった素晴らしいパートナーになれるのだと、作者は訴えている。
 この本を読んで、家で飼っている犬たちや鳥たちがますます大切な家族だと思えました。

Takashiさん『野火』大岡昇平著
 面白い本は、描写が確かであり多層的だ。ちょっと読んで放置していた「野火」は、楽しい話ではないが強烈に面白かった。放置は迂闊だった。リベル読書会さん有難う。今日は途中から一気読みになってしまったが、もう一度ゆっくりと読んでみたい。

てらもっち七等兵さん『狂気とバブル』
 何を狂気と呼ぶか。群衆が狂気に至ること。それは人類のなかに狂気と呼ばれる要素を内包していることを示す。
 心理学としては、執着と呼ばれる、この要素は、視野を狭め、一つのロジックを信じる。
 そして、それが社会の底流にある時、経済としてはバブルという現象に現れる。

 少なくとも、我々は富、すなわち貯蔵に対し不合理な執着をもつ種族である。

 そんな感想を持った歴史的なバブルと狂気の実例が紹介された良本です。

2021年2月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

ねねさん『A Thousand Splendid Suns』
 次々と戦争が起こり政府が変わっていくアフガニスタンで生きる二人の女性を描いている物語だった。タリバンに支配されて、酷い差別に苦しむ女性たち。家を逃げたという理由で刑務所に入れられ、夫から酷い暴行を受け続け、正当な裁判も受けられずに裁かれる女性たち。
 この物語を読んで、人間というのは、社会の中でそのシステムに支配されて生きざるを得ないのだと思った。そのシステムの中で、個人の力はあまりにも小さい。システムの歪みは弱い者に向かって行きがちで、その歪みには多くの者が気づかないまま生きている。
 そういえば、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にも同じテーマが書かれていた。「世界の終わり」は完全な永遠の世界だが、実はその完全性は影や獣たちに自我の重さという社会の歪みを押しつけて成立する完全性だった。弱い立場にある影や獣たちは黙って社会の歪みを受け止めてただ静かに死んでいく。
 この矛盾に気づいた主人公は「物事を考えるときは、弱い者の立場に立って考えるんだ!」と叫ぶ。
 アフガニスタン、世界の終わり、そして日本。歪みはどこのシステムにもあると思う。弱い者の立場に立って考える。それが歪みの存在に気づき、より良いシステムを作るコツだと思う。

けいこさん『よろこびの歌』宮下奈都
 女子校を舞台に、挫折や葛藤、嫉妬など、複雑な思いを抱える生徒たちが合唱を通して少しずつ交流を深めていく物語。生徒ひとりずつを順番に主人公にした連作短編で、テンポ良く読み進められた。頑なだった心がそんなに簡単にほどけたりするものだろうか、と思う箇所もある一方で、ほんの些細な出来事でも気持ちはすぐ変化するし、それは若さの力もあるかもしれないとも思った。明るくさわやかな読後感で、映像化にも向いているのではないか。

くぼたさん『詩のこころを読む』茨木のり子
●本の紹介
 詩人・茨木のり子が、心を豊かにし続けている詩の中から忘れがたい数々を選び出し、その魅力を語る。

●感想
 まず、長年詩を書き続けてきた著者が、その豊富な語彙力と言葉への溢れる愛情を以って書いた文章から、「この詩とっても素敵でしょ」という明るい感情が飛び出してきて、読んでいて心が嬉しくなった。
 次に、著者が選んだ詩の中で谷川俊太郎の『かなしみ』がとても心に響いた。
「あの青い空の波の音が聞えるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまつたらしい/透明な過去の駅で/遺失物係の前に立つたら/僕は余計に悲しくなつてしまつた」
 私たちは成長の過程でいろいろなことを忘れて、何を忘れたのかすら忘れてしまう。この「透明な過去の駅」という表現が絶妙で、どこにあるか分からないという「透明さ」と、著者の「すべてが曖昧で、それなのに、へんに澄んだ世界」という解説がなるほどなぁ、と思った。一方で、様々な芸術作品に触れると忘れたものを思い出すことがよくある。そういった体験を大切にしていきたい。

Takashiさん『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
 カントは「人間は理性が斥けることもできず、答えることもできない問題に悩まされる運命にある」という。その問題の一つが「不死」であり、この小説のテーマだ。小説の27章のサブタイトルは「百科事典棒、不死、ペーパー・クリップ」。ここは全体の構造を解説する非常に重要な章となっている。

 作中の登場人物の一人である博士は、思念の中に入った人間は不死でありそれは百科事典棒に似ていると主人公に説明する。楊枝に一か所だけ刻みを入れ、楊枝の長さに対して刻みの位置を小数点以下無限に続く数値で表わすことができれば、百科事典がたった一つの刻みで出来上がる。そしてその刻みは無限の情報を持ち、百科事典どころかこの世界すべてを表すことも可能である。それが思念に入ることであり、不死なのだと。

 村上春樹は恐るべき作家だ。カントが純粋理性批判の中で述べている時間と空間、認識、理性、不死を鮮やかに物語に落とし込んでいる。村上春樹はオカルトとファンタジーばかりだから底が浅いのかもしれないと思った時期もあったけれど、浅いのは私の方だ。危ない、危ない。

2021年2月27日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

ゆず茶さん『生の短さについて』
 読んでみて一番印象に残ったことは時間を自分のために使うこと、です。
 他人のことを優先するあまり自分のことを蔑ろにする場面も多々あるため自身の内面を振り返ってみて自分の好きなことをする時間も計画的に組み込んでいこうと感じました。

うさじさん『数学する身体』
 今日もありがとうございました。

今日まなんだこと
・目的をもつと、目的をもたないものを排除する
・もう一人の自分で自分をみつめる
・自分のために時間を使おう
・植民地支配は宗教などの思想からじわじわと押し寄せる
・ストレスを記録したり、思考・栄養・受容からストレスを解消していく
・人が意識できる数は3つまで
 →情報化社会では、自身の認知レベルを越えた範囲で求められることも多くなったと感じています。「わたしにできることは3つまで」と割り切って、目の前のことをやっていくのも良いのかなーと思いました。

