参加者に任意でいただいた読書感想を掲載します。8月7日(土)は6名の参加、8日(日)は11名の参加でした(主催者含む)。
8月7日:テーマのある読書会「話すこと」
つやまさん『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』鷲田清一
目の前の相手をそのまま受け止める「聴く」という行為が、話し手と聴き手の関係性に何をもたらすのかが哲学的に考察されています。なかなかに抽象的で難解ですが、日常会話の範囲を越えて対話の深淵さにたどり着くためのたくさんのヒントが得られるように感じるので、少しずつでも読み進めたいと思いました。
・カラハリの部族では場の全員が同時に発話するというコミュニケーションがあり、意味のやりとりではなくて、身体として共存しているという感覚を呼び起こしあっている。それは個人の境界を溶かして、「私より古い私」、命の核が共振する現象であるとも言える。
・聴くことは他者を迎え入れることであり、聴き手は自己防衛を解き自分を脆弱な位置に置くことが求められる。聴くことは他者を支えるだけではなく、自分という枠を壊し自己を変革させる原動力にもなりうる。
Takashiさん『哲学入門』(ラッセル著、ちくま学芸文庫)
今日読んだのは「『私たちは善を追求すべきだ』という倫理学の自明な原理がある。」という意味の文章だ。
普段の生活の中で「良いこととはなにか?」と質問した時、かなりの確率で返ってくるのが「絶対的に良いことなんて無い。我々にとって良いことが誰かにとって良いこととは限らない」という回答だ。
多分日本人は「絶対的な善はあるのか?」みたいな思考が苦手なのではないか。「それぞれ違うんだよ」という所で皆が安心して思考が止まっているのではないか。
本書は共通認識から普遍(universal)を抽出し、そこから組まれた命題の自明性を決めていく思考の道筋が示される。
哲学入門というタイトルだけあって、難しいけど、読めば分かるように書いてある。決して「著者の言う事を理解したければ〇〇と△△は最低限読んでおけ」みたいな、ありがちな入門書ではない。
よしだ『対話のことば ーオープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』
話すことで考えが進むような気がしていて、個人的に探求しています。
この本では、精神疾患の治療法に用いられる「オープンダイアローグ」という手法が、仕事や学校などの日常生活でも活用できるという前提のもと、その考え方が紹介されています。オープンダイアローグは薬物治療などに比べても高い実績が示されているようで、きちんと聴くこと・話すことの威力というか大切さが感じられます。
前半部分を読みましたが、基本的には、相手の言葉のままに聴いて、ありのままにわかろうとすることがまずは大事であると書かれているようでした。自分の思い込みを捨てて、たとえ自分の常識にないことでも聴き、それは話し手にとってどういうことを意味するのだろうということを、相手の内にはいるように聴いていく、そんなことが大事であると書かれていました。
他のオープンダイアローグの本も読みましたが、聴くことで治療の糸口を見つけるということよりも、そもそも対話自体が目的であるとまで書かれていました。お互いをわかろうとする対話は健康にいいようです。
8月8日:読みたい本を気ままに読む読書会
つやまさん『 はずれ者が進化をつくる –生き物をめぐる個性の秘密』稲垣 栄洋
雑草は実は弱い植物で、他の植物と真っ向から勝負すると負けるので、他の植物が生きられないような変化の激しい環境に適応しているというのは目から鱗でした。厳しい環境で生き残るために、二種類の種を用意して発芽のタイミングをばらつかせたり、背の高さなどのばらつきを大きくすることで進化スピードを速めるなど、頭?のいい戦略をとっていて、雑草に対する見方が180度変わりました。生物界ではナンバーワンでないと生き残れないので、それぞれがナンバーワンになれるオンリーワンの場所(ニッチ)を築いているという話も興味深く、人間にも既定の競争に乗っからずに生きる道を探る視野の広さと落ち着きとが必要だなと思いました。
ゆかりさん『予告された殺人の記録 12の遍歴の物語』
『8月の亡霊』を読みました。やけつくように暑い8月初めの日曜日が舞台。ちょうど今日のような。
トスカーナの田園の一角の城を購入したベネズエラ人作家に昼食に,招かれた私たち一家の話。4pながらクライマックスはおぉ。となる話です。怖いかといわれると現実感無さすぎて怖くは無いかもしれません。
他の方は、原田マハ、村田さやか、西田幾多郎、ラッセルを読んでいて、村上さんのスクールカーストの本さっそく読み始めました。
オカケーさん『テクニックに走らないファシリテーション -話し合いがうまく進む2つのセンスと3つのスタンス』
「第1部 ちゃんとうまいファシリテーターを目指そう」まで読みました。
ファシリテーターに必要な2つのセンス(目利きのセンス、行動選択のセンス)と3つのスタンス(自然体、配慮、学習者)について、それぞれどんなものか、磨くためにできる日頃の心がけは何かが書いてあります。
印象に残ったのは以下の3点。
1)「センスはジャッジの連続から生まれる」。センスは先天的なものではなく、後天的に磨ける。持ち物や身につけるもの、日々目を通すメディアや・・・「これはいい、ダメ」とジャッジを続けることで、自然とセンスが磨かれていく。
2)「テクニックを駆使しようと考えるから、ちゃんとうまいファシリテーションから遠ざかってしまう」。恋愛を例に考えると、色々なテクニックを学ぶことは、恋愛マスターになるために無意味なことではない。しかし、テクニックに走ってしまうと、それだけで恋愛がうまくいくと錯覚してしまい、思いどおりにならないこともたくさんある。
3)「ちゃんとうまいファシリテーターは、どういう理由でその行動を選択したのかについてちゃんと説明できる」。きちんと自分の根拠を持って行動を選択し、その選択を検証する習慣を身につけることが行動選択のセンスを磨く一歩になる。
匿名希望さん『しろいろの街の、その骨の体温の』
雑草のサバイバルについて読まれた方の感想から、
私が今まで抱いてきた雑草に対する「ザ・雑草魂!!」というイメージが、
図太さよりもっとスマートでかっこイイもののように思え、
上手く綺麗に咲けない私はスルスルと聡くニッチを狙っていこうかしら、となんとなく思いました。
Takashiさん『哲学入門』(ラッセル著、ちくま文芸文庫)
「感覚から得られる情報はそれ自体が自明だが、真や偽として存在するものではない。」
例えば殺人事件があった現場で真っ暗闇のなか物音がしたとする。その物音の分析は可能だが、だからといって、そこに殺された人の幽霊がいるということを決めることはできない。
例えば、Aさんが酷いことを言ったという噂があったとして、Aさんの発言とその時の状況は検証可能だ。しかし、その事実を元にAさんの存在が悪であり、断罪されるべきだという決めつけはできない。
自明であることと真偽の”判断”は別のものだということを肝に銘じなければならない。人間関係においては尚更だろう。
原有輝さん『善の研究』
善の研究難しい。
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(吉田)