2021.05.20

無意識という視点から。 ーテーマ「無意識」の読書会

(文量:新書の約10ページ分、約5000字)

 5月に入ってから、「無意識」にテーマをおいた読書会を開いています。このテーマのある読書会は、課題図書のようなものは特になく、テーマからイメージする本をそれぞれ持ち寄って、読んで、感想をシェアするものです。ですので、読まれる本もさまざまで、そんな無意識もあったのかと、気づいて幅を広げることができます。
 まだ3回を終えただけですが、どんな本や話題が出てきたのか、無意識からどんなことが見えてくるのか、紹介してみたいと思います。なお、この読書会では無意識に対する明確な定義はもうけていません。無意識は心理学や脳科学で研究もされていますが、そのような厳密さからは離れて、「無意識に〜〜してしまった」などという表現からイメージされるような日常的な感覚から本を選んだり、感想を交換したりしています。
 読書会で読まれた本や話された話題を紹介していきます。少し長くなりますので、気になるトピックだけでも、もし良ければご覧ください。


社会に対する見方

 学ぶ機会や仕事を個人が自由に選択できたり、科学的根拠をもとにフェアな議論が行われたり、今はそんな社会が目指されていますが、そうではない時代もたしかにありました。歴史は、自分が今その中で生きているがために疑うことが難しい社会の価値観やシステムに、別の展開もあるのではないかという可能性を示してくれます。なぜなら、まったく別の価値観やシステムで、社会が、そして人々が動いていた時があったと教えてくれるからです。
 読書会では、『若い読者のための世界史』を読んでいる人がいました。引いた目線から世界を見させてくれる歴史は、無意識のうちに作られているかもしれない枠組みを、構築し直させてくれるように思います。有名な本としては『サピエンス全史』なども、狩猟採集時代からの人類の全史というすごく引いた目線から、人間や社会の多面性について見させてくれます。

個人の中にある観念

 おそらく社会背景とも関係し合しながら築かれるものなのでしょうが、個人の中には固定的な観念があると思います。そしてそれは思考や行動に影響を与え、拭い去ることは簡単なことではないように思います。たとえば、「成長」を絶対の条件にする観念が強ければ、今目の前にあるものをそのまま大切にするということが難しくなるかもしれません。観念がどのように築かれ、そしてどうすれば拭い去ることができるのかは、個人的に関心があることです。
 先日の読書会では、『認知バイアス』を読んでみました。認知とは、ものを見たり聞いたり感じたり、何かを学んだり覚えたり、判断したり想像・創造したりすることを指すのだといいます。つまり、心の働きの全般をさすのだそうです。バイアスとは、偏見や固執、先入観などのことです。この本はまだ途中までしか読んでいませんが、今のところは、人が先天的にもつ視覚や記憶の偏りの性質について記されていました。人は、目の前のものをそのまま見ているわけではなく、予測したり注意を傾けたりしながら見ているのだといいます。だからこそ、膨大な情報に囲まれながらも柔軟に対応できる一方て、誤認なども多く起きているのだと思われます。価値観や観念の形成にまで言及されているか分かりませんが、ひとまずこの本からしっかり学んでみたいと思います。

創作

 創作のとき人は、こころの深い海に潜っているような気がします。宮崎駿は著書の中で、無意識的の部分で作品ができていることがある、というような表現をしていたことがありました。子どもが楽しめる複雑すぎない作品でありながら、大人でも何度も楽しめる奥ゆきの中には、観る人が感じとるよりもはるかに深いこころの掘り起こしがあるように思います。
 こちらもまだ前半しか読んでいませんが、『出発点 ー1979〜1996』では、作品それぞれの背景と、宮崎駿の創作そのものに対する考えが記されています。作品づくりに対する信念も、何度もみてしまう奥ゆきを生み出しているのかもしれません。
 他にも、この無意識読書会で読まれていた本ではありませんが、『フリープレイ』という本も気になっています。読んでいた方からは、創作欲の源泉はどこにあるのかという話が共有されました。それは、自分の内ではなく、もっと外に開かれたところにあるのだそうです。