2021年2月21日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

うさじさん『学びとは何か』
 先日もありがとうございました。
 相手の価値観を認められないときの分身の術(善悪判断しない自分と自分の価値観を分ける)のお話の中で、「なるほど」という言葉は便利(失礼でもある!?)な使い方という意見が出てきましたが、具体的にどういう言葉にするのかを考えることで、実用的になるし面白いなーと思いました。「たしかにAの考えもあるけど、わたしはBと思う」という言い方もできたらいいなと思いました。

2021年2月20日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著
 主催者さんのご紹介された本の感想で、すみません。
 私もこの本が好きです。特に「第9章 動的平衡とは何か」の記述に、私の生命観は影響を受けました。
 ここで筆者は生命を「動的平衡にある流れである」と再定義しています。動的平衡とは物質とエネルギーの出入りする、言わば「状態」です。
 私はこの記述から、生命を川の流れに生じた渦(うず)のようなものだと考えるようになりました。渦は上流から流れてくるおそろしく豊かな水(物質)と流れ(エネルギー)によって生じます。渦を形成する水は常に入れ替わり、そして渦は絶えず発生と消滅を繰り返し、渦は渦に影響を与え合う。
 ショーペンハウエルの「意志」にも通じるこの生命観が、私は好きです。

はっちゃんさん『めんどくさい人の取扱説明書』
 今日は様々なジャンル、異なる世代と価値観に触れる楽しい読書会でした。

Yuさん『新宿駅最後の小さなお店ベルク』
 今日読んだのは、新宿駅東口のお店「ベルク」についての本です。ベルクさんは本当に雑多な雰囲気のお店で、ランチを食べている人の横で、昼からビールを飲んでいる人がいたりします。一概にカフェや居酒屋など一言でくくれません。メニューも豊富で、コーヒー、ビール、ワイン、日本酒、モーニング、ホットドッグ、おつまみと、多岐にわたります。この個性的と言えるお店が、「うまい、やすい、はやい」という、飲食店としては一見没個性的なところからスタートしたと書かれてあったのが興味深かったです。これだけ多いメニューを維持するのは大変だと思いますし、コーヒーや食材にやたらとこだわっていて、一見非効率に見えます。しかしセルフブランディングなどではなく、ノリとか成り行きとか、現代とは割と反対の力に基づいていて、しかしそれを支えるだけのエネルギーやこだわりがあるからこそ、新宿で支持されてこれほど存在感のあるお店になったんだろうなと感じました。今はコロナもありますが、落ち着いたらまた足を運んでみたいと改めて思います。

ゆず茶さん『自省録』
 集中して読書ができる雰囲気で参加がしやすいと感じました。

2021年2月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『「普通がいい」という病』 泉谷閑示
【本の内容】
今回読んだのは、第4章後半~第5章あたり。

・人間と他の動物の違いは、動物は「心=身体」がすべてであるのに対して、人間は「心=身体」に加えて「頭」があり、両者の間に葛藤があるということ。「頭」は過去の経験に基づいて合理的な判断をするのに役立つが、現代人は「頭」の方に偏って物事を判断をする傾向が強くなり、本来の主体である「心=身体」に対して過剰なコントロールをしてしまいがちである。これが、生きる意味を感じられないという空虚さや、うつ病などのメンタルの不調を引き起こす原因となっている。「頭」が判断することより「心=身体」が感じることを尊重することがこれらの問題の解決につながる。
・自己実現などでよく言われる「本当の自分」というものは、足りないものを付け足していく塑造的なイメージで考えられがちであるが、本当は既に内在している核を削り出していく彫刻的なものである。
・人間の感情には「頭」由来の浅い感情と、「心」由来の深い感情の2種類がある。深い感情は「心」(無意識)にある感情の井戸の中に埋まっており、「頭」(意識)に掘り出されることで感じることができる。井戸に埋まっている感情は「怒」「哀」「喜」「楽」の順であり、この順にしか掘り出すことができない。したがって、最初にネガティブな感情である「怒」「哀」が出てこないと、ポジティブな感情の「喜」「楽」も感じられないが、これらのネガティブな感情はよくないものとして抑圧されがちである。溜め込まれたネガティブ感情は厄介であるが、日記に書き出すなどの手段を用いてなるべくあらゆる感情を差別せずに吐き出すように心がけることが大切である。
・深い感情が「頭」によって強く抑圧され続けると、感情が実態を伴わなくなる離人症の症状が現れるようになる。人間が生き生きと存在するためには、深い感情が自由に動ける必要がある。
・浅い感情は「頭」の中の「偽の心」で生み出される。衝動的でヒステリックな性質をもつ。深い感情は現在に対するものなのに対し、浅い感情は過去への後悔や未来への絶望に対するもの、または「頭」で考えたポリシーに反するときに出てくるものであるという違いがある。
・深い感情を大切にし、浅い感情には振り回されないようにすることが大切である。これは「心」を信じて生きるということであり、自然や運命といった深い流れを信じることでもある。
・ニーチェは人間の意識の成長を、「駱駝」→「獅子」→「小児」の3態で表した。「駱駝」は主体性がなく支配者である「龍」に従順に従う存在、「獅子」は「龍」に反逆し主体性を獲得した存在、「小児」は獲得した自我がなくなって無心に創造的な遊びに没頭する存在で、これが人間の究極の姿であるとした。
・「怒り」が良質になると、個人的な誰かというよりは、より大きな社会の矛盾などに向かうようになり、芸術や宗教などを生み出すもととなり、真の知性や生きる指針を与えてくれる「愛の怒り」となっていく。怒りに限らず、深い感情は「愛」の表れであり、浅い感情は「欲望」の表れである。

【読書の感想】
 感情には「心」由来の深い感情だけではなく、「頭」由来の浅い感情もあるというのは初めて知りました。普段の生活で感じている感情を振り返ると、浅い感情に分類されるものも結構あるように思います。浅い感情と深い感情を区別できるようになること、深い感情をきちんと感じられるようになること、「頭」より「心」を信じて従うこと。このあたりが、本当の意味で充実した幸せな人生を送るための秘訣かなと感じました。

Yuさん『Hello!! Work』
 紹介しておられた「普通がいい」という病という本で、感情には浅い感情と深い感情があり、浅い感情は欲望に基づいており、深い感情は愛に基づいている、という辺りのお話が興味深かったです。深い感情というのは何となく分かるのですが、浅い感情というのがよく分からず、自分のなかで区別するのが難しいです。時間ができたら読んでみたいと思います。

