(文量:新書の約14ページ分、約7000字)
誰でも最初は弱者です。今ではとてつもない大きな企業でも、最初は零細企業だったのです。創業者の伝記のようなものを読むと、創業からしばらくは、中小零細企業としていかに勝ち残るかに苦心したという言葉を散見します。弱者はどのように生き、繁栄までの道をたどるものなのでしょうか。
先週のブックレット『植物の防御戦略 〜非攻撃的に生き抜く“内”の強さ〜』(配信停止中)では、植物の「シャープな強さ」に生き抜く秘訣を見出しました。今回は、「強さ」の理解を深め、弱者の勝ち方について探求してみたいと思います。
強さとは、植物の毒のような刺すような強さや、恐竜のような大きさや力だけではないはずです。なぜなら、それぞれ全く異なる特徴を有しながら生存・繁栄し、そしてときには滅亡もするからです。強さを正しく解釈することで、弱者の勝ち方や繁栄への道について、考えていきたいと思います。
植物の「シャープな強さ」
まずは、先週のブックレットを少しだけ振り返りたいと思います。
植物の中には「毒」を持っている者がいます。私たちが日常的に触れている、タバコのニコチンも毒でありますし、あるいは抗がん剤も植物成分に由来しますが、薬である反面、副作用という毒性もあります。植物は、これら毒によって、外敵から身を守っているのです。
あまりイメージがないかもしれませんが、ニコチンはタバコ2,3本分で死に至る物質であり、法律によって劇物指定されています。抗がん剤も、その副作用の強さは認識されているところでしょう。
つまり、植物は、非常に少ない量で生物に強い障害をもたらす物質を、体内で作り出すことができるのです。その毒の種類も多岐に渡ります。無数に存在する植物が、様々な毒を体内に作り出しているのです。
その理由は、いかに強い毒でも、その耐性を備える敵が現れることは自然界では珍しくないからです。その耐性は、遺伝子と共に他者に伝搬していきます。また、その毒に対峙する敵が多いほど、耐性=攻略法を見つけられる可能性は高くなってしまいます。したがって、いかに強い毒性を備えても、それが皆と同じであれば突破されてしまい、自身の敵がその耐性を備えてしまう可能性が十分にあるということです。だから、他の種とは違う毒性を備えておくことも、生き抜く上では重要なのです。
このような、それぞれに違う、少量で強い毒を有する植物の性質を、「シャープな強さ」と表現しました。植物は、このシャープな強さを備えることを一つの武器として、動けないにも関わらず厳しい自然環境を生き抜いているのです。
さて、ここからは、この「強さ」というものの理解を深めながら、弱者の勝ち方や繁栄への道について考えていきたいと思います。そもそも、強い、弱いという表現は正しいのでしょうか。圧倒的な強さを誇る者でも時には滅亡し、一見弱そうに見える者でも生存・繁栄しているからです。
オンリー1でナンバー1になる
ここからは、稲垣栄洋著『弱者の戦略』(新潮選書)から学んだことを参考に考えていきたいと思います。
いきなり刺激的な話になりますが、生物の世界の法則では、「ナンバー1しか生きられない」とされているそうです。
たとえば、ガウゼの実験というものがあります。これは、一つの水槽にゾウリムシとヒメゾウリムシを入れると、ゾウリムシが駆逐されて滅亡するという結果を示したものです。
この水槽には、水やエサが豊富にありました。つまり、おそらく初期の個体だけが生きる分には十分でしたが、子孫繁栄という大命題のもとエサを奪い合い、ヒメゾウリムシがその生存競争に勝ち、水槽内を支配したのです。ゾウリムシは敗れ去り、その水槽内では滅亡してしまいました。自然界では、ナンバー2というのは存在し得ないという、厳しい掟があるようなのです。
しかし、この掟には続きがあります。水槽内のゾウリムシの種類を変えて、ゾウリムシとミドリゾウリムシにしてみます。すると、両者とも生き残ったのだです。
何が違うのでしょうか。それは、棲む場所とエサが違うのです。ゾウリムシは、水槽の上の方にいて、大腸菌をエサにしています。ミドリゾウリムシは、水槽の底の方にいて、酵母菌をエサにしています。だから、お互いに奪い合うことなく、共存できたのです。
