2019.11.02

移動型生活は幸せなのか。 〜モンゴル遊牧民の生活から考える〜

モンゴル遊牧民からイメージした移動型生活は、メリハリがあって、安心感も刺激も得られそうなものでした。その生活を覗いてみると、生きていく上で何が大事なのかも、考えさせられました。

(文量:新書の約13ページ分、約6500字)

 定住型生活は、現代を生きる私たちの感覚ではあたり前ですが、人類はその数百万年という歴史のほとんどを、移動型生活で過ごしてきました。日本列島で定住化・集住化が始まったのは、人類の歴史からすると最近と言える、わずか1万年前のことです。
 しかし、その後社会環境が大きく変化し、ネット社会化した現代においては、移動型生活の一般化の可能性を、改めて考えてみてもいいのかもしれません。

 先日のリベルのブックレット『定住の起源』(配信停止中)では、定住の始まった背景から、現代でも定住である必要性があるのかを考えました。今回は、その定住の起源を振り返りながら、移動型生活は幸せなのか、考えてみたいと思います。明確な答えを示すことは難しいですが、モンゴルの遊牧民の生活を参考に、どのような移動型生活なら幸せそうか、想像しながら考えていきたいと思います。


定住の起源と、移動型生活に感じる疑念

 人類の祖先は数百万年前に誕生し、その歴史のほとんどを狩猟採集を生業とした、移動型生活で過ごしてきました。日本列島で定住生活が始まったのは、約1万年前の縄文期、地球が温暖になり、四季が明瞭になり始めた頃だと考えられています。地球が温暖になったことで、食物の絶対量が増え、移動しなくても周辺で食料獲得ができるようになり、移動の必要性が薄まっていきました。
 また、四季が明瞭になったことで、食物量に季節差が生じるようになりました。四季の中では秋が最も食料がとれる時期であり、そのため秋に大量に食料を獲得し、保存しておくことが、食料の安定的確保という意味で合理的でした。それまでの獲得してすぐに食べるという方法から、獲得して一部を保存するという、食料確保の安定化を考慮した方法をとれるようになったのです。他方で、この保存という手段を取り入れたことにより、保存食と、保存食をつくる加工設備や道具などの荷物が増え、移動が困難になっていきました。

 このようにして移動の必要性が薄れると同時に、移動が困難になっていくと、人々が固定的に暮らす集落が生まれ、その集落をつなぐネットワークが出来ていきます。そのネットワークを通じて、沿岸と内陸や山間部の物資の流通が盛んになっていきました。
 そして、そのネットワークを通じてモノを交換することを目的に、自分たちで使う以上の食料や生活道具、あるいは首飾りなどの嗜好品を作り、それらの交換を生業の一部とする地域も出てきました。

 このように、定住の起源は、食料確保の方法が変化したことにあり、その後集落ネットワークができ利便性が向上したことで、どんどん移動のデメリットが増していったことにあると考えられます。食料確保の面からだけではなく、物資交換に関連する生業もその場所に固定されることになり、移動することは生活の糧を失うことを意味したからです。
 別の見方をすると、集団を越えた分業・物流ネットワークに、生業が組み込まれ、縛られていったと言うこともできます。そして、その後の農耕革命後の農業社会では、農地という固定資産を抱えることになったため、より居住地の移動が困難になっていきました。

 しかし、その後時代は変化し、産業革命により工業化社会へ移行した際には、農村部から都市部へ、仕事を求めた人々の移動が起こりました。そして現代では、農地などに仕事場が固定される第一次産業、工場などに仕事場が固定される第二次産業の従事者は大きく減少してきており、今後も機械化でより減少していくと考えられます。
 さらに、ホワイトカラーと言われる職種の仕事は、ネットで完結できるものも増えてきており、今後はより場所の制約を受けにくくなると考えられます。もちろん縄文時代のように、自分たちでとった食料を保存する必要もないため、食料に関連する荷物もありません。