2021年2月7日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

つやまさん『セルフ・コンパッション 最良の自分であり続ける方法』有光 興記
【本の内容】
・コンパッションとは、仏教の「慈悲喜捨」(あらゆる人の幸せを願い、苦しみがなくなることを願い、幸せを喜び、偏りのない平静な心でいること。)であり、それを自分自身に向けるのがセルフ・コンパッションである。
・仏教がベースになっているのがマインドフルネスとの共通点であるが、マインドフルネスがあらゆる感覚を判断せずに受け入れるようにするのに対して、セルフ・コンパッションは自分の思考や感情を優しく受け入れるというのが異なる。両者は対立するものではなく、相補的な関係にある。
・セルフ・コンパッションでは困難に直面したとき、(1)自己批判するのではなく、自分自身の肯定的・否定的な側面の両方を受け入れ、(2)その苦しみが自分だけのものではなく、人類に共通していることを認識することで他者とのつながりを感じ、(3)感情に過剰に同一化するのではなく、ありのままに受け入れるマインドフルな状態でいられることを目指す。
・セルフ・コンパッションを高めることで得られる効用は、(1)幸福感が高まり、(2)ストレスが低減され、(3)レジリエンス(精神的ダメージからの回復力)が高まる。
・セルフ・コンパッションを高める方法のひとつに「慈悲の瞑想」がある。静かで落ち着いた環境で、まず「私」の幸せを願うことからはじめ、「恩人」「好きな人」「中立な人」「嫌いな人」「生きとし生けるもの」と対象を広げていく。自分にも他者にも等しく関心が向くようになり、ストレスに耐性がついて落ち着いて穏やかでいれるようになる。

【読書の感想】
 セルフ・コンパッションは目新しい考え方ではなくむしろ当たり前のことのようにも感じましたが、慌ただしい日々の中で何が大切なのか見失ってしまわないよう、日頃から意識しておきたいことだと思いました。また他の参加者の方が、マインドフルネスとセルフ・コンパッションを、それぞれ如来と菩薩にたとえていたのが、とても分かりやすく腑に落ちました。

2021年2月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

はっちゃんさん『使える哲学 ー暮らしに役立つ基礎知識』
 読書会開催、ありがとうございました。
 哲学とは縁遠い人生でしたが、皆さんがいつも難しい本を読んでいらっしゃるので、私も触発され選んだ本が「使える哲学」でした。(もっと難解なものを読みたかったのですが、読んでも頭に残らない気がして簡単?な本になりました)いつの時代もその時代を代表する哲学者が現れ、その時代または人生で遭遇する困難を自分で考察した思想で乗り越えていこうとするその姿勢に感動しました。
 哲学という舞台で観衆として参加して、時には発言して、また違う舞台を見に行ってみたいな気楽な感じで哲学と付き合えるといいなと思いました。

2021年1月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

けいこさん『一緒に絶望いたしましょうか』狗飼恭子
 東京の女性と京都の男性、二人が主人公で、それぞれの恋愛が交互に描かれている。最初から真ん中くらいまでは、結婚に迷いを感じていたり片思いだったりする様子が綴られているが、後半になるにつれて、それにとどまらない重い話が明かされていく。とはいえ、ここで描かれる恋愛やコミュニケーションに伴う心の動きは誰にとっても多少は覚えがあるだろう。わたしも共感したり、ハッとさせられたりしながら読んだ。タイトルにつながる「一緒に絶望できるのが夫婦」という言葉など、心に残る文章もいくつかあった。女性が韓国料理を出すバーでアルバイトしていることもあって食べ物の描写が多く、実在する京都の喫茶店の名前がたくさん出てきたり、細かい小道具も楽しむことができた。

くぼたさん『芸術論覚え書』中原中也
●本の紹介
 詩人・中原中也がノートに記した箇条書きの芸術論。芸術とは何か、芸術家とは何をする人なのか、などを論じている。
※原文はこちら↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/50239_64377.html

●感想
 中也は「芸術」と「生活」について以下のような説明をしている。例えば大人がペンを見て、「これはペンだ。メモを書くためにペンで文字を書こう」と物事を既存の概念で捉えることを「生活」という。一方、言葉を覚えていない赤ちゃんがペンを見て、「これは何だろう。面白そう。かじってみよう。硬い。机を叩いてみよう。楽しい…」と物事を既存の概念にとらわれず、興味を持って純粋に消費する営みを「芸術」という。そして芸術家は新しい概念を造り出す人だという。
 また中也はこうも指摘する。何事も最初にプラン(精神的作業)があり、次に実施(肉体的作業)がある。時代としてみてもプランの時代と実施の時代がある。(芸術論が書かれた)今はどちらかというと実施の時代で、芸術が発展しにくい。
 令和の現在でも、仕事の場面ではプランよりも実施が無条件反射的に優先されていると実感している。まるで立ち止まることが許されないかのように。既存の概念にとらわれず、自分が本当は何をやりたいのかプランを熟したり、興味の赴くままに何かを追求する時間をもっと増やしたいと思った。

2021年1月30日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

匿名希望『愛するということ』
 今回読んだ内容では、実存に対する答えとして、「祝祭的興奮状態」「集団への同調」「創造的活動」だけでは不十分だ。人間どうしの一体化すなわち愛することが完全な答えだ。と言っていました。
 創造的活動に生きがいを見出すことも、作品を通じて人とつながることができたり、その人にとっての意味があることであれば、「愛」につながることなのではないかとも思いました。

つやまさん『ムーミン谷の冬』トーベ・ヤンソン 作・絵、山室静 訳
【あらすじ】
 冬眠中に一人だけ目覚めてしまったムーミン。家族も仲間もいない中、何もかもが見慣れない冬の世界へ仕方なく飛び出す。しかし、出会うのは無口でよそよそしい冬の生き物たちや、調子外れに明るいヘムレンなど、相容れない者ばかり。夏の世界を恋しく思い孤独を募らせるムーミンだが、スナフキン的存在のトゥーティッキの助けを借りながら、次第に冬の世界のあり方を受け入れていきそこでの生き方を学んでいく。暖かな春の訪れとともに、ムーミンの中には冬を越せたという静かな自信が芽生えていた。