このような棲み分けによって、生物は生き抜いています。ゾウリムシとミドリゾウリムシは、場所とエサを棲み分けました。
ほかにも、夜行性の生物は、昼に活動する生物と棲み分けていますし、春に咲く花は、夏に咲く花と棲み分けています。砂漠や山岳地帯に棲む動物は、草木が豊富な地上動物と棲み分け、地中に潜む虫は、地上や空に生息する虫と棲み分けています。みなそれぞれに違う環境に身を置くことで、生きているのです。
オンリー1かナンバー1か、どちらがあるべき姿かという議論があるかもしれません。これまでの話を踏まえると、オンリー1を目指すことで必然的にその領域でナンバー1になる、というのが一つの答えであるように思えます。自然界にナンバー2が生き残るという法則がないのであれば、生き残っているだけで何かしらのナンバー1であるということになるからです。
地球上というレベルではナンバー1ではないのだが、オンリー1の領域を見つけ、そこでナンバー1になることが生存と繁栄のキーポイントのようです。そして、生存競争における強さとは、オンリー1でナンバー1になるということが、ひとつのこたえであると考えられるのです。
ここで、今生きているそれぞれの種がナンバー1なのであれば、強い、弱いという表現はあまり意味を成さないということになります。重要なことは、いかにその領域においてのポジショニングを築くか、ということのようです。
しかしながら、ある程度の地位を築いた生物は、領域を選ばずナンバー1になれてしまう可能性があります。圧倒的な力をもつものは、棲み分け領域を侵してしまっても、ある程度は力でねじ伏せることができてしまうでしょう。ヒエラルキーのトップにいる者は、どこでもなんでもナンバー1を目指すことができるのかもしれません。つまり、細分化された領域ではなく、地球というレベルで見た時には、強者と弱者は確かに存在するのです。
では、弱者ならではの戦い方や、時には強者を追い越す戦い方には、どのようなパターンがあるのでしょうか。
弱者の戦い方
弱者の戦い方の1つ目は、「条件を多様で複雑にする」ことだそうです。
弱者と強者が、力に任せた一騎打ちをすれば、弱者が敗けることは目に見えています。しかし、武器の利用を可能にすれば技術で勝てる可能性がありますし、地形が複雑であれば作戦で勝てる可能性があります。
少なくとも、強者は弱者に勝つためのコストを払わなければならなくなるでしょう。強者は往々にして、物理的に巨大であり、必然的に必要なエネルギーが多くなります。少し動くだけで大きなエネルギーを必要とするので、動いたら大きなリターンを得る必要があるのです。あるいは、小さなエネルギー源を確保しても、大きな身体の足しにはなりません。したがって、1回の戦いにコストがかかったり、それで得られる獲物が小さいなどの、コスパが悪い戦いには挑まない可能性が高いのです。ましてや、敗ける可能性もあるのだとすると、その戦いは避けようとするでしょう。勝てる(と思っている)相手はいくらでもいるのですから。
これは、自分のルールに強者を引き込む、あるいは新たなルールの世界を創ることで、強者の侵食を防ぐと言い換えることもできるのかもしれません。
先日、下北沢にある「ダーウィンルーム」というお店に行ってきました。ここには、生物進化や生物そのものに関する書籍に加えて、昆虫の標本や、古代人の頭蓋骨の模型などが売られていました。また、その道の第一人者を招いて読書会を開いたり、喫茶店として飲み物や軽食も提供したりもしていました。そこはまさに、店作りを多様で複雑にしている典型でした。
大手の書店は、ここまで複雑な店作りをするという結論は出さないように思いますし、その意思決定にも多大な時間を要することでしょう。なにより、あまり大きくない店舗と、下北沢という立地がフィットしているというようにも感じられました。自分たちだけのこれまでの普通とは違う、多様で複雑な世界を創ってしまうことで、ライバルを牽制できているのです。
弱者の戦い方の2つ目は、変化のタイミングを狙い、さらには多産であることです。この戦い方は、弱者と強者の立場を逆転させる可能性を秘めています。