 つまり、縄文時代、生活の糧のために定住が進んでいきましたが、現代では生活の糧が場所に縛られにくくなってきており、定住の必要性は薄れてきていると言えます。
 また、私たちの遺伝的特性は人類の祖先から代々受け継がれてきたものであり、その長い歴史を過ごした移動型生活に適応した側面を、多く有していると考えられます。生物の進化のスピードは非常にゆっくりであるため、わずか1万年前から起きた急激な変化に適応していると考えるより、数百万年の長い歴史に根ざした特性を備えていると考える方が妥当であるためです[1]。
 つまり、社会環境が大きく変わった今、私たちは移動型生活というライフスタイルも視野に入れて、未来を展望してみることも決して非現実的ではないと言えます。

 しかしながら、定住型生活に慣れきった私たちの感覚からすると、移動型生活はなんだか面倒臭そうで、ころころ住む場所が変わることは落ち着かず、心の安堵感を得られなそうに感じてしまいます。そこで、現代でも移動型生活を続けるモンゴルの遊牧民の生活から、移動型生活の生活感や、生じている問題点などを学んでいきたいと思います。

モンゴル遊牧民のライフスタイル

 ここでは、移動型生活がどのようなものなのかを感じることを目的として、モンゴルの遊牧民の生活を紹介していきます。ですので、遊牧という生業や、モンゴルの国としての現状などには触れず、ただただ遊牧民のライフスタイルに焦点を当てていきたいと思います[2][3]。

 遊牧民と聞いて想像するのは、地平線が見えるほど広い草原を、家畜のエサを求めるがままに、あてもなく移動していく姿なのではないでしょうか。しかし実際には、春夏秋冬の季節単位での移動が多く、それぞれの季節で過ごす場所も、その家族単位で決められていることが多いようです。
 たとえば、冬には寒さが比較的しのげる谷の地域に移動したり、またその宿営地には家畜用のゲルが常設されており、異常気象など特別なことがなければ毎年同じ場所で越冬するようです。つまり、その季節ごとに住みやすい場所が定まっており、そこを季節ごとにぐるぐると回って、遊牧生活を行っているのです。

 集団の季節的な移動は、世帯を単位として行われることが一般的なようです。世帯とは、その家族によって様々なようですが、親子と、その祖父母世帯は別世帯として移動生活をすることもあるようで、ある季節は一緒に過ごすけれども、次の季節では別々の宿営地に移動していくということもあるようです。
 他方で、移動先の宿営地で暮らす居住集団は、複数世帯が集まり、遊牧に必要な仕事をそれぞれ分業して、その季節を協同生活で過ごすようです。つまり、季節を問わずにずっと一緒にいる家族と、季節ごとに協同生活をする集団の人たち、というような二重構造で生活していると言えます。季節ごとに、同じ場所を回っているのであれば、おそらく協同生活をする居住集団も大体固定的なメンバーになっているのではないでしょうか。つまり、季節ごとに再会があり、数ヶ月間の協同生活をし、また離れていくということの繰り返しなのだと想像されます。

 このような移動生活において、一つ大きな問題があるようです。それは、子どもの学校です。
 モンゴルのある地域では、秋から春にかけて、行政区の中心地とその周辺に人口が集中するそうです。そしてそのほとんどが、学校に通う子どもがいる世帯なのだそうです。つまり、遊牧生活をする世帯は、季節限定で子どもを学校に通わせているということです。
 ただ、このように家族ごと学校の近くに移動して来られる場合は良いのですが、家族と離れて寮で生活したり、親戚のもとへ預けられるケースもあるようです。モンゴルの義務教育は6歳からであるため、6歳からいきなり違う環境での生活を強いられることの、寂しさやストレスは想像に難くありません。また、そのような大きな環境変化や、はじめての共同生活への戸惑い、またいじめを受けたりすることで、心に傷を負うこともあり社会問題化しているようです[4]。
 ただ、最近では、移動型の学校もあるようですし[6]、インターネットによって学習コンテンツの提供は受けられるようになってきていると考えられます。とはいえ、移動型生活で、どのようにして他者と協力して何かを成し遂げることや、見知らぬ他者と友達になり集団生活をする経験をしてもらうのかは、移動型生活の大きな課題と言えそうです。

