2021.08.07

聴いてもらっていた。 ー対話と思考 #1

 話すことで考えが進んでいくことはないでしょうか。悩んで結論がなかなか出ないとき誰かに話すことで「そうだ、これだ」と思えたり、話すことで考えが整理されて新たな気づきを得られたり。話すことと考えることの間には、なにか親和性があるように思えます。
 考えることは自分の頭の中で組み上げていく行為のようでいて、頭の中から飛び出す過程も伴っています。本から知識を仕入れたり著者という他者の考えに触れてみたり、文章や図に書いて紙の上で整理してみたり、そして誰かと話してみたり。旅をするように回遊し、ある時ふとひらめくものなのかもしれません。
 このように、考えるための道具や作法はいろいろとありそうですが、今回はその中でも、“話すこと”と考えることについて、取り上げてみたいと思います。考えることと話すことを別々に捉えるのではなく、考えるために話すという捉え方ができると、それはまたひとつの活動として自分の中に組み込まれるかもしれません。いろいろと切り口や視点がありそうなので、何回かに分けて「対話と思考」というシリーズでお届けしてみたいと思います。


対話という入り口へ

 話すことが考えを進めているのではないかと思ったとき、そのイメージは、話すことで脳の中で何かが組み上がったり、心理に何らかに変化をもたらしたりしているのではないかというかというものでした。そう考えると、脳科学や心理学、認知科学などの分野において、誰かが研究し考えてくれているのではないかと思っていました。しかし、探してみてもなかなか見つけられません。それらしいタイトルの本も、学者さんが上げてくれたようなweb記事やPDFファイルも見つけられなかったのです。探し方が悪いだけなのかもしれませんが、話すことと考えることに直接的なつながりを求めることは、あまり筋が良くないのかも、と思い始めました(もし何かご存知のことがあれば教えてください)。

 そして、「対話」という入り口へ出合います。週末に読書会を開いているのですが、そこで「対話」や「オープンダイアローグ」に関する本を読んでいる方がおり、なにかピンとくるものがあったのです。考えが進んだり選択のきっかけになったりした過去の体験は、感覚的にではありますが、対話と呼ばれるものであったのではないかと思ったのです。そして、対話について知っていくと、話すことではなく“聴いてもらうこと”に思考が進むことの秘密が隠されているのではないかと思い始めました。

聴き手がいるダイアローグ、話し手だけのモノローグ

 「対話」とは日常でもよく使われる言葉ですが、なんの気なしに行う会話や談笑とはすこし違った深さを伴うことのようです。たとえば、筑波大学教授・精神科医の斎藤環氏の著作『オープンダイアローグとは何か』[1]では、精神的な疾患にオープンダイアローグと呼ばれる対話的な治療法が用いられていることが紹介されていました。統合失調症という精神疾患において薬物を含む通常治療に比べて高い実績を示しており、フィンランドでは公的な医療サービスとして認定されているのだといいます[1,P11]。もちろん、整えられた体制や仕組みのもとでの成果ですが、治療法自体は、患者・家族・専門家が一緒になった対話の中で行われていくもののようでした。対話は、こころに深く働きかけるもののようなのです。

 治療的な目線よりももうすこし一般目線で対話について知るために、同じく精神科医の泉谷閑示氏の『あなたの人生が変わる対話術』[2]も参考にしました。この本では、タイトルにある対話“術”にかぎらず、対話の意味や、日本という文化においては特に対話の意識が重要であることなどが記されていました。なかでも、あたりまえのことなのかもしれませんが、対話には話し手と聴き手がいるということが印象的でした。対話=ダイアローグはモノローグとは違うということ、また「聴く」と「聞く」とは異なるということについて、解釈を交えながら紹介したいと思います。