以下は、アメリカの生態学者コネルが提唱した、「中程度撹乱仮説」のグラフです。
撹乱とは、かき乱すという意味で、環境の変化の大きさを表す用語です。横軸が撹乱度で、右にいくほど撹乱度が高い、つまり環境変化が激しいことを示しています。縦軸は生物の種類で、上にいくほど種類が多い、つまり生存できる生物種が多いことを示しています。
このグラフが示すことは、環境変化が激しい、例えば地球が氷河期に突入したりすれば、その激しすぎる変化に多くの種が耐えられず絶滅することを示しています。他方で、環境変化が少ない落ち着いている状況でも、その環境に適応して地位を確立した強者が敗者を駆逐し、生存できる種が少なくなることを示しています。
注目すべきは、撹乱度が中程度大きい場合は、多数の生物種が生きられるということです。環境が変化するということは、その環境に適した特性も変化するということです。それまでの環境に強く適応した強者は、変化後の環境には脆弱性を示す可能性が十分にあります。たとえば、暑い環境に適応し強さを発揮した生物は、寒い環境には弱いと想定されます。つまり、弱者にとって、変化が激しい時はチャンスなのです。
外来種の問題があります。元々その地になかった生物が、何らかの経路を経て持ち込まれ、その地で大きく繁栄してしまう問題です。たとえば、外来種である西洋タンポポは、在来種の日本タンポポよりも繁栄しており、日本タンポポを駆逐していると言われることがあります。しかし、その真実は、人間が土木工事によって日本タンポポを駆逐し、その後の空白となった領域に西洋タンポポが進出してきているというのです。
西洋タンポポも、日本タンポポが生えている草むらには進出することはできないそうです。つまり新参者は、何らかの大きな環境変化(この場合は人間の土木工事)の後の空白地帯に、そのチャンスを求めれば繁栄できる可能性があるということです。
変化の時、多産であることも重要です。
生物の世界では、卵の大きさと数は反比例すると言われています。つまり、大きな卵を産もうすれば数は少なくなり、反対に数を多くしようとすれば大きさは小さくなります。これは、一度の出産で卵全体に供給できるエネルギー量は一定だからです。そして、大きな卵の方が生存率は大きくなりますが、小さな卵はその生存率の低さを数でカバーしています。だから生物は、「多産多死」か「少産少死」かを選択しなければなりません。
一般的に、強者は「少産少死」であり、弱者は「多産多死」であるとされています。なぜなら、強者であれば、少数の卵を外敵から守りながら育てることができるからです。仮に、弱者が少産少死を選択しても、強者に襲われてその少産の卵を奪われてしまう可能性が高いのです。だから、弱者は多産多死を選択し、多くは死んでしまっても、少ない割合でも生き残ることに期待して、多数の卵を産み落とします。ちなみに人類は、少産少死です。
多産多死の特徴は、その生き残り方だけにあるわけではありません。「多様性」と「スピード」も備えています。
多産であれば、それぞれの卵に遺伝子の違いが内包されることになります。また、多産多死の生物ほど、成長が早い傾向にあるため、親になり次の子どもを産み落とすまでのサイクルが短くなります。このサイクルの短さ、スピード感は、環境変化に適応するにあたっての重要な意味を持ちます。
進化とは、世代を越えた突然変異によってもたらされるものです。基本的には親に似ているはずの形質が、突然変異によって子に備わり、それが環境に適応した場合に、その形質が次世代以降に受け継がれていきます。つまり、多産多死で、その生み出すサイクルが短ければ、一定期間あたりに突然変異が起きる回数も多くなり、進化していく可能性も高くなるのです。
これらの特徴を踏まえると、変化の時は、多産多死の方が有利なのです。なぜなら、変化の時は、それまでと同じ形質では生き残れない可能性が高くなるからです。多産多死で、とにかく多様に早く生み出し、そのサイクルの中で、その環境に適応していくことを期待するのが妥当なのです。少産少死では、多様性に乏しく、生み出すサイクルも遅いため、変化した環境に適応できる確率は多産多死に比べると低くなると考えられるのです。
