2021.04.07

人は原子のよう。 ー読書会の話

 先日の読書会で、人は原子のようなものなのではないかと思いました。

 人はいつも同じ顔を持っているわけではありません。読書会では、場によって自分のキャラクターが変わるのだけど、それを見られるのが嫌だったという話が出ました。例えば、学校の授業参観で、家の自分と学校の自分は違うから、それを親に見られるのは嫌だというのです。これはすごく良くわかります。
 ちなみに読まれていた本は、オードリー若林さんの『社会人大学人見知り学部 卒業見込』でした。下積み時代が長く、社会人としての所作を学び始めるのが遅かった若林氏が、自分なりの視点で考えた社会性について書かれているもののように感じました。

 場によってキャラクターが違うというのは普通のことに思われます。クラスに腕っ節の強いヤツがいればあえておちゃらけてみたりもするし、部活で活躍して目立つ存在であれば自由な振る舞いもできる。学年が上がっていけば調子に乗ってみたくもなるし、いい人がいれば格好つけたくもなる。

 自分のキャラクターというのは、周りにどういう人がいるのか、場において自分がどういう存在であるのかという、相対的なもので定まっていくような気がします。

 人は、個体そのもので性質が決まるようなものではなく、周りとの反応によって性質が定まっていき、安定状態に収まっていくような気もします。これは原子や分子のようです。
 例えば、自分単体で水分子や酸素分子なのではなく、酸素原子である自分は、時には異種のものとつるんで水分子になり、同種のものと対になって酸素分子にもなり、あるいは消毒作用のある次亜塩素酸にもなり、若干煙たがられる二酸化炭素にもなる。

 よいパートナーがいなければ拡散しながら見つけていきまた安定し、ときには、結合する相手をまちがって親分子にたしなめられたりもする。ただ、原子単体では不安定だから、何かと結合する必要はある。まれに、希ガスなんていう強者もいるけれど。
 ふらふらと回遊をしながらよいパートナーを見つけて、時には自分もこんな性質を発揮できるのかと驚きながら、反応を楽しんでいくのが人間なのかななんて思ったりしました。それにしても、周期表のことなんて忘れてしまったな。自分は誰とどういう反応ができるのだろうか。


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(吉田)

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