2020.11.23

読書会の話。いつから強さを求めだしたのだろうか。

 昨日はリベルのブックレット『弱い一歩 〜自由な地平へ歩きだす〜』を使った読書会でした。出てきた話題を一部紹介したいと思います。

 『弱い一歩』は、〈弱いロボット〉の研究から見えてきた人の不完結さに関する知見に着想を得たブックレットです。弱いロボットとは、周囲の支えや助けを受けながら動くロボットですが、その方が人に近い自然な行為に見える。反対に、自分だけでタスクを完結させようとするロボットは、不自然に見えたり、情報処理が追いつかずにオーバーヒートしてしまう。そのようなロボット開発の難題に向き合う中で、人は根本的に弱さ・不完結さを抱えているのではないかという考えに至ります。人は、行為の一つ一つに不完結さを抱えており、でもだからこそ他者や周囲環境の介在の余地が生まれ、力を借りながら活動をすることができています。そして、それが人や、人で形成される社会の自然な姿なのではないかということです。
 反対のことが、強さ・完結さを備えた行為や姿勢ということになります。例えば、自分で考えて結論まで出そうと頑張りすぎることや、問題が起きても自己解決を図ろうとしすぎることなどが挙げられるのではないかと思います。このような行為や姿勢が良いか悪いかではなく、人はそもそも状況に直面しながら思考を巡らせたり、周囲にある人やモノといった環境に触れたりしながら様々な意味や価値を見出していっているのではないかということです。自分の頭の中で一から築き上げていくというよりも、もっとオープンに、周りのと交互作用によって、思考も行動もうまく働くのではないかという考えを示しています。このような考えに触れた時に、足下が軽くなり、スムーズに前に進めそうな気持ちになったので、今回ブックレットとしてまとめてみました。

 読書会に参加いただいた方の関心ごとの一つは、自立する・負けない・一人でなんでも出来るというような強さを肯定的に捉えすぎる価値観で人は保つものなのか、限界があるのではないか。また、そもそも人がたくさんいる意味があるのか、何かが生まれる可能性が低くなるのではないかというようなことでした。『弱い一歩』の中の様々な知見から見えてくることは、自立する、という特性を人はそこまで持ち合わせていないのではないかということだと思います。鏡のない時代には自分で認識することができなかった表情を外に向け他者とコミュニケーションを図り、掌や足の裏、全身の皮膚、目・鼻・口・耳などで周囲環境を感じ取り、意味や価値を認識し、思考や行動につなげていました。私たちの脳を含めた身体は、周囲に対してオープンであり、周囲と自分という境界がそこまでないのが本来の姿であると考えられます。それが非常に長い歴史を環境と共に生きていた生物の姿であり、社会を形成して生きてきた人の姿であると言えるのです。したがって、自分を周囲から分離させ完結なものであろうとするような考え方は、人のあり方との間に少なくない齟齬があり、うまく立ち回れなくなる原因になってしまうのではないかと考えられます。

 ここで一つ疑問が生じました。個人に強さや完結さを求める考え方が、人の本性との間に齟齬があるのであれば、なぜ生まれ存在し続けているのか、ということです。憶測ではありますが、きっかけは科学革命に一つあったのではないかと考えています。科学の発達によって、漠然とした脅威であった自然現象の原因が分かり、解決策を講じられるようになりました。世の中の事象を理解することは可能で、それに基づいた予測や合理的判断などを導けると考えるようになりました。そのような新たな時代の幕開けの中で、自分で何かが出来るという考えを強めていったのではないかと思います。
 そこから少し時代を隔てますが、日本では明治維新以降、大きな目標が常に国家から示され続けてきたように思います。殖産興業や富国強兵のスローガンのもと邁進し、日清・日露で勝利を収め、世界に肩を並べる国家になりました。その後敗戦を喫しますが、朝鮮戦争などを追い風に、「もやは戦後ではない」というキャッチフレーズが生まれ、所得倍増計画が掲げられ、社会は見る見るうちに豊かになっていきました。そのようなグランドプランが国家から示されている時には、大人でも子供でもあるべき姿が明確であったのではないかと考えます。強さ・完結さというものが示される形で存在し、それを目指せば人生が潤ったのではないかということです。

 しかし現代は、そのような強さや完結さを抱き維持することが難しくなってきているのではないかと思います。一通り衣食住の豊かさが整いながらも、社会環境は大きく速く変化し、向かう先を見出しにくくなりました。人生は長くなり、不安に思うタイミングも多くなることでしょう。そのような中で強さ・完結さを保持するのは、困難であり、意味の薄いものになっていくのではないかと考えられます。
 これから強さや不完結さを求める世の中の価値観がどのように変化していくのかは分かりませんが、自分とその周りで弱さや不完結さを共有することはできると考えています。先をきれいに見通すことや計画を精緻に立てること、自分の力で歩んでいくことをあまり固辞しすぎずに、周囲との交互作用の中で生きていくような価値観です。これは、決して何かを諦めているわけではなく、そのような動き方が可能性を広げ、歩く道のりを創造的にしてくれるのではないかということがブックレットの中から見えてきました。世の中のこれからの価値観にも少しだけ目を向けながら、自分はどうあろうかと考える時間になりました。

『弱い一歩 〜自由な地平へ歩き出す〜』


〈読書会について〉
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(吉田)

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