【解説より】
 ムーミンのこの生き方、つまり<思いやりを深くして、自分らしく生きる>こととは、<自他ともに愛す>ことであり、それは<生命への限りない愛しみ>を知るものにだけできることです。ここには、自分が自分らしくなっていく喜びがあり、他の存在が生きていることへの感動があります。
 人類には、理想世界など永遠に築けないのかもしれません。しかし、ヤンソンさんは、半生をかけてこのムーミンの人生観と世界観を提示し続けています。
<だれもがすぐに、感激ある生活を獲得できる>と叫び続けているかのように。

【感想】
 ムーミンの物語を読むといつも、作者トーベ・ヤンソンの人間に対する洞察の鋭さと人生に対する知恵の深さを感じます。今回は、物語を通してのムーミンの冬の生き物たちに対する姿勢の変化が興味深かったです。
 最初は、自分の寂しい思いを率直に示して親しくなろうとしますが、全く理解されず心を開いてもらえないことで、苛立ちをぶつけてしまいます。やがて、相手には自分とは異なる価値観があることを知り、それを理解することで歩み寄ろうと努めますが、それも拒絶されてしまいます。最後には、どう頑張ってもわかり合えない存在がいるということを認め、相手と適度な距離を保って共存するという道を選びます。
 このような選択は、何かと白黒つけたがる人間にとってなかなか難しいことだと思いますが、真に誰もが自由で生きやすい社会を作ろうと願うならとても大切なことだと思います。ムーミンの生き方から学べることはとてもたくさんあると思いました。

Akiさん『Humans』
 普段、自分では選ばないような本をたくさん紹介していただき、興味をそそられました。タイトルだけではなかなか見えない深いメッセージが隠れているようで、続きを知りたくなってきました。読書リストに加えてみます。
紹介されたタイトルはそれぞれ違いますが、人間としてのあり方や潜在的に持っている願望などについて考えさせられるなどの共通点も見えました。これが、みんなで本を持ち寄ることの良さの一つですね。

じゃむぱんさん『ぜんぶ、すれてば』
 いいライフスタイルについて考える読書会、ということで、以前から気になっていた本を持って、この読書会のテーマと合うかなと思い、参加させていただきました。元寺田倉庫のCEO、伝説の経営者と言われた著者が、経営ではなく、「ひとりの人間としてどう生きているか」について「聞き語り」のかたちでまとめられたものです。本のタイトルさながら、読みながら笑いがとまらず、自分がどんどん身軽になっていくのを感じました。また、破格の経営者といわれた著者が、毎日1輪の花を買い部屋に飾っていたというエピソードがとりわけ印象的でした。
 他の方の本も興味深く、私も読んでみようと早速検索してしまいました。

2021年1月24日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

やまもとさん『笑いの哲学』
 本書は、”笑い”を”平穏な日常の破裂”と定義しています。確かに、物事が「みんなが想定している通りに進んだ時」には笑いは起きませんが、物事が「想定している通りに進まなかった時」に笑いが生じることが多いような気がします。
 私は、できるだけ沢山”笑い”があるライフスタイルを送りたいと考えています。しかし、昨今は「こんな時に笑うなんて不謹慎だ」「~の気持ちを考えると笑うべきではない」というような世間の空気感が強い気がしており、なんだか無邪気に笑いにくい時代になったな~と感じることもたまにあります(もちろん、笑いの対象となった人が強く傷つくような笑いは、避けるべきだと思います)。こうした時代背景には、「想定から逸脱することを良しとしない/失敗だと考える」人が増えているのかも知れません。想定からの逸脱も楽しめるような、柔軟なライフスタイルを送っていきたいなと、本書を読んで考えました。

うさじさん『愛するということ』
 今日もありがとうございました。
 色々な本を紹介をお聞きして、とても勉強になりました。

 「愛」するという主体性は、勇気も必要で、精神を強くする必要があるのだと感じました。また、ささやかであっても「いきがい」をもつことも、主体性の一部のような気がしました。
 また、時間の比較社会学という本の紹介の中で、古代の人々がもっていた円・反復という時間の概念も面白かったです。時間については直線よりも円になった方が、リズムがありますし、安定している感じが良いなと思いました。
 関係ないかもしれませんが、無印良品の、壁にかけるCDプレイヤーのことを思い出しました。

つやまさん『KIGAI 日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』(茂木健一郎
【本の内容】
 脳科学者の茂木健一郎が、日本の様々な文化を通して、日本人にとって、自分にとっての「生きがい」について考察した本。原著は英語で書かれており、日本人にとっては馴染み深い「生きがい」を外からの視点で捉えなおそうと試みられている。

まえがきより

「生きがい」の五本柱
1 小さく始めること
2 自分からの解放
3 調和と持続可能性
4 小さな喜び
5 「今ここ」にいること

第1章 「生きがい」とは何か

・老舗寿司屋「すきやばし次郎」が世界で最も素晴らしい寿司屋の一つになるという成功を成し遂げられたのは、創業者で料理人の小野二郎が「生きがい」という精神性を磨いていったから。
・生きがいは些細な物事に宿る。朝の一杯のコーヒー、食材の仕込み、アメリカ大統領からの賛辞は、対等の関係にある。あらゆる種類の豊かさを認識できる人だけが、「生きがい」を理解し楽しむことができる。
・最も重要なのは、「生きがい」は成功を収めていなくても使うことができるということ。人生の私的な喜びを追求することは、社会的な報酬に結び付くこともあるかもしれないが、誰もその価値を理解しないこともある、しかしそれでOK。
・具体的に何か達成して自分自身を証明することをしなくても、「生きがい」を持つことはできる。しかし、「生きがい」が根付いた国においてさえそれは簡単なことではなく、時折自分自身に言い聞かせる必要がある。
・「生きがい」という言葉が存在し日常的に使われているということは、日本の文化に深く根付いている概念であるということを意味している。「生きがい」を感じることで長生き、健康、幸せが得られ、副産物として創造的になり、成功できるかもしれない。

【感想】
 この手の本は抽象的な話が先行しがちで頭で理解できても実感がわかないと感じることも多かったりしますが、本書では日本人にとって身近な例を通して日常生活と地続きなこととして語られているため、「生きがい」とはどのようなものでどうすれば得られるのかがわかりやすいと感じました。今回読んだ中では、「生きがい」は些細な物事にも宿るもので、それを主観的に認識できる人だけが得られるものだと書かれているのが印象的でした。