 対話を意味するダイアローグに対して、モノローグの「mono」は、「単一の・一つの」といった意味をもちます。ですので、モノローグは独り言や独り語りといった行為をイメージさせます。しかし外面的な独り言だけではなく、質的に一方的であることまでモノローグと捉えるならば、相手を打ち負かすことを目的とする討論は「モノローグ同士の戦いにすぎない」と泉谷氏は見解を示しています[2,kindle380]。複数人で話す場合であってもモノローグ的であることがあるというのです。
 それに対してダイアローグは、話し手の話を受け止めてくれる、聴き手がいます。対話の前提のひとつとして、「対話は、「他者」を知りたいと思うことから始まる」[2,kindle303]といいます。きちんと話し手に関心をもち知ろうと思って聴いてくれる人がいるということです。また、「やり取りをすることで双方に変化が起こる」[2,kindle418]のだといいます。それに対して討論の場合は、相手の言うことに納得してしまうなどの変化が起きては負けになってしまうので、変化が起こりません。そういう意味でも討論などはモノローグ的であるというのです。さらには、善意ではあっても性急にアドバイスをしてしまうことも、聴き手側が最初から持っていた答えを一方的に提示するような行為であるためモノローグ的であると言えます。
 このように、モノローグに比べてダイアローグは、話し手だけで成立するものではなく、聴き手がいて初めて成立するものであり、その場全体に変化が起きていくものをいうようです。

 「聴く」という行為に対しても理解を深めておく必要があるようです。泉谷氏は「聞く」との比較の中で次のように記しています[2,kindle497]。

「聞く」というのは、物理的に流れている音声をただ受け身的に聞いている状態であって、テレビやラジオを漫然とBGM的に流しているときのような感じです。それに対して「聴く」というのは、積極的に相手の話に注意を向けて「知ろう」「わかろう」とする態度を指します。

 聴くということのポイントを2つ感じました。
 1つ目は、聴くことは能動的に相手に入り込んでいくような行為であること。聴き手はその対話に労力を割いているのであり、必然的に対話は、話し手だけではなく聴き手とともに作り上げられていることであることがわかります。
 2つ目は、聴き手の「わかろう」として聴く態度によって、話し手が主役になること。これは、先に紹介した『オープンダイアローグとは何か』から感じたことでもあります。オープンダイアローグによる精神疾患の治療において、成果が良好だったケースとかんばしくなかったケースが比較紹介されていました[1,P136]。良好だったケースでは、精神的な疾患を抱える患者さんの話が常識的ではないびっくりするような内容であっても、治療する側はその話を制することはせず興味をもって深堀りしていました。それに対して成果がかんばしくなかったケースでは、患者さんが話したことはそこそこに、治療者は治療の進捗状況を聞いてしまっていました。つまり、患者さんの話をわかろうと思って積極的に聞くのではなく、治療者が自分たちの関心ある話題に切り替えてしまい、話の主役が患者さんではなくなってしまったのです。
 対話では、必ずしも話し手と聴き手が分かれていることばかりではないと思われます。仮に一つのテーマを共有していても、それぞれが話したいことはあるはずです。しかしそのような場合でも、場にいる人全員がたたみかけるように話し手になるのではなく、話し手がいれば聴き手がきちんといる、というように話し手と聴き手の交代があることが対話をつくりだす秘訣なのではないかと思いました。そうすることで、ひとつの関心ごとや悩みを、ひとりではなく複数人で考えアイディアを作り上げていくことにつながり、変化や新しい何かが生まれるのではないかと思いました。

話していたのではなく聴いてもらっていた

 話すことで考えが進んだり気づきを得たりできるということは、変化が起こったり新たな何かが生まれたりしていることを示しているのだと考えられます。そうであるならば、それは対話が起きていたと考えることができるのでしょう。
 話すという“自分の”能動的な行為によって、考えが進んでいるのだと思っていました。しかし対話によるものであったのであれば、能動的であったのは聴き手でもあり、聴き手が労力を割いてくれていたということになります。自分の手柄にしようとしていたことに赤面です。話していたのではなく聴いてもらっていたのです。
 聴いてくれる人がいることはとてもありがたいことです。身近にそういう人がいたり機会があるならば大切にしたいと思います。その一方で対話は、「オープンダイアローグ」という具体的な手法としても研究・確立されてきているようなので、意識的につくっていくこともできるのでしょう。最近開いている「話すこと」をテーマにおいた読書会では、『対話のことば ーオープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』という本を読んでいる人がいました。対話の具体的な方法や心得が記されているようでした。また、『オープンダイアローグとは何か』では、ロシアの哲学者であり対話理論・ポリフォニー論の創始者であるミハイル・バフチンが「対話こそが思考を生み出す」[1,P157]と考えていたということも紹介されていました。とても気になる考えです。対話と思考について、あるいは対話そのものについて、すこしずつ理解を深めていきたいと思います。



〈参考図書〉
1.斎藤環著・訳『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)
2.泉谷閑示著『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)


〈「対話と思考」他のコンテンツ〉

(吉田)

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