2020.02.29

「言葉」という夢から 〜考えることを考える #3〜

人類の考える力は「言葉」によって拡張されてきました。「考える」ときに「言葉」とはどういう存在なのか、どう付き合えばいいのか、考えてみました。「考えることを考える」第3弾です。

(文量:新書の約11ページ分、約5500字)

 人類は、数万年前に言語という道具を獲得しました。それによって、仲間同士の意思疎通が可能になっただけではなく、様々な想像と創造が助けられてきたと考えられています[1]。つまり、人類にとっての大きな武器である「考える」ことのお供として、言葉は存在してきたのです。

 今回は、「考える」にとって「言葉」とはどういう存在なのか、考えるときに言葉とどう付き合っていけばいいのかを考えていきたいと思います。今回も前回と同様、哲学者・野矢茂樹先生の著書『はじめて考えるときのように』の力を借りながら考え進めていきたいと思います。


「言葉」は可能性を広げる

 以前の『「考える」という人間の力』では、考えるとは、「もしかして」を切り口として、現実性から可能性の世界に入り込んでいくことであると紹介しました。既に現実にあるものや常識的で習慣的であるものについて話したり、それに基づく行動をとったりすることは「考える」ということに当たらないでのはないかということです。考えるとは、現実性と可能性の世界の間を、「あーでもない、こーでもない」と行き来する運動のことであり、新たな何かを想像し創造するということです。

 哲学者・野矢茂樹先生は、「考える」という運動において「言葉」は大きな役割を持っていると言っています[2]。
「考えるということは、現実から身を引き離すことを必要とする。」「現実からいったん離陸して、可能性へと舞い上がり、そして再び現実へと着地する。」「こんな運動がそこにはなくちゃいけない。」「そのための翼が、ことばだとぼくは思う。」(太字はリベルが付加)

 たとえば、「日本最大のスキー場を東京に作れないだろうか」という可能性が頭に浮かび、思わず周りにいた人たちに話してしまったとします。
 これに対してAさんは言います。
「いや、東京じゃなくて、いっそ沖縄の方がインパクトあるんじゃない?海水浴とスキーという相反することを体験できるなんてすごいじゃない。」
 Bさんは言います。
「スキー場なのかな〜。いっそ砂漠とか?東京砂漠…。」
 Cさんは現実的です。
「日本最大はさすがに無理じゃない?だって、長野の白馬のスキー場とか、アレ級のものを造るってことでしょ?」「あと東京である必要あるのかな?東京ディズニーランドだって千葉にあるじゃない。」

こうして出来たのが、かつて千葉県・船橋市にあった屋内スキー場「ららぽーとスキードームザウス」であり、東京から新幹線でアクセスできる「GALA湯沢」です。
 、、、というのはウソですが、ありそうな展開ではないでしょうか?つまり、「日本最大のスキー場を東京に作れないだろうか」という言葉をきっかけに、さらに言葉が交わされて何かが生まれていくことが、十分に想像されるのです。

ザウス
(屋内スキー場「ららぽーとスキードームザウス」)


 野矢先生は、可能性を模索する時の言葉の効用は大きく二つあると言います。
 一つ目は、パーツに分けて組み替えられるということです。「日本最大のスキー場を東京に作れないだろうか」は、「日本最大」「スキー場」「東京」というパーツに分けることができ、AさんBさんCさんによって様々に組み替えられました。この組み替えには無限に近い可能性があるはずです。言葉は、頭に浮かんだ可能性を、さらに無限に広げてくれるのです。
 二つ目は、言葉によって可能性を表現することがカンタンに出来るということです。仮に言葉が無かった場合、「日本最大のスキー場を東京に」というのはどのような手段で表現することができるでしょうか。模型でしょうか?絵でしょうか?スキー場は、大変そうですが、模型や絵で表現できそうです。東京も日本地図を用いれば大丈夫そうです。
 しかし、日本最大は、、、「日本最大」と言葉で書けない前提なので、どうすればいいのでしょうか。このように、まだ現実にはない「可能性」を表すということは、言葉がないと困難であり、ものによっては不可能であると言えます。言葉があることで、誰でもいつでもどこでも、可能性を表現することができるようになったのです。