2021年1月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『ゴリラの森、言葉の海』 山極寿一 小川洋子
 野生のゴリラの群れと生活を共にし言葉を介さないコミュニケーションで意志疎通をはかってきた霊長類学者の山極さんと、人々の「語られなかった物語」を言葉によって表現しつづけてきた作家の小川さんの対談集。今回は「Ⅰ ゴリラとヒトが分かち合う物語」を読みました。以下、印象に残ったところです。

・ゴリラは人間の鏡である。ゴリラから現在の人間の姿や人間の目指すべき姿を学ぶことができる。
・ゴリラは高度なコミュニケーション能力をもつ。例えば別の小動物とお互いが楽しめるルールを作って遊ぶことができたり、皆で食事をする際などに歌をうたって感情を共有することができる。
・言葉は比較的最近発達したコミュニケーション手段なのでまだ信用できないところがある。対面して相手の目を覗きんだり、体を触れあわせたりして意思を伝えるという原始的な手段の方が説得力がある。
・人間は言葉によって本当は異なるものを同じものとして扱う力を手に入れ、文明を発達させてきたが、それにより切り捨てられた真実もある。言葉によらない深い共感を物語として言葉で書き記すことが小説家の使命である。

大場祐紀子さん『在り方』
 どう生きるかよりどう在りたいかと言う言葉にこれかの時代を生きるヒントがあるような気がします。今回は色々な世代、ジャンルが違う本の話が聞けて楽しかったです。次回は未来の事を考えるがのが仕事?のSF作家さんの本を読んで、来たるべき未来について考えるのも楽しいかもしれません。それとも歴史は繰り返されるという事で歴史時代小説も読むのも楽しいかも?と思ったりもしています。

Haruoさん『孔子』
 
紀元前の中国が舞台で、国と国が争って、でも自分たちは自分たちの生活を保ってもいて…と記述があって、ざっくりと様子は分かるけど、何を食べ何を着て、どんな家に住んでいたか?のような詳細は分からない。集落についての本を紹介されていた方がいらっしゃいましたね?ああいう水に浮かんだ住居みたいなものに住んでいる人もいたのかな?と不思議なリンクがありました。今日自分が暮らしていた街から次の日には住民が半分いなくなって、またその次の日別の国の軍隊が入ってきて…のような乱世の様子が、コロナ禍に見舞われている私たちには、意外に感覚的に理解しやすくなっているのかもしれない、などと思いました。導入の部分しか読んでいないので、孔子はまだ出てきていません。

くぼたさん『集落の教え100』
●本の紹介
 建築家である著者のライフワーク「世界の集落調査」を通して集積した、空間デザインに関する教え100のフレーズ・論考・集落の写真から構成される本。

●感想
 印象に残ったフレーズは「集落は物語である。集落の虚構性が、現実の生活を支える」だ。集落には様々な物語があり、それが集落における規約となっている。物語の事例として、水を大切にするために「聖人の杖が水を湧き出させた」という類の話は世界各地にあり、このような話を共有することで水を使用する秩序が保たれる。
 一方、今の社会は不完全な物語を突き進み、お金儲けのために資源を使いすぎて持続可能ではない社会になっている気がする。生活を保つためにはどんな新しい物語を創作したら良いか、どうしたら共有できるのか、という疑問が湧いたので、ヒントを得るために新しい本を読もうと思う。

2021年1月16日:『モモ』から考える、時間を奪われるとはどういうことだろうか。

 ミヒャエル・エンデ著の『モモ』を題材にした読書会でした。

つやまさん
 時間を奪われるとはどういうことか、また時間の尊い使い方とはどういうものかについて考えたり話したりしたくて今回参加させていただきました。
 読み返してみて印象的だったのは、他の参加者のみなさんも多く指摘されていましたが、時間が心や生きることそのものであり、心が時間を感じていないときはその時間はないのと同じだと書かれていたことです。現代人は数値として明確に表せる効率性という指標で時間も評価しがちですが、本来の時間の価値というのはもっと個人的で主観的なところにあるはずで、私たちはそういうものに対する自信を取り戻さなければならないのかもしれないと感じました。
 時間の花を目にして自分の心の奥深くを覗き世界との調和も感じたモモが、元の世界に帰るとかえって深い孤独に陥るというところも、現代の人間に対する痛烈な皮肉だと感じました。物語では時間(心)を盗まれると描かれていますが、実際のところは社会に適合し周囲に取り残されないことを優先するあまり、また人間本来の生々しい心の動きを感じることを恐れるがために、自ら切り捨てているようにも感じられました。
 このあたりはフロムの「自由からの逃走」を思い起こしました。この本では、あまりに巨大で強力な資本主義社会の中で、個人が必然的に感じてしまう無力感や孤独感に耐え切れず、自ら自由を捨てて権威に服従したり心を殺して制度に従うようになっていく過程が書かれています。また、本来の自己を見出してその自発性に従った活動に身を投じることで、世界との繋がりを感じることができ、本当の意味で孤独から脱することができるとも書かれています。今回モモを読み返してみて、モモの冒険はまさにこの過程を描いているように感じました。

2021年1月10日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

うさじさん『快適睡眠のすすめ』
 午後14時の眠気は、もともと備わっているもの

はなこさん『ストレスフリー超大全』
 他の参加者の方は「時間」に関する本や、世界の郷土料理の本など、自分では読まないような本を読んでいらっしゃって、とても面白かったです。

くぼたさん『「待つ」ということ』
●本の紹介
 現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。そして私たちは「待つ」ことを通じて感じ取ってきた様々なことを、感じられなくなってしまったのではないか。「待つ」こととは何か、それを通じて感じられる様々なことについて臨床哲学の視点から考察した本。

●感想
 印象に残った話は、時間の数え方は2つあるという話。1つめは、現在を起点として未来に向かって時間を数えていく方法。2つめは、未来のある時点を起点として、現在に向かって時間を消していく方法。
 1つめは未来を待ち受ける行為で、未来は今の日常と断絶されたもの(絶対の外部)であるという位置付けである。一方2つめは、少し前に決めたことを迎えに行く行為で、その時視野になかったことは視野に入らない。未来は今の日常と連続しているという位置付けである。
 未来の本来の姿は1つめだが、私の生活の大部分では未来は2つめと無意識に捉えていることに気づいた。だから常に追い立てられているような気持ちになる。
 この話を読んで、ミヒャエル・エンデ著『モモ』の登場人物・道路掃除夫ベッポの台詞を思い出した。「恐ろしく長い道路を掃除する時、やり切れるか心配でたまらず、せかせかと働きまくる。しまいには息が切れて動けなくなる。こういうやり方はいけない。一度に道路全部のことを考えてはいけない。いつも次の一歩のことだけを考えるんだ。すると楽しくなる。楽しければ仕事がうまく捗る。気づいた時には全部終わってる。これが大事なんだ」明日から、試してみようと思った。