思考

 創作に近いものかもしれませんが、思考にも無意識が関わっているとされています。最近では「無意識思考」「システム3」などと呼ばれる思考システムの研究が進んでいるようです。直観的・感情的に即座に反応する(=システム1)でもなく、論理的に慎重に整理して選択する(=システム2)でもない、無意識に委ねる思考が無意識思考・システム3です。実験などによってもその存在が明らかになってきているようで、実験結果や発動の条件などが『Third Thinking』に記されていました。
 『Third Thinking』は、客観的・科学的な立場で書かれている本なので、無意識思考の具体的な方法論にはそこまで踏み込んでいない印象でした。それに対して『思考の整理学』は、思考に熟練した著者の具体的な方法論が記されていました。記されているすべてが無意識思考というわけではないのだと思いますが、該当するものも多く含まれているのではないかと思います。『Third Thinking』の中でも、『思考の整理学』のことが紹介されていました。『Third Thinking』『思考の整理学』それぞれを紹介したコンテンツもありますので、ご参考までに。
『無意識に委ねてみる。 ー本の紹介『Third Thinking』』
『考える小人。 ー本の紹介『思考の整理学』』

無意識の存在

 無意識とは、普段から何気なく使う言葉だったりしますが、学問としてその存在に迫っているものもあります。ユング心理学がその一つです。精神科医として統合失調症に向き合っていたユングは、その臨床経験から無意識の存在に気づき始めます。意識の中では忘れ去られた痛烈な体験が難聴を引き起こしたり、コンプレックスの形成を促し特定の属性の人に対する過剰な敵対心を生み出したりするのです。ユングは、このような個人の経験によって形成される個人的無意識だけではなく、人が生まれながらにして持っている普遍的無意識の存在にも気づきます。そして「自己」は、意識の中にあるというよりは無意識まで含めたこころの中心にあるものと考えました。自己とは、意識できる範囲を超えて広がっているものなのかもしれません。
 ユング心理学のいう無意識について書かれた本としては、河合隼雄氏の『無意識の構造』があります。河合隼雄氏の本は、難しい内容をなるべく分かりやすく表現されたものが多く、またご自身の臨床経験や人生経験とも合わせて書かれているので具体的でイメージしやすいです。無意識の存在に耳を澄ませるような感覚で、読んでみるのもいいかもしれません。

「空気」

 ここまでは比較的個人の中に形成される無意識に関するものを紹介してきましたが、集団の中にも無意識は形成されるのだと考えることができると思います。以前こちら(『場の無意識・個人の無意識』)で紹介しましたが、場や集団の中で形成される「空気」は、人々の間でつくられる無意識的且つ集合的なこころであると言ってもいいのかもしれません。
 場や集団の無意識に関しては、『「空気」の研究』を読んでいた人からシェアしてもらいました。戦時中の無謀な作戦の決行がどのように意思決定されたのかなどの事例を交えながら、「空気」のもつ力について記されているようでした。空気の力は大きく、たとえ合理的ではないと感じても抗うことは簡単ではなさそうです。空気に対峙するためには、その存在についてまずは自覚的になっておく必要があるように感じました。

体の働き

 無意識はこころの働きを意味することが一般的だと思われますが、体の無意識的な働きもあると思います。たとえば、手足の曲げ伸ばしは自分の意思で行うことができますが、胃や腸をはじめとした内臓の働きは自分でコントロールすることはできません。自分が意識しないところで、生きる上での重要な活動が行われているのです。
 『「空腹」こそ最強のクスリ』を読んでいる人がいました。著書の中では、16時間空腹の時間(睡眠8時間+起床時間半日8時間)をつくることで、健康で疲れにくい体を維持できると記されているようでした。空腹によって内臓が休むことができたり、空腹時しか働かない器官や機能があったりするようです。自分でコントロールできないことに対しては、空腹という内臓環境をつくってあげることで働きを助けるというのが、自分にできる処方なのだと思いました。