 言葉は、可能性を表現し、自分の中で広げたり、みんなで考えることを可能にしてくれました。言葉によって、人類の可能性は広げられていったと見ることもできるのです。

言葉が促した社会の文明化

 言葉は、人類の歴史に大きな進展をもたらしました。人類学者・霊長類学者の山極寿一(やまぎわじゅいち)先生はこう言います[3]。

「言葉によって、目には見えない、現実にはないものをつくり出す能力ができたわけですよね。」「それまで人間がやってきたことは、見ていなかったことを仲間の目によって、仲間の身体によって確かめるということであって、それは道具だとか、そういうものによって拡大はされてきていたでしょうけども、しかし、何もないところからものをつくり出す能力はなかったわけです。」「だから自分たちが生きている世界の外を想像する力はなかった。」「しかし言葉によって、人間の世界の外にある何ものかを知り、あるいは何かを想像する力を手に入れた。」「つまり、想像する力が圧倒的に拡大されたということですね。」
(太字はリベルが付加)

 他方で、人間以外の動物も言葉のような意思疎通の手段を有しています。たとえば、サバンナモンキーは様々な鳴き声によって意思を疎通させると言います[1]。動物学者は、ある鳴き声が「気をつけろ!ワシだ!」という意味であることを突き止めました。それとはわずかに違う鳴き声は、「気をつけろ!ライオンだ!」という意味になるのだそうです。
 しかし人間以外の動物は、たとえば「今朝、川のほとりで比較的新しいライオンっぽい足跡があって。しかも一頭や二頭のものではなさそうなんだよね。だから気をつけた方がいいかも」というような、様々な言葉をつなげて複雑な情報を伝えることはできないといいます。
 人間は、様々な言葉を組み合わせて、さらには組み替えることができます。それは、情報を正確に伝えるためにも必要ですが、目には見えないものや、まだ現実にはない可能性を伝えるためにも必要なことであると考えられます。

 キリスト教神学者・宗教学者の小原克博こはらかつひろ先生は、私たちホモ・サピンスの言語の特徴の一つは、「比喩」の力にあると言います[3]。
「因果関係を類推するだけなら、多くの動物が危険回避や生存のために行っていますが、比喩の力はまさにホモ・サピエンスならではのものでしょう。」「宗教の世界は、目に見えない存在を描写するために比喩を用いらざるを得ません。」「未知のものを物語るために既知のものを使う、ということです。」「聖書やクルアーン(コーラン)を見ても、比喩的な表現にあふれています。」

 宗教によって、共通の希望や期待、社会規範などを人々が信じることで、社会は大きく動きます。資本主義も一つの宗教であると言われることがありますが、中世から近代への移行期、新大陸が発見されたり、科学によって自然現象が解明されたり、蒸気機関などが発明されたりと、世界にはまだまだ開拓余地がある、人類社会はまだまだ成長できるという希望や期待が人々の根底に築かれ、それが資本主義の礎となったと考えられています。それによって、科学の発展や世界的な工業化が急速に進み、今日の社会が出来上がったのです。
 そのような、目に見えず可能性の範囲を出ていないとも言える宗教的概念は、言葉の力によって人々の頭の中で具現化され、社会の文明化に寄与してきたと考えられるのです。

サービスを創り出す時の言葉の重要さとあいまいさ

 さて、ここまで他の生物種との比較や人類文明という少し遠い話をしてきたので、ここではもう少し現代的で身近な話から、「考える」や「言葉」について考えてみたいと思います。

 世の中に様々なサービスを提供してきた企業・リクルートに、「創刊男」という異名をとる人物がいました。「くらたまなぶ」という人物です。くらた氏はリクルートに20年在籍していましたが、その期間に生み出された28のリクルートの事業のうち、半分の14を開発したとされる人物です。
 くらた氏の著書『「創刊男」の仕事術』からは、サービス開発時にくらた氏が言葉を重要視していたことや、言葉と丁寧に向き合っていたことが感じ取れます。その「感じ」を伝えるのは困難なので、ここでは著書の目次から紹介したいと思います[4]。

目次(『「創刊男」の仕事術』)
1章 ちゃんとふつうに生活すること
2章 「人の気持ち」を聞いて、聞いて、聞きまくる
3章 「不」のつく日本語を求めて
4章 ひたすらブレストをくり返す
5章 不平不満をやさしい言葉でまとめる
6章 まとめた言葉をカタチにする
7章 プレゼンテーション ー市場への第一歩
8章 「起業」 ー夢を見すえて変化に即応する