つやまさん『その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、「自殺希少地域」を行く』森川すいめい
【内容】
精神科医として生きやすさとは何かを考え続けてきた。
自殺の予防や医学の勉強はしたが、答えはその外にあるように感じていた。
5カ所の「自殺希少地域」を旅して、現地の人と接する中で生きやすさを考えた。
今の社会は複雑だが、本来人の生きる営みはシンプルなはず。

フィールドワークを通して自殺希少地域には次のような特徴があることがわかった。
・人々が対話をすることに慣れている。
 (フィンランドの「オープンダイアローグ」に近い。人の間にある関係が病の原因であり、関係を回復することで病も治る)
・人間が多様であることを知っていて、異質な人も受け入れる
・「ひとの話をきかない」=自分の価値観をしっかりもっていて、他人の価値観も尊重する
・「疎」で「多」、孤立させないネットワークがある
・お互いの背景や価値観を知っている
・ありのままを認める、格好つけなくていい
・優しい人ばかりではなく、陰口や悪口もあるが、派閥は少ない

【感想】
 人間の幸福感を考える上で、自分の軸を持つことと対話をすることという2つがいかに大切かを改めて認識させられた本でした。都会でも自分の人生観を深く見つめたり、誰かとじっくり対話する機会を増やすことができればいいと思いますが、目の前のことで忙しすぎたり、人間関係が表面的で流動的だったりと、なかなか難しい状況にあるのかなと思います。

2021年1月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

いなむさん『あなたの知らないあなたの強み』
 宇宙兄弟と言う作品をテーマにしながら、人の強みや特徴について詳細に書かれており、その強みに対する対処法やどんな人と合っているか、またこんな特徴がある人にはこういう風に対応していけば良い方の対処法も書かれており非常にわかりやすかった。

 何よりも自分自身が宇宙兄弟と言う作品がもともと好きであり、それに基づいた文章校正あったため非常に頭に入りやすく楽しみながら読むことができた。

2020年12月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

はっちゃんさん『バベル九朔』
 タイトルと本の内容が思っていたものと全然違うことに自分で選んでおきながらびっくりしました。

くぼたさん『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』
●本の紹介
 令和時代の東京は、世界トップレベルに人口が多く密な都市であるが、標題のような快適な社会を実現している。一方、昭和時代の人々が気にも留めなかったことに神経を使うようになった。その結果、より敏感で不安で不寛容で、秩序に適応しづらい人にとって生きづらい社会になってしまったのではないだろうか。
 この本では、精神科医・ブロガーである筆者が、メンタルヘルス・健康・少子化・コミュニケーションなどを軸に、現代の新しい生きづらさを読み解く。

●感想
 私は東京と地方で暮らした経験があるが、東京にいると何となく息がつまる・自分の振る舞いに対して見えない枠組みがあるような気分になる。そのモヤモヤの原因を知るヒントを得ようとこの本を読んだ。特に共感したのは下記のような内容である。
「今の東京は、資本主義・個人主義・社会契約に基づいて法が制定され、通念や習慣がかたちづくられ、それに最適化された空間が設計されている。その結果、東京に暮らしている人々にその通念や習慣が内面化され、今の社会が唯一の社会であるかのように錯覚させてしまう。
 しかし、現代の秩序に引っかかりがある人が、引っかかりを持ちながら生き、心の中で舌を出していても構わない社会であって欲しい。そしてたまたまディスカッションできた者同士で交わされた言葉を残していくことが、現状に対するささやかな抵抗ではないか」
 今の社会の快適さを享受している一方、行き過ぎている部分・おかしな部分など、自分の感性に照らし合わせて引っかかることをスルーせずに発信し続け、誰かとディスカッションできるチャンスを増やそうと思った。

2020年12月20日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

くぼたさん『彼岸の図書館 ーーぼくたちの「移住」のかたち』
●本の紹介
 古代地中海研究者の夫と大学図書館司書の妻が、街での生活によって体調を崩し地方に移住する。そこで自宅を開いてサードプレイスのような「人文系私設図書館」を作ったことで、元気になっていく。
 図書館では、様々な分野の人たちと生活の中で覚えた違和感などを話す「オムライスラヂオ」を開催。この本は、そのラヂオ対談を軸に、私設図書館がどんなところで、そこで夫婦が何をしようとしているのかを記録している。

●感想
 私自身、街での生活のストレスから体調を崩し、今後どうやって持続可能なライフスタイルを築いていこうか悩んでおり、そのヒントになればと思いこの本を手に取った。本を読んで共感した言葉を3つ紹介する。

・あまりお金がかからないけど高い文化性を持った暮らしを実現するのが行きたい方向
・自分にしか分からない「ちょうどいい」を基準にする。また、自分の生身の身体を基準にし、それをどうやって活かすかという切実なところからライフスタイルを決める
・今の都市生活に欠けているのは「超越的なもの(例:空一杯の星、抜けるような青空)」との繋がり。人間が生きるためにはそういうものとの接触が必要

 今までもやっと考えていたことを筆者が言語化してくれて少しスッキリした。これを手がかりに今の生活を見直してみようと思う。

2020年12月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

Haruoさん『何があってもおかしくない
 
会で、「男性は本心ではなく、体面のようなものに従って行動しやすい」との話が出て、そんなものかな?と思ったのですが、でも、タイトルの「親指の衝撃論」(=金槌で親指を打った時、直後は打った力の割に痛くないと思うのに、すぐに本当の痛みがやってくるということ)にしても、本心で行動していれば、痛みはそのまま直後にやってくるはずなので、なるほどそうかもしれないと考え直しました。

はっちゃんさん『馬鹿ブス貧乏で生きるしかなあなたに愛をこめた書いたので読んでください』
 著者は若い女性に向けて書いているいますが、読み込んでみると全世代男女関係なく送っているメッセージではないかと思いました。