移動型生活で安堵感を感じる時

 私たちは、「家に帰る」という感覚を、日々感じながら過ごしています。仕事が終わって帰る、飲み会で楽しんだ後に帰る、家族で出かけて楽しかったけど少し疲れた感じで帰る。そのそれぞれの帰った後には、いつもの場所に帰ってきた、自分の空間に帰ってきたといったような、安堵感があるのではないでしょうか。
 移動型生活をする遊牧民は、この「いつもの場所」「自分の空間」といったような感覚を、どのように得ているのでしょうか。

 その秘密は、遊牧民にとっての住居であるゲルの内装と、持ち運ぶモノにあるのではないかと考えられます。
 モンゴル遊牧民のエンフバト家に、住み込みで調査・研究した堀田あゆみ氏は、その著書『エンフバト一家のモノ語り』で次のように述べています[2]。
「遊牧民は季節移動をスムーズに行うために、必要最小限のモノしか持たないと思われがちであるが、実は大量の衣類や装飾品、一年に一度も使わない茶器セットや大切な人にまつわる思い出の品などさまざまなモノを生活世界に留めている。エンフバト家の生活世界(ゲルの中とゲルの周辺および固定式物置小屋)には、およそ1500点のモノが存在している」

 堀田氏が著書で紹介したゲルには、こだわりの天窓や自分で作って色を塗ったはり、兄弟が作ってくれた食器棚などがありました。持ち運ぶモノの中には、子どもたちが集めた宝物や、写真とそれが収められた写真額、また親から受け継いだ仏壇もあるようです。
 もちろん、調理器具や懐中電灯や双眼鏡などの実用品もありますが、持ち運ぶものを必需品に限るのではなく、思い出の品も大切に持ち運んでいるようです。
 また、ゲルの柱や梁も綺麗に色が塗られており、家具も装飾が施されているため、独自性が強く、決して無機質ではない豊かな印象を受ける空間になっています。そして、ゲルは、結婚を機に親のゲルから独立し新調するため、新たな家族の思い出が始まったところ、という意味合いもあるように感じました。

 現代の私たちが、移動型生活として想像するのはホテル暮らしのような、少し無機質な空間での生活ではないでしょうか。
 しかし、現代のモンゴル遊牧民が、移動型生活で過ごす空間は、ゲルと持ち運ぶモノによって、「いつもの場所」「自分の空間」という感覚を覚えられそうなものでした。逆に言うと、それだけ、自分たちの居場所であるという感覚は、生きていく上で大切なものなのであるとも言えるのかもしれません。それを実現するためには、何らかの思い出の品や、空間を彩るこだわりのデザインが、必要なことの一つなのだと考えられます。

移動型生活は幸せなのか

 現代社会において定住の必要性が薄れているとはいっても、移動型生活が本当にいいものなのか、いまいちイメージがつきませんでした。
 しかし、モンゴル遊牧民の生活にふれることで、当初の移動型生活のイメージが少し変わったのではないでしょうか。もちろん、モンゴル遊牧民以外にも移動型生活の様式はあるのでしょうが、一つのモデルとして参考になるものでした。

 遊牧民の生活は移動型とは言っても、大規模な移動は季節ごとの年4回程度、しかも移動先は比較的固定的なので、毎回悩むこともありません。しかも、家族とはいつも一緒であり、宿営地で協同生活をする人たちもいるため、寂しさや孤独感は感じにくいと考えられます。
 また、ゲルの装飾にこだわったり、思い出のモノを持ち運ぶことによって、「いつもの場所」「自分の空間」という感覚も感じられ、家に帰る安堵感のようなものも感じられるのだと考えられます。ただし、都市化が進んだ場所で移動型生活をする時には、ゲルを持ち運んで自由に宿営するということはできないため、この安堵感をどのようにデザインするかは一つの課題となりそうです。