日常行為の隠れた意味

 『7袋のポテトチップス』を読んでいる人がいました。なぜポテトチップスなのか、なぜ7袋なのか、というところまでは読書会中には読むに至らなかったようですが、食に関する文化史のようなものが記されているようでした。食べることは、栄養摂取にとどまらず、社会的な行為であると言及されているようです。
 食べること・歩くこと・着ることなどの日常行為は、それぞれただ栄養摂取・移動・防寒などの機能的な側面に目的が限定されるわけではないのだと思います。食べることは話すことや時間を共有すること、歩くことはリフレッシュや何かの発見につながること、着ることは気持ちの切り替えや自己表現をすることなど、いろいろな意味を内包していることでしょう。普段あまり意識することのないこれらの意味は、隠れた意味であるとも言えます。隠れているから気づきにくく、たとえば栄養摂取だけを考慮した食事に切り替えてしまえば、隠れた意味は受けることなく失われいくことになります。ときには日常的な行為にどんな意味が隠れているのか、本などを通じて噛みしめてみてもいいのかもしれません。

哲学

 あたりまえにありすぎて気にかけないようなことを、がしっと掴んでじっくり向き合ってみることを哲学は行っているように思います。エーリッヒ・フロムの著書は読書会でよく見かけます。『愛するということ』『生きるということ』は、愛する・生きるという、普段から身近にあることについて深く考えられているもののようです。他にも同じくフロムの『自由からの逃走』では、人は自由を目の前にすると、逆に縛られることを望むということが記されているようです。人は自由を望むものだという先入観に、「待った」をかけるような指摘です。
 どんどん過ぎていく時間や出来事の中で自分が気にかかるものに着目して、じっくりと思いや考えを巡らせることは生活を豊かなものにしてくれることでしょう。あるいは、自分でも気づいていなかった何かに気づかせてくれるかもしれません。哲学の本は難解なものが多いですが、私の知る範囲では國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』『はじめてのスピノザ』などは分かりやすく書かれている印象でした。とはいえ、哲学全般はテーマ自体が難しいので、すらすらと読むというわけにはいかないと思いますが、しつこくじっくりと読んでいると物事の見方が変わることがあるように思います。


 無意識とは“ままならぬ自分”でありながら、自分や周囲に確実に影響を与えているものであると思います。意識的にコントロールすることは難しいかもしれませんが、うまく働くための環境を整えることはできるかもしれません。『Third Thinking』『思考の整理学』では無意識的な思考がうまく働くための環境の整え方が記されており、『「空腹」こそ最強のクスリ』では空腹という環境が胃腸の働きにとっていいと記されていたように思います。どんな無意識が働いているかを知ることで、もっと自分を広く捉えて生きることができるようになりそうです。
 無意識の読書会は、6月末頃まで、なるべく毎週末朝10時から開いている予定です。ここで紹介したトピックに限らず、ご自分でピンときた無意識があれば何でもお持ちいただければと思います。あるいは、自分の読みたい本やテーマの中に、無意識的な何かを探ってみてもいいかもしれません。いろいろなものを持ち寄ることで、自分のなかの無意識が広がっていけばと思っています。なお、これまでの読書会参加者にもらった読書感想は、こちらに載せています。それでは、お待ちしています。


〈読書会について〉
 本を読んだり、なにか考えごとをしたり、ゆっくりと使える時間になればと思っています。ほぼ毎週末の朝10時から開いている、その場で読んで感想をシェアするスタイルの読書会です。事前申込はあまり求めていませんので、気が向いたときに来てください。日程は、FacebookページかPeatixをご確認ください。
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(吉田)

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