 全8章の仕事術のうち、2章から6章までが言葉に向き合うことに費やしているといえるのではないでしょうか。また、インタビューやブレストを通して向き合う言葉も、きれいにまとめられた言葉ではなく、その人・その頭が発した言葉をそのまま記録したり用いたりするのだそうです。5章には、「「属性」で商売できたら誰でも成功社長になれる」という節もあり、これは安易にそれっぼい言葉でまとめるなということを言っているのだと思います。
 そして6章でようやく、「夢をカタチにしたら、ソロバンとの競争が始まる」のだそうです。つまり、インタビューやブレストで出てきた言葉に徹底的に向き合い構想がまとまって始めて、数字を使った分析や計画に落とし込んでいくということです。

 様々なサービスを生み出してきたくらた氏は、著書を「論」ではなく「術」として仕上げることにこだわっていたようです。「まえがき」にこのような記述があります[4]。
「若い頃、参考にしようと、ありとあらゆる専門書を手にとった。だけどほとんど使えない。」「(…)必死に買い求め、読むのだけれど、具体的な方法はまったく書いていない。」「たとえて言えば、「恋愛には六タイプある」「出産の歴史はこんな進展をしてきた」(※)なんて具合で、きれいな概念図かなんかが載っている。」「理屈なんか読みたくない。(…)どういう順番でしたらいいのか、まったく一言も教えてくれない。」「すべて「論」ばかり。」
※くらた氏はサービスを子どもに例えて表現するため恋愛や出産という言葉を用いている

 このような想いで作られた著書は、くらた氏の経験が詰まったものでした。しかし、「こうすればうまくいく」というような記述はありませんし、実際読み終えても成功しそうなイメージがあまり湧きません。ただただサービス開発の際の動き方や考え方、注意点などが書かれているのです。

 これが一つのリアルであると言えるのではないでしょうか。あいまいな中、一歩ずつ、いや半歩ずつ進んでいく。その過程の、仲間と考えを共有したりブレストする時の道具が言葉であり、いろいろな言葉が飛び交う。「夢」という可能性を語りながらも、インタビューなどを通して現実性にも目を向ける。可能性と現実性を行き来する運動を、言葉と共に繰り広げる。そのようなあいまいな言葉、あいまいな時間を経て、一つの新しいサービスが生み出されていくのだと創刊男は言っているのだと思いました。

考えるときのお供、「言葉」

 人類は、数万年前に言語という道具を得て、考える能力を拡張しました。
元々脳の発達によって考える能力が得られていたことも前提となりますが、言葉によって大きく花開いたと考えられるのです。「もしかして」と想像して言葉を発し、仲間と共有し、様々に組み替えて新たな概念を創造してきたのです。そうして生み出された新たな概念は、時には社会を変えるほどの大きな力を発揮しました。

 人間は、現実性だけでは生きていけないのかもしれません。
 これまでの歴史の中で様々な可能性を考え、現実にしてきました。可能性を考えずにはいられない、そして考えたら現実にせずにはいられない、そんなさがを有しているのかもしれません。そして、その時のお供が言葉です。
 しかし、創刊男・くらた氏の著書からは、可能性を現実にすることはものすごく大変で、明確な道筋はないということを教えられました。その過程でも言葉がお供になりますが、あまり安易な言葉でまとめてはいけないようです。言葉は、可能性と現実性を行き来するときに有効ですが、その往復運動は幾度にも渡るということなのでしょう。それが当たり前だから何度でも付き合ってやろうじゃないか、という気概を持つことが大事そうです。

 言葉によって夢を語り、しかしあまりにも現実とかけ離れていると実現できないから、あーでもないこーでもないと考える。そして、その時代の背景や社会リソースに適合したものが、先人たちの手によって現実に創り出されてきました。「言葉という夢」が始まりとなって、今日の人間社会が創り上げられてきたのだと考えられるのです。さあ、言葉から始めましょう。


〈参考文献〉
1.ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史 上』(河出書房新社)
2.野矢茂樹著『はじめて考えるときのように』(PHP文庫)
3山極寿一、小原克博著『人類の起源、宗教の誕生』(平凡社).
4.くらたまなぶ著『「創刊男」の仕事術』(日本経済新聞社)

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(吉田)

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