 他方で、定住型生活では得られない、移動型生活のメリットとは、どのようなことが考えられるのでしょうか。
 一つ目のメリットは、季節ごとに違う、いろいろな人に会えるということだと考えられます。季節ごとに過ごす場所が比較的固定的であるため、協同生活をする集団のメンバーも比較的固定的であると言えます。なにかで時間を共にした人に定期的に会い、再び共に過ごせるのは、充実した時間であると言えるのではないでしょうか。
 あるいは、いかに気の合う仲間でも、少し距離を置きたくなるときもあるはずです。移動型生活をしていれば、定期的に距離を置く期間があり、また何の働きかけもなく再会し協同する期間をもつことができます。このような協同スタイルであれば、メリハリができ、長く良い関係を継続できるのではないでしょうか。
 また、夏季には特に、都市部から親戚や友人、また観光客がやってくるそうです。夏季のゲルは、乳製品をつくる作業場であると同時に、客人を迎え入れる空間でもあるのだそうです。私たちは、お盆や正月に帰省をしますが、移動型生活をしていれば、逆の現象を起こせるのかもしれません。
 つまり、訪問者が家に向かって移動するのではなく、家が移動して近くに来るので、移動してきた家に親戚や友人が訪問するということです。家自体が移動をすることで、訪問客に足労をかけることがなくなり、結果訪ねてもらえる頻度も上げることができると考えられます。観光客は、ゲル自体が観光名物であるから来てくれるのでしょうが、移動していれば新たな出会いが生まれることは必然となるでしょう。

 二つ目の移動生活のメリットは、気持ちを新たに次の季節を迎えられる、生活にメリハリをつけられるということだと考えられます。
 私たちは、ときおり旅行にでかけますし、海外や地方に移住をした人、旅をするように生活をしている人を羨ましく思うこともあるのではないでしょうか。固定的な場所で生きていると、人間関係の問題を抱えたり、仕事やプライベートでも解決の糸口や次の一歩が見つけられない状況に直面することが多々あります。
 それが、定期的にその場所を変えられる、そして過ごす人も変わるというだけで、大きく状況が変わってくるのではないでしょうか。そのような移動型生活をすることで、新たな発想や考え方を得て、創造力も向上するはずです。
 このように、移動型生活は、日々の生活の安堵感も感じられ、またストレスを軽減させ、創造的で刺激的な生活ができるという側面もありそうです。他方で、子どもの学校の問題があり、また現時点では季節ごとに数ヶ月単位での居住場所を確保するのは一般的ではないため、まだ少し手間がかかりそうです。
 ただ、社会背景が急速に変わってきている現代では、移動型生活が一般的な選択肢の一つになることも、決して非現実的ではないと言えそうです。現代人に合った移動型生活がデザインできれば、人生の時間全てとはいかなくても、一定の期間だけでも、そのような生活をしてみたいと思えました。


〈参考文献〉
1.リベル(2019年)『未進化な心の混乱 〜現代のコミュニティ生活のあり方を考える〜』
2.堀田あゆみ著(2015年)『モンゴル遊牧民 エンフバト一家のモノ語り』(株式会社テクネ)
3.風戸真理著(2009年)『現代モンゴル遊牧民の民族誌』(世界思想社)
4.セーブ・ザ・チルドレン(2013年)『【遊牧民の子どもたちのための小学校教育プロジェクト(1)】モンゴルの遊牧民の子どもたちの抱える問題(2013.01.18)』
5.ユニセフ『遊牧民のために“動く教室”』

(吉田)

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