以上のことを踏まえると、弱者は複雑な環境を選ぶか自ら創り出すことが、一つの戦略になりそうです。あるいは、変化が起きている環境に飛び込み、その環境に適応をすることで、強者に逆転することができると考えられます。その場合は、多産多死で、多様に早く生み出すことが必要とされそうです。強者は、一つの命を産み落とすまでに時間がかかるため、環境適応という点では弱者が有利になる可能性が高いのです。
弱者の一歩目
弱者には弱者の道の選び方があります。強者がいないところ、敵が少ないところを選ぶことが求められます。しかし当然のことながら、その選択の先には困難がつきまといます。容易な道であれば、既に他の生物が進出しているからです。それら、困難な道を選んだ生物は、それぞれに苦難の時を経て適応していくのです。
たとえば、砂漠に進出したラクダがいます。ラクダは、コブに水を貯めているイメージが強いのですが、実は違うそうです。コブは脂肪のかたまりで栄養分の蓄積先だそうで、水分は血液中に蓄えているのだそうです。エサと水に乏しい環境で生きるために、そのように進化したのです。ほかにも、砂漠で生きるために、足はかんじきのように面積が多くなり、砂が目に入らないようにまつ毛が伸びていて、鼻の穴は閉じるようになっています。砂漠で生き抜くために、変化を重ねたのです。
地中に進出したミミズは、もともとは頭や足のような器官がある生物だったと考えられているそうです。それが、土の中で土を食べて生きるという生存方法に適応し、器官が退化していきました。土の中で生きる、最も適した形態に進化していったのです。不要なものは捨てました。
早春に咲く花もあります。夏になれば、活動する昆虫も多く受粉が成されやすくなる反面、ライバルも多くいます。だから、大きく立派な花を咲かせられない花は、早春に咲くのです。小さな花でも早春に咲けば目立つので、虫に見つけてもらいやすいのです。
ふつう花の種は、冬は暖かな地中で過ごします。しかし、早春に咲かすためには、寒い冬の間も、地面に出て葉を広げ光合成をして、エネルギーを蓄えている必要があります。夏に咲く花が冬の終わりと共に目を覚ます頃に、早春に咲く花は、その蓄えたエネルギーを一気に咲かすのです。ここで耐えて重ねていた努力が報われます。
これらの生き物は、最初は適切な形態など分からなかったことでしょう。というよりも語弊を恐れずに言えば、人間以外の生物は、調査をして考えて戦略を練ったりすることはありません。生息地の環境変化によって、止むを得なく新たな領域に棲み始めるのです。
たとえば、最初の陸上生物は、浅瀬に棲む海洋生物が、海水面の後退によって強制的に陸上に棲むことになったと考えられています。その後、突然変異によって備えた形質が陸上に合った者のみが生き残り、子孫を残していったのです。その突然変異のくり返しでより陸上に適応し、別の種へも変容していきます。その無数の変化のくり返しによって新天地を開拓し、現在の多様な生物がいるのです。
人類は、考えて、意思をもって選択することができます。しかし、だからといって最初から答えが見えているわけではないことも、多いのではないでしょうか。その環境に飛び込み、無数の失敗を経て、適応した形にたどりつけるのではないでしょうか。最初から答えが見えているところには、既に強者が存在する可能性が高いはずですし。
弱者の勝ち方は、強者に比べて普通ではありません。既に棲む領域が決まっているのであれば、強者がそこに魅力を感じないように、複雑で多様な環境やルールを作ってしまうことも一つの手なのでしょう。あるいは、これから領域を選択できるのであれば、変化の起きそうなところで多産的に挑戦するのも良さそうです。そして、オンリー1となることで結果的にナンバー1になることも、目指さなくてはいけないのでしょう。なにより、進化は無数の突然変異の結果にたどりつく一つの適応形なのですから、突然変異を繰り返さなければいけません。普通では勝てない、普通ではたどりつけないのです。人類よりも永い歴史をもつ生物の世界が、そう教えてくれているのです。
〈参考文献〉
・稲垣栄洋著(2014)『弱者の戦略』(新潮選書)
(吉田)
(カバー画像出典元)