2020年12月6日:「いいライフスタイルについて考える」読書会

keさん『思想の月夜』
 サマーウォーズのような熱い夏の短い恋の短編小説もいいなと思いました。また、その小説の作られた背景が植民地末期のころで現実逃避したい作者の気持ちもわかったような気がします。

やまもとさん『縁食論 -孤食と共食のあいだ-』
 コロナ後の世界で「誰と食事を食べるのか」ということの意味合いが、今後どう変わっていくのか考えるきっかけになりました。

つやまさん『評価と贈与の経済学』(内田樹、岡田斗司夫FREEex)
・真逆の価値観を持つ二人がこれからの時代に目指すべき共同体について対談した本。二人の人間観が真逆で、内田氏は技術や社会の進歩には人間が本来持つ身体性を鈍らせる側面があり、身体性を取り戻し感覚を研ぎ澄ますことが大切だと考えている。一方、岡田氏はこれらの人間の変化は本質的で不可逆なものであり、新しい環境に積極的に適応していくべきだと考えている。
・対照的な二人だが、これからの共同体のありかたを考えたときに、それが援助する/されるという関係から発生する拡大家族的なものであるという点で一致している。しかしその根本をなす思想は異なっており、内田氏の考える共同体はノブリスオブリージュの思想に基づいおり、既に社会的な成功を収めている者がまだ未熟な者を援助するという、一昔前の日本で見られた住み込みの書生のような関係性である。これに対して岡田氏の考える共同体は、カリスマ性を持つ中心人物がその多数のファンに支援してもらうという関係を中心とした、中世ヨーロッパの画家とパトロンのような関係性である。
(個人的には内田氏の方に共感しますが、さまざまな思想の共同体が並行して存在し、自分の価値観に合わせて属する集団を選択できる自由がある社会はいいなと思います。)
・高度経済成長期には家族や地域共同体を非効率なものとして切り捨てて経済的な豊かさと個人の自由を手に入れてきたが、経済が停滞・縮小しセーフティネットが機能不全を起こしている現在は再び個人が孤立しては生きていけない状況になりつつある。この数年で二人の共同体をはじめとした拡大家族的な共同体が同時多発的に発生しているのは、社会の存続への危機感を反映した必然的な流れなのかもしれないと考察されている。

2020年11月22日:リベル短編本を使った読書会『弱い一歩』

『弱い一歩』はこちらです。

つやまさん
 今の社会では強さが過剰に求められることで、一人一人に余裕がなく、人間関係にも軋轢が生じていることに疑問を感じていました。
 短編本では、ロボットの研究を題材として、人間の行う行為や存在自体がそもそも不完結である(=「弱い」)からこそ、はじめて他者や環境との関係性が生じるという視点が提示されています。
 悪いものとされがちな「弱さ」が、本来の人間のありかたであるという見方にハッとさせられ、不完全なまま生きていいのだと感じ少し気が楽になりました。
 雑談の中で、今の世の中は価値観が崩れ始めていて、強さを目指すことにみな行き詰まりを感じてきているのではというお話が興味深かったです。いわゆる「強さ」ももちろん大事ですが、「弱さ」の価値ももう少し認められるという意味での「強さ」を持てるような、生きやすい世の中になっていけばいいなと思います。

2020年11月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

Chiakiさん『本当の仕事』
◆本の紹介
 幼いころから父親の働き方を見て疑問に思いながら育った著者は、大企業に就職するも退職し、アメリカで組織開発・変容学修士、コーチング認定資格を取得。”天職創造”をテーマにワークショップを開催する中、本書を執筆。
◆感想
 気になったワードは「純粋意欲」。
 人は、他人がやっているから、親に言われたからなどの理由で、”これをやりたい”と思っていることが多いが、「純粋意欲」は自分の奥底から生まれてくる”これがやりたい”という気持ちのこと。
 「純粋意欲」を感じる人がいるということは、そこに解決されるのを待っている問題やニーズがある、とのだそうで、自分がこれまでに可能にできた大きな旅も、誰に何と言われようと「そこへ行く」という思いがあったからだ、と思い出しました。
◆読書会シェアで…
 「純粋意欲」からではない意欲は、いつから自分がそう思うようになったか分からないぐらい理由が複雑だったり昔にさかのぼるものもある。他の参加者さんの読まれていた科学系の本で紹介されていたエントロピーの理論も、そういった意欲を説明してくれるものかもしれない、というお話と気づきをいただき、他の人の読む本がシンクロするような面白さを感じた時間でした。
 こういった体験も一人の読書ではないことですし、科学・心理学・数学という自分には未知の分野の本も垣間見ることができました。
 50分集中して読む、感想をまとめる作業も新鮮でした。また楽しみにしています。

こつぎさん『暗号の数学』
 文系のために数学本で暗号解読のための本です。

2020年10月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

Yuさん『ロマンシエ』
 (他の参加者の話を聞いた感想として)マズローの欲求説につきまして、ある欲求が60%ほどしか満たされていなくても高次の欲求を2,30%欲する(?)、下位の欲求をほうっておいたら崩れてくる(?)あたりの話が興味深かったです。

2020年10月18日:リベル短編本を使った読書会『不便視点』

『不便視点』はこちらです。

いちせさん
 不便=害、便利=益であると思っていた(思考停止していた)が、不便にも「益」はあり便利にも「害」があると気付くことができた。
 特に面白かったのが、「便利」は経済的価値の追求=欲望の追求と紐付いている、ということだ。欲望とは幸せを求めることだが、欲望には際限がない。しかし、幸せ=変化の総量なので、便利方向に振れた欲望を、不便方向に揺り戻すことで、再度変化を感じることができ、幸せになれるのではないかと思った。
 便利のみならず不便にも「益」があると知っていれば、便利過ぎる世の中で不便による価値、人間的価値を見いだせるのではないかと思った。
 分量コンパクトですが、非常に濃密で面白い本でした。不便の価値を考えることは、AI時代における「人間らしさ」を考える良いきっかけになりました。また参加したいです!

kuboさん
 今日は読書会、ありがとうございました。とても楽しかったです。
 この本は読み進むほどに、便利と益が一致しない状態からこそ見えてくる、益(生きる上で幸福感や豊かさ)とは何か?という問いを深く突きつけられる思いがしました。人間は何に益を感じる生き物なのか。
・労力があまりに大きい場合、それを取り除く「便利」も益の一つ
・自分の労力で物事を望む方向に良くできているという「自己効力感」
・他人や、あらゆるものと関り、助け助けられ生きている「共生感」
まだあるかもしれませんが、このあたりは、この本や、読書会の皆さんのお話からもはっきりと共有できる「益」のあり方かなと感じました。これは人類史に基づいた前回の短篇本の内容とも繋がりそうです。
 本の中で「表タスク」(人が行動の目的としている益)と「裏タスク」(行動の結果、副次的に達成している益)という分類が面白かったのですが話題にしそびれたので少し。私は、ここで言う「表タスク・裏タスク」にはもう一つ思考的・非思考的という傾向があるように感じました(ざっくり思考的=単一/自覚/理的、非思考的=複数同時/無自覚/情的)。人間一人一人には本来自らの労力を無自覚的にも上に挙げたような益に変えていく力(人間性)が備わっていて、この「裏タスク」が年月をかけて生活の隅々に豊富に絡み付いているのが、人にとっての幸福な状態なのではないか。ちょっと安易な例えですが、海外の古い集落のおじいさんの一日を淡々と追ったドキュメンタリーのようなものを見て多くの人が「いいな」と思うのは、(実際にはとても不便で辛い部分もあるとしても)本人も全ては自覚していないかもしれない無数の裏タスクの絡みつきが、第三者目線だとよく見える、そんな風に表現できるのではないかと思います。
 自分の仕事のデザイン的な側面について考えると、使い手の無数の裏タスク全てをデザインの対象として考え切ることはできない。できることがあるとすれば、使い手の自然な人間性の発露を妨げない環境を整えること、なのではないかと日々考えています。そんな中で人間の成り立ち、性質について思い巡らす吉田さんの前回・今回の短編本のテーマは、とても面白く読ませていただきました。ありがとうございました。

2020年10月11日:短編本のテーマを考える読書会「弱さ」

つやまさん『〈弱いロボット〉の思考』
・人間の一人では完結していない不完全さを『弱さ』と表現し、『弱さ』がコミュニケーションが生まれるのに必要な前提条件であるという考え方が斬新で興味深かったです。不完全性のほかにもコミュニケーションの助けになる弱さの要素はあるのかということが気になりました。
・一般的には自分一人で何でもできて自己完結している方が強いと思われがちだが、度を越えると他者を必要としなくなるという意味では弱みになってしまう。自分の中で強さと弱さの捉え方が逆転するようで面白いと思いました。
・自分は一人で完結している存在で自分のことは自分が一番よくわかっていると錯覚してしまうが、他者や環境も含めて自分でありそれを通してはじめて全体を理解できるというオープンな姿勢が、人間として生きていく上で大切だと感じました。
・弱さにも克服すべきものと持ち続けてよいものがあり、また強さにも身に付けるべきものと手放すべきものがあるように思います。改めて強さ弱さって何だろうと考え直す良い機会になりました。
・内田樹さんが、強い組織は弱い構成員を核にして統合されている、というような話をしていて、ちょっと長いですがとても興味深いです。(七人の侍の話)
http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.html

2020年10月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

アヤノさん『前世への冒険ールネサンスの天才彫刻家を追って』(森下典子著)
 前世が見えるという女性に取材で出会ったことをきっかけに、自分の前世(だと言われた人物)について、細部に渡ってひとつひとつ検証していく森下さんのアグレッシブさにひきこまれる1冊です。ルネサンス時代のイタリアの芸術文化や流行に関する記述も興味深く、森下さんと共に旅をしている気分になりました。

りーどますたーさん『広告 Vol.414 テーマ:著作(雑誌)』
 雑誌を読み進めていて読む時間を取りたいと思ってこれにしました。2つくらい気づいた点があって、プロデューサー自体の仕事や著作という点、あとはプリキュアのような共同ペンネームというのが面白かったかなというところでした。雑誌をパラパラ読むのってわりと良い時間の過ごし方かもしれないですね。
 他の方のシェアでは、国家がなぜ滅びるかという話で、オーストラリアの話が面白かったです。主題とはずれるのですが、どう国ができるか、または滅びるかなどの知見をもっと増やしていくとより楽しめそうだと感じました。今度本自体は読んでみようと思いました。

2020年9月27日:リベル短編本を使った読書会『古代人の内面とデザイン』

大橋 弘宜さん
 「情報の縮減」というキーワードが最も気になりました。何か情報を整理する時に快楽物質が出るという話でした。本書自体は土器などのデザイン(心理や内面など)がどう変わっていくかというところがメインであったのですが、結局考えていくと、物事は分かりやすさで動くよりも、もっと適当というか偶然だったりで色々同時並行的に進んでいくんじゃないかなということを感じました。
 さらにいえば、それは何かを取捨選択するとか、文明や時代が動く時も、ものすごく圧倒的な何かもあるんでしょうが、それよりはごく些細なことを同時多発的に似たタイミングで多くの人が動くと時代が変わるのかもしれないなあとかも思いました。

山川 欣伸さん
 印象に残った点は、読書会でも共有したのですが、「人は作り出すものに、デザインを盛り込まれずにはいられない」というところです。
 日々の生活やコミュニケーション活動を総合芸術として、縄文土器に表現した。自然と共同体、デザインと機能性が、混然一体となったのが縄文土器の複雑さという話は、本当に新鮮でした。
 また、動画やSNSなどを誰もが発信できるようになった現在でも、人は表現したいものや想いを発信し、受け手もそれを見て感じつながりあう文化圏ができています。確かに本書の言うように、縄文時代やラスコー壁画の時と同じように、人は総合芸術や表現をしないではいられない生き物なんだなぁと思いました。チンパンジーなどが使う道具(Tool)と、人間が創る物(Creative)の違いは、ここにあるのかも・・・と感じています。

つやまさん
 デザインを見るときに美しいかどうかということ以外あまり意識していなかったのですが、深い部分では人間の本能や価値観や社会制度に強く結び付いているという視点が得られとても勉強になりました。特に縄文時代とそれ以降では人間の世界の捉え方が大きく変化しそれが土器などのデザインに反映されているということで、人間の心の進化とそれに呼応するデザインの変化がとても興味深いと感じました。

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